「マルクスは革命後の社会をどう組織しようと考えていたか」
 『AERA Mook マルクスがわかる。』朝日新聞社 1999年10月10日


 1991年のソ連の崩壊によってマルクスの未来社会思想も破産をとげたという見方が、世間では支配的である。 しかし、それは一面的にすぎる考え方であろう。なるほど、「マルクス=レーニン主義」を掲げ共産党を名乗った 勢力によりソ連の体制は建設された。だが、1936年のスターリンによる宣言以来「社会主義社会」と公称されてきた ソ連の体制は、すでに早くから少数の先覚者たちによって批判されてきたように、マルクスが描いた未来社会像とは まるっきり異なっていたのである。

 マルクスは、資本主義社会→プロレタリア革命後の過渡期→共産主義社会(第一段階→高度な段階)という 世界史的発展工程を展望していた。この共産主義社会の第一段階について、以後、社会主義社会という呼称が 広く用いられるようになったが、いずれにせよ、資本主義体制を打倒する革命が達成されても、直ちに社会主義、 共産主義への体制が形成されるのではない。

 資本主義社会から社会主義社会へ移行するには、強制労働や私的所有をなくし、階級的な支配=服従関係を一掃し、 国家を消滅させる、等々の、人類史を劃する全面的で根底的な変革を世界的規模で遂行しなければならない。 そこに、一連の大変革をなしとげてゆく「長い生みの苦しみ」の過程としての過渡期が必要不可欠なのである。

 では、革命後の、社会主義社会への構造的転形の只中にある過渡期の社会について、マルクスのヴィジョンは、 どのようなものであったか。

協同組合的社会の構想

 マルクスの未来社会構想のキー・ワードは、「アソシエーション」であった。「アソシエーション」とは、 協同組合に代表的なように、自由で独立した諸個人が平等な関係を取りむすんで連帯する協同組織── 今日的にいえば、NPO、NGOがそうだ──を、また諸々の協同組合のネットワークとしておりなされる 協同社会を意味する。

 1848年の『共産党宣言』で、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような協同社会」 として未来社会を特徴づけたマルクスは、1860年代に、生産協同組合に秘められている、資本主義的なそれに代わる 新たな経済システムへの発展可能性を見出した。そして、「国際労働者協会創立宣言」や『フランスにおける内乱』では、 協同社会を「協同組合的生産」「協同組合的所有」「協同組合的労働」などによって構成される「協同組合的社会」 として描きだすにいたった。

 従って、革命後の過渡期の経済建設は、資本(家)と賃労働(者)が対立し、営利を至上目的とする企業を単位とした 資本主義経済システムを、協同組合型社会を志向し、協同組合を単位として、労働者たち自らが経営を含めて生産を管理し、 生産手段を所有し、協同労働に従事するシステムへと漸進的に改造してゆく過程である。

 対応して、政治面に関してマルクスが示したのは、国家の消滅への過渡にあり、1871年のパリ・コミューンの 経験にちなんでコミューン国家と呼ばれる、地域自治体の全国的な連合による連邦制の国家であった。

 そこでは、国家権力の社会、人民大衆への吸収が基本的方位であり、常備軍の廃止による民兵制、すべての公務員の 選挙制ならびに随時の解任制、議員が選挙民から遊離する代表制に代えて選挙民の意向に委員を従わせる派遣制、 等の諸原則にのっとって国家は組織される。そして、中央政府には少数の、だが重要な任務を残し、地方自治体は 最大限の自由を有して自ら処理できる事柄はすべからく自らの手で遂行する。

 実はマルクスも、過渡的な方策として、いっさいの生産手段の国家所有化や国家の中央集権化という国家集権的に 偏倚した考えを抱いた一時期があった。だが、現実の歴史の進展と自らの思想的、理論的成熟のなかで、協同組合型志向社会と 地域自治体国家を有機的に結合する構想に達したのであった。

 それとともに、『反デューリング論』などで生産手段の国家的所有化を基本路線として説きつづけるエンゲルスとの、 看過すべからざる理論的分岐を生むことになった。

 もちろん、マルクスの到達にも限界や欠陥があった。重要な点を挙げると、過渡期の経済では協同組合の連合体を主軸にした 計画経済が発展する反面、市場経済が存続せざるをえないのだが、計画と市場のシステム的複合についての 考察を欠落している。過渡期の政治についてプロレタリアート独裁を唱えたが、この独裁が必然的であって、 しかも長期にわたり存続するかのような過剰規定に陥っている。

 ともあれ、革命後の社会に関するマルクスの構想は、中央集権的な国家的所有、国家経営、国家計画をもって 社会主義の端的な標識とする20世紀における通念からすれば、驚くべきものがあるにちがいない。マルクスの未来社会像は、 今日なおラディカルな変革思想としての魅力を保っているし、21世紀にあっても歴史の進路を照射する思想的光源の 一つとしての輝きを失わないだろう。

(大藪 龍介)