拙稿「グラムシの『陣地戦』と『政治社会の市民社会への再吸収』をめぐって」(『唯物論研究』第121号)への松田コメントについて
『唯物論研究』第123号 2013年 5月


 『季報 唯物論研究』121号の拙稿「グラムシの『陣地戦』と『政治社会の市民社会への再吸収』をめぐって」について、同誌122号で松田博さんからコメントをいただいた。
 コメントしてもらって大変に有難い。
 コメントの内容については、拙稿に乏しかった視点についての有益な指摘が存するものの、誤解や擦れ違いが多くてそれらを正さざるをえないのは残念である。
 コメントは、1〜5に分けられている。

 1では、「全体的特徴」として、@『獄中ノート』と投獄以前の論文等の区別と関連の検討がなされていない、Aコミンテルンについてその具体的な歴史的展開が無視され、全体として否定的な存在とされている、B『獄中ノート』の検閲や文献資料入手の制約などについてほとんど考慮されていない、が挙げられている。
 @について、ファシズムに敗北し、しかも獄中の囚われの身となったことは、グラムシには巨大な衝撃であり、従前の実践にも理論にも深刻な反省を迫ったに違いない。それに加え、ソ連・コミンテルンにおけるスターリン(主義)の台頭があった。こうした状況の変転に応じて、当然、グラムシの思想、理論も変化せざるをえなかった。その場合、『獄中ノート』と投獄前の理論的見解の連続性・非連続性は、論項によって違いがあるだろう。拙稿でも、不十分であれ一通り検討はおこなった。しかし、非連続性についての検討が稀薄であったことは認める。また、イタリア語の能力がなく、検討は邦訳された文献に限られている。
 そうしたなかで、最終的な断定は下せないが、革命論では陣地戦論への転換・断絶があったが、ソ連「社会主義」の評価やプロタリアート独裁などをめぐっては基本的見地を保持していた、と判断した。具体的な項目ごとに、連続性・非連続性、断絶ないし刷新があればその度合い、を分別する議論を望みたい。
 Aについて、特に初期コミンテルンの意義や役割は評価されるべきだとされるが、その創設を含めてコミンテルンについて、これまでの著論で折につけて言及してきているように、批判的見解を小生は抱いている。評価をめぐってかなりの相違が所在するが、この問題は別個に論ずべき事柄であって、グラムシ理論を主題とする研究では立ち入らない。
 Bについて、『獄中ノート』の制約性に関しても、考慮してはいる。だが、なお不十分であると受けとめる。ただ、具体例として、「著者[=大藪]はグラムシがエンゲルス書簡に言及していないことを批判的に述べている」、と指摘されているが、これは誤解による。
 グラムシが陣地戦論の展開にあたり、エンゲルスの有名な“政治的遺書”における陣地戦論、更にイタリアでの陣地戦論を提唱したトゥラーティヘの手紙に言及しなかったのは、なぜだろうか。勿論、検閲をくぐらねばならない配慮がある。だが、検閲下でも、エンゲルスをぼかした表現は可能であり、ノートの他の箇所では「第二の者」と記したりしている。本ケースでは、トゥラーティその人がイタリア共産党結成に際し改良派として排除された社会党の指導者の一人であったという事情に絡んだ政治的な思惑があるかもしれない。それについては具体的な調査が必要である。これらを考慮すると、決定的な要因が何なのか決め難い。「いかなる理由なのか」と記した次第である。いずれにせよ、グラムシに対して「批判的」に述べているのではない。「批判的」ということであれば、グラムシ研究者たちが陣地戦について論じる場合に、エンゲルスの陣地戦論にもトゥラーティヘの手紙にも言及しないことに対してである。

