『国家とは何か 議会制民主主義国家本質論綱要』の概要


 国家とは何かをめぐって、諸々の論考が存在する。
 近代において政治・国家は、経済・社会と分裂し、道徳や宗教とも分離して、歴史上最も豊かな発達をとげ、自立的性格を有するにいたった。この政治的国家としての自存を客観的基礎として、国家とは何かを科学的に明らかにすることが可能となった。
 しかし、近代の国家といっても、歴史的時代および国の相違に応じて種々様々の形態をとって存立する。近代国家の本質的性格を究明するには、近代国家のなかで最も豊かに内容の充実し、最も純粋に過程の進行する形態、すなわち典型的な発達形態を対象として選定して、その分析的な理論化によらなければならない。
 近代国家の典型的発達形態と見做せるのは、議会制民主主義国家である。議会制民主主義国家は、発達した資本主義経済に適応する政治的システムとしてかたちづくられ、現代においては我が国を含めて先進資本主義世界に定着している。
 こうして、国家とは何かの科学的な考究は、エンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』のように古代アテナイ国家を典型的な見本とするのではなく、またイェリネク『一般国家学』のように国家一般を対象とするのでもなく、近代の議会制民主主義国家の本質論的解剖によって達成される。その意味では、今日的にまさしくアクチュアルな課題である。

 本書は、19世紀初葉−後葉のイギリスにおいて形成された議会制民主主義国家の原型を現実的対象として、その論理的、歴史的な分析的研究に基づきつつそれを抽象して、国家の科学的な本質論的究明に取り組む。
 そして、国家を中軸とする政治的支配のメカニズム、政治や国家につらぬかれる法則的諸傾向の解明を試みる。眼目とするのは、近代の政治・国家に内在する自律的な論理の析出である。
 そのためにまた、経済学の方法との区別・連関において政治学に固有の方法の開発を図る。経済学では、商品・貨幣・資本の物象的な連関世界としてかたちづくられる経済過程、資本主義経済の社会的な自然史的過程を、自然科学に近似して因果論的に理論化する。それにたいし、当事者の意識的行為を起因とし、政治的な目的を実現する手段的機構として国家が組織され、因果関連と目的論的関連が交互規定的に折り重なって進行する過程を、因果論的考察と目的論的考察を組み合わせて把握する。そうすることで、政治過程に特有の性格、当初の目的とその実現結果が乖離する目的異化(目的転位)の傾向性にも接近できる。
 更に、我が国では輸入理論の解釈・敷衍が伝統として根付いてきた。この弊習を超えるべく、理論的な創造的建設を志向する。力及ばずといえども、解釈から創造へのコペルニクス的転回に挑戦する。

 本書の構成は、次のとおりである。
T、国家の発生根拠
 1、資本主義社会の共同事務の遂行
 2、労働者階級の闘争の抑圧、社会秩序の保持
 3、資本の世界市場創造傾向と領土拡張主義的傾向の保障
 4、諸要因の相互関係
U、国家のイデオロギー的構成原理
 1、政治的イデオロギーの形成
 2、自由主義の論理
 3、自由主義から自由民主主義へ
 4、自由民主主義の論理
V、国家の担い手
 1、 政党
 2、労働者階級とその闘争の特質
 3、政党の発達
 4、政治的階級とは何か
W、国家権力機構
 1、議会選挙
 2、議会と内閣=政府
 3、行政・軍事機構
 4、国家権力機構の再形成・循環と政府優越の法則的傾向

