レーニンのボナパルティズム論
 「レーニンの民主主義論(二)」の補説
 『富山大学教養部紀要』第22巻2号 1990年2月


 レーニンによるロシアの現状分析へのボナパルティズム論の適用は,1905年革命後のストルイピン時代,それに加えて1917年革命時のケレンスキー政府を対象に,二度にわたった。レーニンのボナパルティズム理解は,マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』,エンゲルス『住宅問題』,同『家族,私有財産および国家起源』を主要な依拠文献とし,エンゲルスが上記の二著その他で要約したボナパルティズム論に立脚している。『プリュメール18日』から『フランスにおける内乱』へかけてのマルクスのフランス第2帝制・ボナパルティズム研究の重大な転換を追構成したり,フランス第2帝制やドイツ帝国の現実の実証的分析と照合したりして,レーニンが新しく付加した論点はない。そのことによって,国家論全般の例に洩れず,後期エンゲルスの手になる通俗的なボナパルティズム論の限界や欠陥をも,そのまま踏襲している。

 レーニンによる代表的な定義を三つほど挙げよう。

 @「ボナパルティズムは,民主主義的改革および民主主義革命のもとで,ブルジョアジーの反革命性から生じる統治形態である」(1)

 A「ボナパルティズムの基本的な標識……。すなわち,軍閥(軍隊の最悪の分子)に依拠する国家権力が,多少とも均衡を保っている二つの敵対的な階級や勢力のあいだで掛引している」(2)

 B「ボナパルティズムとは……没落しないためには際どい切抜策を講じ,統治するためには媚態を呈し,気にいるためには買収をおこない,──銃剣だけをよりどころとしないためには,社会の屑ども,正真正銘の泥棒,詐欺漢と兄弟の交わりを結ばざるをえない君主制の迂回戦術である」(3)

 @は,反動的,反革命的な歴史的存在性格,Aは,(ブルジョアジーとプロレタリアートの)階級均衡の上に立つ例外的な国家,Bは,諸階級のあいだを巧妙に泳ぎまわる策略に満ちた政策,政府党としての雑多な分子の徒党という,通説的なボナパルティズムの最も基本的な特徴的標識をそれぞれに表わしている。

 その時々にレーニンがボナパルティズムの指標として論示しているのは,以下のような諸点である。

 ○経済的破綻。「この〔ナポレオン3世の〕政体は,国を経済的破綻へ導いた」(4)

 ○階級均衡。上の定義@の他に,「皇帝主義の基礎──ブルジョアジーはもはや,プロレタリアートはまだ・・・・・・なかった」(5)など。

 ○革命情勢のもとでの反革命性。定義@の他に,「ナポレオン〔1世〕の反革命的独裁」(6)

 ○雑然としたよせあつめ分子の徒党による支え。定義B以外に,「支柱になるのは特定の諸階級ではなく,・・・・・・主としていろいろな従属的階層から人為的に選びだされたよせあつめ分子」(7)

 ○軍閥への依拠。定義A。

 〇人民投票への依拠。「ボナパルディズム的君主制,人民投票による君主制(ごまかしの人民投票に依拠する君主制)」(8)

 〇超階級的,超党派的な装い。全方位的な欺瞞的立ちまわりのやり方。定義Bの他にも,「ボナパルティズム・・・・・・というのは,資本家の党と労働者の党のあいだのきわめてはげしい闘争を利用することによって,超党派を装おうとつとめるような政府のこと」(9)など。

 これらはいずれも,通説にそっているが,そのうち初めからの3点は,明らかに歴史的事実に合わず当を失しており,通説の欠陥を再現している。後期エンゲルスによって概括されたボナパルティズム論の基本的問題性については,拙著『マルクス,エンゲルスの国家論』第5章,第7章1節ですでに指摘しているので,ここでは簡略に批判点を記す。

 ○経済的破綻に関して。フランス第2帝制やドイツ帝国の経済的実態とはまったくかけはなれており,現実把握として狂っている。当時の後進的発展国たるフランス,ドイツの産業革命と工業国への発展は,ボナパルティズム国家を政治的槓扞として達成された。ボナパルティズムは経済的躍進を基礎状態にしている。

 ○階級均衡に関して。ボナパルティズムの全過程については,あたらない。検討を要するのは,せいぜい成立局面と崩壊局面である。1848年の諸革命に続くボナパルティズムの成立局面にあたって,マルクス,エンゲルスはフランスやドイツの革命情勢につき主観主義的な誇大評価に陥ったのであったが,その時期は,産業革命の開始期であり,ブルジョア階級は充分な発達をとげておらず,プロレタリア階級はそれ以上に未発達で独自の革命を遂行する力量を形成していなかった。言いうるとしたら,ブルジョア階級が国民的支配力を欠き政治的ゲモニーを揮うことができないことからする,諸階級,諸勢力の消極的な,政治的階級均衡である。階級均衡という把握の直接の対象とされたフランス第二帝制の崩壊局面についても,当時は産業革命の完成を迎えていたが,全国的な階級決戦的なブルジョア階級とプロレタリア階級の勢力伯仲としての階級均衡ではない。パリ・コミューンは,ブルジョア階級にたいするプロレタリア階級の社会主義的に尖鋭化し深化した激烈な闘争の首都での突出である。階級均衡は限られた狭い範囲でしかあてはまらない。ポルパルティズムの全過程的な社会階級的基盤としては,誤解を含んだ階級均衡としてよりも,農民をはじめとして広汎に存在する中間諸階級を挟んでの,ブルジョア階級とプロレタリア階級とによる基本的社会関係の形成として捉えるのが,妥当であろう。