 2のコメントでは、「著者は、グラムシの政党論は『経済決定論的傾向』をもつコミンテルン型政党論の継承であり、陣地戦革命論の『重大な難点』である、としている」。「グラムシの政党論は」「一方では経済決定論的な政党論への批判であるとともに他方では『機動戦』型の政党論批判でもあり、そのなかで『集団的知識人』としてのグラムシ的政党論が練成されていくのであり、著者はレーニン以来の『革命政党論は刷新されていない』と断定しているが、その根拠は示されておらず同意しがたい」、とされている。
 拙稿では、グラムシが「革命政党―共産党―にあまりにも大きな地位と役割を与えている」難点を挙げ、その1点目として「現代の君主」に擬えられ「ヘゲモニーのための闘争の成否の鍵を握る存在とされている」し、「党は、萌芽的な国家構造」(Q3§42)の句には党=国家体制の是認が含意されていること、2点目として「どの階級もそれぞれ自分の党を一つずつもつという理論上の真理」(Q15§6)という文言は経済決定論的で、また一国一前衛党の教条と結びあうことを批判している。これらの論目はコミンテルンの革命政党論の根幹部にあたるし、それらを論拠に「革命政党論は刷新されていない」とした所以である。
 コメントでは、そうした理論的な脈絡と内容が無視されている。そして、すれ違いのコメントがなされている。なによりも、上記の2点のグラムシ革命政党論批判についての見解の表明を要望したい。
 拙稿は、グラムシ理論の無批判的な研究が支配的な現状への問題喚起として、彼の所論の意義を踏まえつつも、その限界、難点を摘出するのを主眼としている。それもあって、グラムシによる革命政党論の刷新の取り組みについては、基幹に及ぶものではなかったと捉え、これを取りあげていない。その点は反省して、今後保守と刷新の両面を明らかにするようにしたい。
 但し、彼の集団的知識人論や有機的民主集中性論などは、革命政党論の補強としてではなく、複数政党論、それにとどまらず、複数政党を含む、政治的、社会的、経済的、文化的など、革命的変革の推進母体として前衛の役割を果たす指導諸集団論の新構築を課題として、解体的に摂取する方向をとるべきではないか、と考えている。

 3では、拙稿がグラムシ陣地戦論の難点として摘示した欠落事項、a、「国家の内部における陣地戦」、b、「市民社会における例えば軍事に関する陣地戦」、c、「経済領域における陣地戦」ののなかから、bとcを取り上げ、反論として、bについて「『情勢分析―力関係』という重要な草稿において「軍事的諸勢力の関係」について分析している」し、cについては「『アメリカニズムとフォード主義』に関する考察が重要である」とされている。
 しかし、草稿「情勢分析―力関係」は、軍事的力関係をモメントの一つとする力関係を情勢分析として扱っているであって、陣地戦として扱っているではない。換言すると、扱っているのは対象認識の問題としてであって、それを踏まえての対象変革の実践の問題としてではない。草稿「アメリカニズムとフォード主義」についても、どの論点をどう読み替えて経済領域における陣地戦論に組みこむかについて教示を俟ちたい。

 4では、拙稿での「最終的局面での革命闘争の問題」として「国民的一斉決起の総攻勢がどのような闘争形態をとるべきか」について解明を要するという提起に関して、「著者のイメージは『国民的一斉決起の総攻勢』からすれば『陣地戦』的な発想ではなく『機動戦』的な発想ではないかという疑問を持たざるをえない」、とされる。
 これは勝手な思い込み批判である。拙稿で思い描いているのは、かつて「1986年のフィリッピンの『黄色い花の革命』、1989年からの旧チェコスロヴァキアや東ドイツでの『市民革命』が、強権的な権威主義体制にたいして、非武力、市民フォーラム、大衆集会、デモ行進、ラウンド・テーブル等の手段で勝利したこと」は「21世紀における革命の重要な一面を予示している」(共編著『アソシエーション革命へ』、141頁)と書いた、そのようなイメージである。
 エンゲルスやグラムシの「突撃戦」をどう解するかを含めて、拙稿でも示唆しているように、陣地戦革命路線における諸々の戦術・闘争形態の相互関連、各国の諸条件に応じた諸形態を解明して豊富化する論議を期待したい。