 Tにおいては、国家はなぜ発生するか、について考察する。
 国家の発生の要因となるのは、まず、資本主義社会の共同事務の遂行である。資本主義社会の共同事務として、@貨幣の度量標準の確定および貨幣の鋳造、A商品交換の規範の遵守、B公共施設、公共事業の設立と運営、C公教育、などが存在する。
 階級性を有しながらも国民的な性格を備えている資本主義社会の共同利益・共同事務の遂行、これは国家が国民的な共同体として現われる物質的基盤となる。
 次いで、労働者階級の闘争の抑圧、社会秩序の維持である。資本主義経済の本格的確立は、法外な長時間労働、婦人・児童労働の濫用、賃金の最低限度への低下など、労働者大衆に過酷な犠牲を強要して可能となる。それゆえ、産業革命の進行過程では、史家たちによって「大体において暴動の時代」、「内乱の歴史」などと特徴づけられるように、ラダイト運動、「スウィング」暴動、「点火栓引き抜き」暴動に代表的な、数多くの暴動、蜂起、騒擾など、労働者大衆の反乱が連続する。財産破壊的な労働者大衆の闘争の激発にたいして、警察や軍隊を備え、その強大な力によってこれを抑え込み、社会的秩序を保持しなければならない。この面では、国家は私有財産あるいは有産者の防衛にあたる政治的支配の機構として現われることとなる。
 加えて、機械制大工業の確立とともに、大量生産される廉価な製品の販路、大量消費される原料資源の供給、あるいは投資の捌け口を求めて、資本は海外市場への飛躍的な拡大能力を発揮する。自由貿易によって、資本による全地球の市場化傾向が推進され、未開発や低開発の諸地域の門戸開放が迫られ、更には植民地や従属国が築かれる。かかる資本の世界市場創造的傾向と領土拡張主義的傾向は、世界屈指の強力な陸・海軍なしには保障されない。
 こうした三つの要因が重複するが、資本主義社会の共同事務の遂行は、国家の発生の抽象的な可能性を、労働者階級の闘争の抑圧はその実在的な可能性をかたちづくる。別言すると、社会の基本的関係をなす資本家階級と労働者階級のあいだの生動的な闘争は、敵対的な矛盾によって運動する動力を有し、資本主義社会の内的矛盾の外的な発展的転化形態として、国家の発生を決定的に根拠づける。資本の世界市場創造的傾向と領土拡張主義的傾向の保障という対外的な要因は、それを加速する。

 Uでは、国家はどのようにして発生するか、その過程的な態様を明らかにする。
 資本主義的な支配=服従関係から湧きおこる階級闘争に直面して、経済的に支配する資本家階級は社会的な対立を抑えて国民的な秩序を確立すべく政治的な支配を欲する。政治的イデオローグたちが、政治的目的とそれを達成する手段である国家についての体系的な実践的構想、すなわち国家の構成原理となる本源的な政治的規範、政治的イデオロギーを創出する。
 本源的な政治的規範は、自由、平等を公理とする自由(主義的)民主主義のイデオロギーとして形成される。それは、絶え間なく無数に繰り返される商品交換をつうじて自生し生活世界の規律として定着する自由、平等の規範を素材として造出され、人びとに正当性が観念され、社会的に承認された思想形態としての性格を備えている。
 そして、自由民主主義の規範に導かれつつ、これを対象的に実現する形で、国家が機構的に組織化されていくことになる。
 自由民主主義は、自由主義を土台にした民主主義であり、自由主義の民主主義的変革により創成される。
 自由主義の論理は、イギリスのブルジョア革命による新国家創設の思想を集大成し、アメリカ・独立革命やフランス・ブルジョア革命で高唱された人権宣言の理念を定礎したロック『統治二論』に結晶している。それによると、人びとは生来的に自由、平等であり、身体と財産に関する自由の総体としての「所有権」の保全を目的とし、その手段として国家を設立する。この自由主義国家においては、すべての人が国民として国家の結成に加わるとはいえ、国民は財産の有無に応じていわゆる「能動的市民」と「受動的市民」とに分かたれていて、財産による制限選挙制が敷かれるし、国王や貴族も国民の代表者として存在する。
 自由主義は、産業革命による資本主義的生産の飛躍的発達、産業資本家の興起や労働者階級の登場といった社会的地殻変動に対応して、民主主義化される。近代初期に民衆を代表した平等派、ルソーなどの急進的民主主義者には想像もできなかったほどの豊かな富の産出、財産所有の格差の拡大を基礎にして、逆説的だが、政治的な自由と平等を原理とする自由民主主義が実現され、隆盛するにいたる。
 自由民主主義は、ベンサム『憲法典』において理論的にまとまった姿で提示される。その論理では、身体と財産の自由に続いて新たに言論・出版、集会、結社の自由などの精神的自由、選挙権・被選挙権などの政治的自由も各人にひとしく保障され、それとともに「最大多数の最大幸福」が統治の目的として掲げられる。そして、国民主権―成年男子普通選挙制―代表制議会としての立法府―首相と大臣たちから成る執行府―共和制という代表議会制民主主義国家の像が指し示される。

