「明治維新をめぐって ―『明治維新の新考察』に対する書評へのリプライ―」
 『季報唯物論研究』第99号、2007年2月


 拙著『明治維新の新考察』について、近代日本史の専門的研究者である毛利敏彦さんと永井和さんから親切な批評をいただいた。お二人の書評で、拙著に欠落していたり、説明不足であったりしている論点を教示されて、明治維新についての視野を広げ、更に解明すべき課題を見いだすことができた。御礼を申し上げるとともに、指摘された事柄のうちの幾つかに関し私見を明らかにして、明治維新をめぐっての理論的深化を図りたい。

(1)江戸時代とのつながりに関して

 毛利さんの拙著批判は、何よりも、幕末期日本における経済発展の程度、そしてブルジョア革命の自生的成熟度についての認識に向けられている。

 拙著のなかでは、幕末期には「資本主義の初期的発展が存するとはいえ、自生的なブルジョア革命を可能にする諸条件はなお未成熟であった」と捉え、江戸幕藩制国家については、講座派の「純粋封建制」説は斥け、「封建的性格であれかなりの集権的統一を達成しており、絶対主義的体制に傾斜していた」と触れるにとどめ、今後の検討課題として残していた。これに対し、毛利さんは、「江戸時代社会の市場経済化=ブルジョア化は、西欧諸国とは異なる過程をたどりながらも、日本的諸条件下での自生的ブルジョア革命を可能にする寸前にまで成熟していたし、産業革命後の欧米経済との間に一定の格差があったとしても決定的ではなかった」と説かれ、「江戸幕府は、個別事象での差異はともあれ、広義かつ世界史的視野にたてば、中世から近代への移行期において西欧的絶対王政と並行して出現した日本的絶対王政だったとみなす」と述べられている。

 昨今では概して、幕末期の日本について、その発展度を従前より高く評価する傾向が強まっている。そうした研究方向は、当を得たものとして首肯できる。問題は、発展の内容と程度であろう。私はなお不勉強のままだし、史料実証的に、確たる見解を示すことはできないのだが、毛利さんの説論に関して抱く疑問を記す。

 @、「江戸時代社会の市場経済化が‥‥すでに相当程度に進展し成熟していた」のはそのとおりであるにちがいない。だが、産業革命前ではなく「産業革命」(下線は大藪)の欧米経済と比較して、「一定の格差があったとしても決定的ではなかった」との判断は、江戸時代の経済的発展についての誇大視であろう。機械制大工業の確立や鉄道の敷設に象徴される、産業革命を経た欧米経済との間には、決定的な程の格差があった。

 A、江戸幕府は、毛利さんも指摘されているように、貨幣鋳造権や外国貿易権の独占的掌握、諸大名に対する軍役統帥権や改易・転封権など、集権的国家体制によって全国を統治した。その面では絶対主義国家としての性格を備えていたと言えようが、他面では、有力な外様大名が存立し、天皇・朝廷も実権を持たなかったが存続していた。それらの類例のない特異性の解明がなければ、幕藩制国家を「日本的絶対王政」と規定するには充分でないのではなかろうか。

 江戸時代も末期を迎えた19世紀ともなると、市場経済化、資本主義の成立は随分進展して、商工業者のブルジョア階級も生まれていた。拙論も、ブルジョア革命をまがりなりにも可能にする程度の経済的発展が存したことを否認したのではない。しかし、毛利さんがもっぱら強調されている国内での経済的な発達にもまして、ペリー来航以来の国際的環境の圧力とそれに対応しての政治的な飛躍を重要視した。すなわち、資本主義世界に包摂されるなかでの日本の近代化の至上命令、それに応じた幕藩体制の変革をめぐる政治的激動をつうじて形成された討幕派の勝利、そして新政権を樹立した維新官僚による近代ブルジョア国家建設の諸々の策の断行を、明治維新への跳躍を可能ならしめた主要な力として位置づけた。

 そして、政治先行、国家主導の近代化革命としての明治維新を「史的唯物論の公式に反する革命」と規定するにあたり、拙著では、経済的階級(形成)とは相対的に独自な政治的階級(形成)、「政府が国家権力を手段として推進する」「上からのブルジョア革命」、ブルジョア革命の特質をなすのは政治(的上部構造)の経済(的土台)からの相対的独立性、といった理論的装置を提示した。これらの理論的解明は、唯物史観の公式主義的あてはめにはまりこんできたマルクス主義者達の教条主義を批判するのであって、唯物史観の失効を主張するのではない。

 次に、毛利さんは、江戸時代の歴史的性格の把握如何を明治維新論の「大前提」として重大視されているが、江戸時代の歴史的性格の把握と明治維新が絶対主義の成立か、ブルジョア革命かの把握とは、関連するとはいえ、別個の問題である。

 江戸時代が絶対主義であれば、明治維新はその変革の大規模性からして自ずとブルジョア革命として考察されてくるであろうが、幕末にいたってもなお絶対主義に達していなかったとしても、明治維新が絶対主義の成立ではなくブルジョア革命となることはありうる。近代の世界史的な存立性格に規定されて、諸国の近代的発展は多系的であり、後発国が絶対主義の段階を経過せずに近代化する道も存しうるからである。

