書評 木村英亮『21世紀の日本と世界』(山川出版社、2002年)
 『社会主義理論学会会報』第49号、2002年9月12日


 ソ連史、なかでも中央アジアのソヴェト史についての堅実な研究で知られる著者が、広く国際関係について概論した書である。

 「第1部 戦争の反省と平和」、「第2部 諸民族の自決と統合」、「第3部 民主主義と平和」に分けられ、それらを構成する12の章で個別的な論題が設定されている。全体をとおして20世紀の歴史が総括され、終章として21世紀の展望が付されるが、「序章 軍備のない世界めざして」の表題にも示されているように、世界平和の追求という著者の願いが全編にこめられていると読むことができる。

 国際関係論入門書としては、広範多岐なテーマに関する該博な知識が欠かせないし、専門的研究書とはまた別種の大変な困難をともなう。この類の本では、数人の共同著作によることが多いが、単独でこの仕事を果たした著者の労苦が偲ばれる。ただ、単著であることの弱点として、全体の構成をめぐっても、ここの論題の記述をめぐっても、更に改善されるべき点が少なからず所在しているのは否定しがたい。

 教科書として用いるのであれば、戦前生まれのわたしたちの世代とはあらゆる面で隔絶している若者たちに読ませ、考えさせるために、テーマの選定でも、記述の仕方でも、もっと工夫をこらすことが要請される。端的に、著者のこれまでの研究の蓄積に従ってソ連社会主義に関する論点が、マルクスからスターリンまでの提題の引用を含め、かなりの分量にのぼっている。だが、消滅から10年を経ているソ連についての個人的記憶をそもそも有しない学生の年代に移ってきているのである。

 他方、20世紀の世界の変動を把握し、21世紀の世界のありようを説くのであれば、アメリカ合衆国の動向の考察にもっと比重がおかれてしかるべきだろう。それに、日本との関係で、中国、韓国・北朝鮮について特に重視した扱いがあってよいだろう。

 さて、ここでは、著者の専門研究領域であるソ連史に関する論点について、数点の率直な批判を記そう。

 ソ連・東欧などの社会主義を公称した体制がいったい何であったかについては、周知のように、論争、反省的研究の只中にある。そのなかにあって、著者は、従来どおりの社会主義説を保持している。但し、『歴史評論』2002年7月号の座談会「歴史のなかの社会主義」の発言では、社会主義への過渡期が1991年の崩壊にいたるまで続いていたという見方も認めている。

 わたし自身は、大學の講義では学生諸君に、ある時代に普及している常識や定説といえども、それが誤っていてやがて覆り変遷することがある、教科書に書かれていることも決して鵜呑みにしない姿勢をとることが必要である、そうした恰好の歴史的事例がソ連は社会主義国だという通説だ、というふうに伝えてきた。21世紀の半ばあたり、ソ連についてどのような歴史的規定が定着しているだろうか。

 ソ連について社会主義という通説を著者がとる場合、その最も主要な理論的根拠は、国家的所有化、国家経営、国家計画を社会主義経済の基本路線として正当視している(91~92 頁)ことにあると言えよう。(労働者的)国家的所有化を社会主義の最たる標識とする通念は、近年、実践面からも理論面からも批判にさらされ見直されてきているが、ソ連、東欧や中国などの実証的、歴史的研究に従事してきた研究者のあいだでは転換は未だ進まずという状況を、本書から看取することができる。

 第二次世界大戦の「反共的性格」(26頁)という性格づけや、それに関連した「第二次世界大戦を勝ち抜き、世界をファシズムから救ったソ連とソ連共産党の権威は戦後格段に高まり、共産党政権は、東欧、朝鮮、ヴェトナムに拡大した」(33頁)という把握にも、疑問がある。スターリンのソ連のナチス・ドイツとのポーランド分割協定、バルト3国併合などを踏まえて、かつての公式的な見解の再審こそが、現在求められている、と考えるからである。

 反面、アメリカ合衆国についての論述が手薄であることは先に触れたが、アメリカの世紀と称される20世紀の世界におけるアメリカ合衆国の位置と役割をめぐって、バランスの取れた把握が欲しい。我が国の左翼的な政党、学者のあいだでは、東西冷戦時代にソ連寄りの立場をとり、ソ連に無批判的な一方、アメリカの批判に走る傾向が支配的であった。そうした親ソ・イデオロギーの枠組みが本書にも残留している。しかしながら、良くも悪くも近代資本主義の歴史的到達を最も凝縮的に体現しているアメリカ合衆国の歴史的な功罪を公平に見極めることは、20世紀の歴史を総括し21世紀を見通す上で不可欠の要件であるだろう。

 世紀末に至って20世紀の歴史は、劇的な姿で予想外の結末を示した。その衝撃に促されて、それまで通用してきた諸々の社会思想、社会科学は、多かれ少なかれ再考、再編を迫られている。国際関係論もまた然りであるにちがいない。国際関係論において、そうしたパラダイム転換の試行はどのようなものとして存在するのだろうか。

 一例として、最近評価の高いウオーラースイテンの世界システム論について、本書ではまったく簡単に言及されているにすぎないが、その世界システム論を摂取して20世紀の世界を捉え返してみるならば、本書を含めた、わが国で有力であった既成のそれの枠組みとは異なり、そして歴史の実相を一層的確に描きだす国際関係論がありうるのではないだろうか。

 著者は長年の研究成果を集成して『20世紀の歴史』、『増補 ソ連の歴史』、『ロシア現代史と中央アジア』、そして本書などを、相次いで公刊されている。その着実な研究を称えるとともに、著者が今後更に時代の激変を組み込んだソ連史、国際関係論の新たな展開という至難な事業にも挑戦されることを期待したい。

(大藪 龍介)