 Vにおいては、国家はどのようにして発生するかを、ここでは主体的担い手の面から明らかにする。
 自由民主主義の規範に則って国家の創設を推進するのは、政治家statesmanの集団であり、彼らが率いる政党である。
 資本家や土地所有者の経済的支配階級から分化して、政治的支配を担う職業的な専門家集団がかたちづくられ独立する。政治的な主義主張に燃えて国家の創建に献身する政治家の集団がその魁であり、職業政治家集団を最高指導部にして政党が組織される。更には、国家の行政的、軍事的機構の制度化につれて、高級官僚、将校が政治的支配に従事する集団として出現する。
 政党は、資本主義社会からの国家の分立の媒体であり、双方を架橋する。政党なくしては、代議政治は成り立たないし、国家権力機構は運行されない。
 政党は、職業政治家が指導者として同調者や支持者を党員として結集するのを原型とする。この国家の形成の起点での原政党protopartyは、国家の再形成とともに明確な政綱を掲げて全国的な組織網を備えた政党へと漸次的に発達する。その本性からして、政党は民主主義を名乗っているとしても、寡頭支配を鉄則とする。
 政党は、自由民主主義の紀綱に共通に立脚しながらも、それを実践的に具体化する綱領・政策において多様に分岐し、典型的には、保守(主義)政党と進歩(主義)政党が対抗し協調しあう、二大政党制をとる。ブルジョア二大政党が、国家の機構的編成過程を統導し国家権力の支配的担い手となるとともに、政府権力の担掌をめぐって競争し闘争しあう。
 他方、労働者階級の政党は未だ存在しない。労働者階級は、階級闘争を契機に階級意識、階級組織を形成し、自然成長的に労働組合運動を展開し、更にはチャーティスト運動のように政治的民主主義運動を繰り広げる。だが、独自の政党を結成するにいたらず、二大政党の影響下から脱しえずに、多くは進歩主義のブルジョア政党の支持部隊にとどまる。
 しかし、目的意識性と組織性を備え独自の政治勢力として自立しうる可能性を有する労働者階級とその闘争を包摂するには、国家は民主主義的な代表議会制国家として編制されざるをえない。自由民主主義の代表議会制国家という特有の形態は、被支配階級である労働者とその闘争の歴史的特質によっても規定される。
 ところで、近代においては、経済・社会と政治・国家の分離に対応して、身分制は階級制に転換し、階級も経済的階級と政治的階級に分化して存在し、支配も経済的支配(階級)と政治的支配(階級)の分業と協業によっておこなわれる。
 そこで、政治的階級とは何かについて、@職業、A社会的出自、B政治的イデオロギーへのかかわり、C政治権力ないし国家権力との関係,D市民的、政治的な自由、の5つの標識から、その複雑な存在構造にアプローチする。
 例えば、@では、政治家、高級官僚、将校は、年中朝から晩まで政治、行政、軍事に専従する、完全なプロである。他方、労働者、手工業者・小商人・農民などは、偶さかに政治について言動するだけであり、行政にも軍事にも無縁な、まったくのアマチユアである。前者は政治的支配階級を、後者は被支配階級を構成する。