 ○革命情勢下での反革命性に関して。マルクス,エンゲルスが後年には自己批判した,1848年の諸革命時点の主観主義的把握の教条主義的な受け売りである。産業革命の経済的,社会的大変動に対応する政治的変動として,ボナパルティズムは,下からの変革,革命運動を封殺しつつ,しかしその要求をとりこんで,強権的な弾圧の反面では普通選挙権の採用などの民主化に踏み切り,上からの改革を推進した。その意味では,一定の進歩性,革新性をもつ。本源的には,後進的な産業資本主義建設に適応した,強権的な上からの改革,これが,ボナパルティズムの歴史的存在性格の特徴である。今日の開発独裁の先駆としての意義をもっている。

 レーニンは,フランス第二帝制・ボナパルティズムとドイツ・ボナパルティズムの相違──例えば,「フランスでは,ブルジョア君主制とボナパルティズム的帝制は,たがいにはっきりと,際立って異なっていたが,すでにドイツでは,ビスマルクはこの二つの型の『結合』の手本を示して〔いる〕」(10)──を踏まえて,ストルィピン時代の分析には,絶対君主制からボナパルティズム君主制への移行というエンゲルスの命題にまとめられる,ドイツ・ボナパルティズム論を適用する。その際,上のエンゲルス命題を一段と後進的なツァーリズム・ロシアの地に引き寄せて解釈し敷衍する。「歴史科学では,絶対主義の本質的な特徴を保っている政府のこうしたやり方は,ボナパルティズムと呼ばれている」(11),といった記述が,その典例である。わが国で流行したドイツに関する「似而非ボナパルティズム」論は,レーニンがこのようにツァーリズム・ロシアにあわせたボナパルティズム概念を,ドイツ・ボナパルティズムに逆適用した一面を有している。

 エンゲルス命題の1905年革命後のロシアの現状への適用は,正当であろうか。是非の判断は容易ではない。当時のツァーリズムをドイツ・ボナパルティズムの世界史的に一段階おくれた後追いとして捉えるのは,大旨首肯しうるようにも思われる。が,諸々の特異性を備えた新しい事象へのありあわせの所論のおしきせの感は拭いがたい。やがて帝国主義の研究に着手したレーニンは,ドイツにおけるビスマルク・ボナパルティズムの転化形態を「軍事的・ユンカー的・ブルジョア的な帝国主義国家」(12),他方でロシアにおける絶対主義の転化形態を「軍事的=封建的帝国主義」と規定する。こうした点も勘考しながら,新しいアプローチを考えてみる必要があろう。その場合には,統治形態として,フランスの復古王制との類似性に着目して,これらを君主主義的寡頭制と規定するのも一案である。いずれにしても,問題の解決には,今後の研究の進展に挨たなければならない。

 いま一つのケレンスキー政府へのボナパルティズム概念の適用は,不当である。レーニンがケレンスキー政府を「ボナパルティズム的政府」(13)と規定するにあたって主要指標として挙げているのは,ブルジョア階級とプロレタリア階級の勢力伯仲的階級均衡,権力均衡,反革命性であるが,それらはいずれもそもそもボナパルティズムについての誤解の産物なのである。ブルジョア的な臨時政府と労働者,農民大衆のソヴェトという,本質的に相容れず,長期にわたっては共存できない二つの政治権力が一時的に括抗する二重権力の意味での権力均衡は,ボナパルティズムとは別物である。また,レーニンは「ナポレオンやカヴュニャクの徒が革命をうちたおした」(14)と述べて,ナポレオン3世とカヴェニャク将軍を反革命として同列扱いしているが,両者の政治的立場と役割には相違があるし,反革命性の点でケレンスキーと同じなのは,ナポレオン3世ではなくカヴェニャクである。ケレンスキー政府を「ボナパルティズム政府」とするのは,プロレタリア革命時の二重権力状況下の反革命とボナパルティズムのそれぞれの真意をともに損うものである。

(1) レーニン「樹を見て森を見ず」,第25巻,276頁。
(2) レーニン「ボナパルティズムの始まり」,第25巻,242貢。
(3) レーニン「現情勢の評価について」,第15巻,259頁。
(4) レーニン「コミューンの教訓」,第13巻,489頁。
(5) レーニン「コミューンにかんする講義プラン」,第8巻,200頁。
(6) レーニン「さしせまる破局,それとどう闘うか」,第25巻,389頁。
(7) レーニン「選挙における聖職者と聖職者をもってする選挙」,364頁。
(8) レーニン「遠方からの手紙」,第23巻,336頁。
(9) レーニン「革命の教訓」,第25巻,258頁。
(10) レーニン「選挙における聖職者と聖職者をもってする選挙」,365頁。
(11) 同上,364頁。
(12) レーニン「『左翼的』な児戯と小ブルジョア性とについて」,第27巻,342頁。
(13) レーニン「紙のうえの決議」,第25巻,286頁。
(14) レーニン「『左翼的』な児戯と小ブルジョア性とについて」,340頁。