 5では、「著者はグラムシの『再吸収』論にかんして次のような根本的な批判を投げかけている。それは『プロレタリア革命後の過渡期の国家、経済』について『この方面でのグラムシの独自の理論的貢献はなく、ソヴィエト・マルクス主義の諸過誤を共有している』。Aさらにマルクスの『社会による国家の再吸収』論からもグラムシは『退転』している。B『グラムシの国家と革命の理論は…国家に歴史的発展の推進的契機としての位置を与えることで通底している。20世紀マルクス主義、イタリア・マルクス主義の歴史的特質を共有して、グラムシ理論が背負っている歴史的な限界であろう』。私はこれらの『批判』には賛同しがたい」、とコメントされている。
 拙稿は、グラムシの将来社会構想について、その難点として、a、ヘーゲル法哲学の概念転釈として国家消滅を思い描いている、b、マルクスが解明し提示したコミューン型国家論を見失っている、c、若い時代の評議会国家構想を『獄中ノート』においても抱き続けているかどうか定かでないが、評議会国家は階級権力を直接そのまま国家権力にする無理を内包する、d、革命後の経済体制として国家所有・国家経営・国家経営の国家集権・国家主導(主義)の体制を描いている、e、国家体制としてはプロレタリアート独裁―否定へと転換しているとは推察できない―を想定している、を列挙し、それぞれに検討を加え批判した。
 コメントでは、拙稿で展開している諸論目の肝心の内容にはまったく触れないで、従ってそれらの論目についての意見を示さないままに、「賛同しがたい」の結語だけが表明されている。
 一般的にもそうだが、研究の進展過程にある論題については殊に、賛成とか反対とかの結論よりも、結論を導き出す過程での理論的、実証的解明の深化、通説にとらわれない新規の開拓の敢行こそが重要と考えるのだが。
 グラムシ理論もまた、彼が望みをかけていたソ連「社会主義」の崩壊によって大きな衝撃を蒙った。ファシズムへの敗北に次ぐこの衝撃にともない、とりわけ彼の将来社会構想は、それに革命政党論も、あらためての検討を避けられない。深刻化する数多の矛盾を内包して運動するコミンテルンにあって、グラムシは制覇したスターリン(主義)の行き過ぎに批判的な所見を示すことにとどまらざるをえなかったが、ソ連の瓦解を目撃した今日の時代の研究は、グラムシ自身は体験しなかった第2の衝撃を受けとめて彼が遺した説論の再審に立ち向かわなければならない。ところが、グラムシ理論研究者たちは革命後の建設路線に関する問題への反省的省察をほとんど進めていないように思われる。

 なお、Societa regolataの訳語を「秩序づけられた社会」としていることについても批判がなされている。
 訳語として、他にも「規制社会」、「調整された社会」、「自己規律的社会」など、幾つも存在しているなかで、自分独自のものは出せないし、さしあたって「秩序づけられた社会」を採ったのであって、こだわりはまったくない。
 「自己規律的社会」について言えば、理論的に究明するとそうであるとしても、それを訳語にもあてるのは、研究者の思い入れが強すぎるのではないか、それは理論的な解説や論説として明らかにするべきことであり、訳語としてはグラムシの屈折した表現を伝えるようにした方がよい、と考える。

 コメントの最後部では、「グラムシの論述の未完結性、不十分さを『グラムシの限界、問題点』として即断的に判定するか、あるいは前述のような検閲の問題などの獄中の制約や健康問題に起因するものと見なすか」と、基本的な方法的立場が示されている。
 しかしながら、その二つの問題、グラムシの理論の吟味と彼がおかれていた厳しい諸条件の考察は、どちらかを択一すべきでは決してない。それこそ区別と関連においてそれぞれに検討すべき事柄である。そして、グラムシが立脚し展開した根本理論を検討に付し、特にその難点、過誤の解明の取り組んだ拙稿に「検閲の問題などの獄中の制約や健康問題」の考慮を対置しても、それは擦れ違い、ないしすりかえであり、提出した理論上の諸問題への意見表明がないままでは、議論は不生産的な平行線を辿るだろう。それに、グラムシの理論的限界、問題点は「論述の未完結性、不十分さ」ですまされるものではないだろう。

 コメントは短いものなので、理論的な問題で意を尽くすような表明はできなかったと思われる。今後広くグラムシ理論研究の進展へと論議が開かれていくような対話を願っている。

 大藪龍介