 Wにおいては、国家権力機構がどのように編制されるか、について考察する。
 選挙による国民代表制議会の定立をもって、国家権力機構の形成が始まる。
 選挙は、諸政党による上からの選挙民大衆の政治的組織化と選挙民大衆による下からの政治的意志表明との二重的統一過程をなす。意志の伝達は双交通である。だが、ヘゲモニーは政党に握られており、有権者は政党が喧伝する綱領・政策に触発されて自らの意志を形成し、諸政党が送りこんでいる議員候補者たちのなかから支持者を選んで投票する。
 政党制と国民代表制は不可分離であり、議会選挙は、諸政党の指導部が選挙民大衆を政治的に統合するとともに国民の代表者集団としての公認の地位を得る過程である。
 議会制民主主義は、政党を介した代表制の民主主義である。国民の代表者としての議員が選挙民に代って意志を決定(=代意)しそれを行使(=代行)する。議員は選挙民からの独立を保障されており、国民主権が謳われていても不可避的に形骸化する。
 国民代表制は、被支配階級をも等しく国民として国家に統合し、大衆的同意を調達し確保しつつ、少数エリートの統治がつらぬかれる、近代に独自の巧妙な政治的支配のシステムである。
 国民代表機関である議会においては、あまり均衡を失しない選挙民の支持を集めた二大政党が拮抗し、“討論による統治”を進め、多数決の方式をとって議会としての意志を決定する。
 議会は、首相と内閣を選定する。議会で多数を占めている政党の党首は、議会の指名を受けて首相に就任し、内閣=政府を組織する。
 内閣は、議会から誕生し議会によって命運を握られている、議会の委員会である。議会による内閣の統制、これは、議会と内閣が一体的に結合し共働する議院内閣制の一面、議会政治parliamentary government の面である。
 内閣においては、首相が特別に強力な地位にいる。首相は諸大臣を任命し、閣議を運営して立法と執行の指導にあたる。それとともに、内閣は、共同責任制に立つ。
 首相の強大な権力や大臣の共同責任といった内閣の特質は、議会で多数を制している政党によって内閣が構成されていることで保障される。議院内閣制は、政党内閣制でもある。議会の委員会である内閣は、従って、多数派政党の委員会でもある。
 議会と内閣は、本源的な政治的規範によって公定された国家の目的・機構・作用を果たすには、それらを民法・商法、憲法・行政法・刑法などの法律的規範として具体化し体系化して定めなければならない。
 本源的政治的規範に規定された国家権力は、とりわけ憲法の制定により、行政も軍事も裁判も定められた法律的規範に従って行使されなければなくなり、二重に羇束されるようになる。政治的国家は、立憲国家、法治国家となる。
 立法は、議会と内閣の共働による。
 立法計画の源泉は政党の政綱にあり、議会の多数派であり内閣を担当している政党は立法を発案し、法律的専門家、専門委員会、関係団体などの手を経て法律案が作定される。立法の準備過程の主導権は、内閣に握られている。
 内閣によって上程された法律案は、議会において審議され表決に付される。議会で可決されることなしに、法律は生まれない。
 議会には、内閣の提案を承認せんとする与党議員が待ち構えている。内閣の立法目標は、すべて与党のそれなのである。議員が所属政党の決定に反して表決する交叉投票は、例外的である。二大政党制下の議会では、野党の反対は実を結ばず、内閣提出の法律案は与党に賛成を得て自動的に通過する傾向をもつ。
 立法は、内閣と議会の共働作業としておこなわれるが、法律案を準備し、議会での審議を乗り切って法律へと導くうえで舵をとるのは、内閣である。まさしく、内閣が議会の助言と承認を得て立法する。
 歴史的にみると、立法は、18世紀の寡頭議会制と朋党factionの時代には議会の掌中にあったが、19世紀に議会制民主主義と政党political partyの時代へ推転するとともに内閣の主導権下に移行した。
 議会内での法律案の審議が形式的なものになっていくのとは逆に、野党と内閣・与党の応酬をつうじ、新聞による議会討論の報道の開始も加わって、議会が国民への政治的な宣伝、教育の舞台としてもつ意義が逓増する。
 議会と内閣の相互関係としては、議会は不信任決議を突きつけて内閣を辞職に追い込むことができる。反面、内閣は議会を解散させることができる。つまり、内閣は議会から派生するが、誕生した内閣は、両機関の交互作用のなかで、それ自身の性格を備えて自立し議会にたいして優位する機会を獲得する。結果が原因に転化し、規定されるものが規定する。内閣は、議会の一委員会から議会の指導委員会に転じる。
 19世後葉には、多くの証言が遺されているように、内閣は国家の最強力団体、国家権力機構を統括する機関となり、内閣=政府を率いる首相は国家の最強力人物となる。この面では、議院内閣制は内閣政治cabinet governmentである。
 議院内閣制において、議会政治はその公開的方面であり、内閣政治は秘儀的方面である。
 内閣=政府に下属して、国家発生の諸要因にしたがい国家に課せられている任務を法律、政策にしたがって執行する行政と軍事の権力機構が、計画的な分業による協業の方式をとり、ピラミッド型の上下関係をなす諸機関の体系として編制される。
 産業資本主義社会の発展に対応して、行政諸機関が設立される。イギリスでは、行政革命により、救貧法委員会(後に救貧委員会へ)、国教教務委員会、枢密院教育委員会、精神病委員会、衛生委員会、工務院、慈善委員会、植民省、商務院、等々の新設が相次ぐ。それらは有給の専門職員によって担われる。職業官吏制度としては、先進資本主義に照応するアングロ=サクソン型は後進資本主義に対応するプロイセン=ドイツ型と類型的に相違するが、イギリスでも19世紀半ばから職業官吏が急増する。
 他方、軍事に関しては、警察、軍隊が設置される。イギリスでは、労働者大衆の頻繁な暴動や議会改革を求めて高揚する急進派の運動にたいする措置として、1813年から39年にかけて騎馬警察隊、首都警察隊、更に全国の市町村の警察隊が創設される。対外関係では、19世紀初めに数世紀におよんできたフランスとの戦争に決着をつけ、世界で最強の海軍を保持する国となり、七つの海を支配する海洋帝国を築く。植民地インドでのインド軍も、ビルマ、アフガニスタン、中国などに侵攻して帝国の拡大に活躍し、イギリスの戦力を補完する。
 こうして、中央集権的な行政・軍事機構が確立される。
 自由民主主義国家の機構は、経済的基礎としての産業資本主義との関係では“自由放任”に象徴されるように合理的で最小限化の傾向をもつが、以前の時代と比較すると格段に強大化していて、他国を凌ぐ強力な権力を備えている。

 さて、国家は叙上のごとき発生過程を反復し、不断に再形成される。
 国家権力機構の形成は、政党→国民−(総選挙)→議会→内閣という過程を辿った。再形成は、内閣による議会の解散をもって始動する。議会の解散をうけて総選挙がおこなわれ、総選挙において議会の多数を制した政党が、新内閣=政府を組織する。内閣→政党→−(総選挙)→議会→新内閣という順路である。国家権力機構は同じ継起的諸段階を繰り返す形で循環して運動する。
 国家権力機構の再形成・循環の過程で、内閣が交代し、二大政党間での政権のたらいまわしが繰り広げられる。政権の周期的な交代によって、かえって統治の安定性が保たれる。
 また、前述の原政党は、国家の再形成とともに、明確な政綱を掲げ、党首をはじめとする指導部、党務に専従する活動家グループ、一般党員大衆の階統制から成る全国的組織網を備えた政党として発展し確立する。
 そして、政党のリーダーシップによって、循環過程の国家権力機構は運用される。
 それとともに、国家権力機構の編制では、内閣=政府が議会に優越する傾向、内閣政治の傾向が進展する。当初の構想として宣明され憲法規範でも高唱された議会の優越は、内閣=政府の優越に転結する。 
 労働者をはじめとする国民大衆の役割は、二大政党のいずれが公式に統治すべきかの総選挙での決定に加わり、この制度に大衆的認可を与えることである。循環過程のなかで見ると、大衆の普通選挙権の行使は、等質的な諸個人のあいだでの結合契約ではありえず、前近代の統治(=服従)契約の近代化された形態であることが浮かび出る。その近代性は、被治者による治者の選択と治者の周流にある。
 ところが、こうした国家権力機構の循環は、国民−(総選挙)→議会→内閣→政党の過程を含んで成っている。この断面で捉えると、国民が総選挙によって内閣と政党の命運を決する。国民は政治の主人公として、政党政治や内閣政治は国民による民主政治として現われる。

 叙上の本論の他に、本書は、国家とは何かへの多角的なアプローチとして4本の論稿を付論として収めている。

 付論 マルクス、グラムシ、アルチュセール
第1章 マルクス『フランスの内乱』を読む
 1、パリ・コミューンと国際労働者協会、マルクス
 2、コミューン型国家の開発
 3、協同組合型社会の展望
 4、『フランスの内乱』の歴史的な限界と意義
第2章 グラムシの「国家=政治社会+市民社会」をめぐって
 1、ファシズムの国家体制、イデオロギーとの対決
 2、ヘーゲル的な国家主義的問題構成
 3、国家論の地平
 4、拡張された国家概念の射程の限定性
第3章 グラムシの「陣地戦」と「政治社会の市民社会への再吸収」をめぐって
 1、「陣地戦」革命論の展開
 2、エンゲルス「陣地戦」論の継承
 3、グラムシ「陣地戦」論の問題点
 4、「政治社会の市民社会への再吸収」の構想
補説 グリュックスマン『グラムシと国家』について
第4章 アルチュセール国家論の再審
 1、理論的特徴
 2、国家装置論の国家主義的再構成―「国家のイデオロギー的装置」論―
 3、資本主義的再生産についての国家主義的改釈
 4、アルチュセール理論の破綻

 これらの諸論文においても、従来の通説、有力説を批判的に乗り越える説論の提出に努めている。