 拙著では、講座派や大塚史学の一国主義的で単系的な発展史観を批判し、先進国の外圧をうけて進展する後進国の近代化の特質を「複合的発展」としてまとめた。そして、歴史の諸段階の複合という面から、19世紀後半の近代世界に編入される日本では、絶対君主政を固有の段階として経由することなく跳び越えて、明治維新において絶対主義の形成とそのブルジョア的超出が同時並行的に進行し合成される、特異な過程を辿り進んだ、というように論じた。

 今後自らも研究して江戸時代を絶対主義時代として位置づけるのが正しいということになれば、明治維新での「複合的発展」の歴史的諸段階の複合についての具体的な様相の把握を改めなければならない。

(2)明治維新の時期区分に関して

 毛利さんは、いわゆる明治維新の時期区分に関して、拙著が王政復古から帝国憲法制定・帝国議会開設までを「革命期」としたことについても、批判されている。そして、「その始期は、幕藩制国家滅亡の直接のきっかけをもたらした1853年(嘉永6)ペリー来航とすべきであり、その終期は、近代天皇制国家の形成過程が基本的に完了し、その形態と性格を国家基本法上に確定した時点、つまり、1889年(明治22)大日本帝国憲法発布とする」と説かれている。

 従来、明治維新の時期区分について、始期を天保改革、あるいはペリー来航ないし開国、など、終期を廃藩置県、あるいは西南戦争、あるいは憲法発布、国会開設、などとする諸々の説が主張されてきた。それらの時期区分は無論、明治維新の内容把握と一体であり、明治維新をもって天皇制絶対主義の成立とする論からするものがほとんどすべてであった。

 拙著における「革命期」という問題設定は、明治維新についての従来の時期区分の批判的克服を図ったものであった。@、比較基準とされてきたフランス革命をとると、革命が最高揚した1792−94年の1局面のみを抜き出し一面的に固定化すべきではなく、1789−99年の革命の全過程、全側面を把握しなければならない。つまり、革命の全体像を掌握するには、革命が始まり頂点に達し反転して終結するまでの、波瀾にとんだ全行程を示す「革命」という設定が必要不可欠である。A、明治維新は、絶対主義の成立ではなくブルジョア革命である。明治維新の歴史的な画時代性を表わすには、その時期区分を、従前のパターンから離別して、「革命期」の設定としておこなうのが適切である。B、「革命期」の始まりと終わりは、革命の目標は何であったか、それはどのように達成されたか、という視点から定める。C、憲法の未制定、廃藩置県による統一的な中央集権的国家権力機構の形成、四民平等政策の実施や土地の私的所有権の法認、といった歴史的な矛盾に満ちた明治初年の国家に関して、それらの一部面のみを取りあげて、絶対主義国家の成立を、さもなければブルジョア国家の成立を説く従前の論議を突破して、「革命期」の国家は根本的な体制的転換の只中にあって歴史的二面性をもつものと位置づける。

 以上は、拙著のなかで述べたところである。以下では、毛利さんの意見に接して、補充的説明を加える。

 ブルジョア革命は何にもまして国家体制の歴史的な根本的転換であり、「革命期」は国家体制の歴史的な根本的転形の過程にほかならない。ペリー来航を機にした日本の大変動は、政治的には幕政改革として始まり、公武合体派と尊皇攘夷派の激しい政争が噴出し、やがて幕閣・佐幕派に対する公議政体派、討幕派の争闘を迎えるにいたった。ここまでは、幕藩制国家の体制内部での改革にまつわる闘いであり、国家体制の革命的な転換を意味していない。国家体制の歴史的な根本的転換は、王政復古を画期として戊辰戦争への突入とともに、幕藩制国家から日本型初期ブルジョア国家である明治国家への移行として進行しだした。ペリー来航から王政復古までの期間は、ブルジョア革命としての明治維新の前史―解りやすい例として、1640年からのイギリス革命に1628年の権利請願や1637年の船舶税支払い拒否事件などが前史として先行していたように―として位置づけられるし、時期区分としては幕末期に属するだろう。

 明治維新の歴史を論じる場合に、前史をも含め、ペリー来航から始めるのは記述の仕方として当然である。けれども、それと明治維新の時期区分とは区別しなければなるまい。毛利さん―だけではなく、すべてと言ってよい歴史学研究者―の説では、明治維新の時期区分と明治維新の歴史叙述とが区別されずに混同されているように思う。

 毛利さんは、拙論が明治維新の固有の目標を「独立と立憲政体の樹立」としながら、明治維新の起点を王政復古に求めるのは自己矛盾ではないか、とも指摘されている。確かに、拙論で第一義的な目標として重視している国家的独立は、黒船来航、開国をきっかけとして緊切な課題として浮上したが、国家的独立だけであれば、絶対主義国家の域内で可能であったかもしれない。しかし、19世紀後半の国際的環境にあって国家的独立を実現するには立憲政体化を伴わなければならなかったし、その立憲政体樹立が目標として明確化するのは、五箇条の誓文以降であった。そして、明治維新がブルジョア革命としての歴史的性格を備えることとなったのは、独立に加えて立憲政体の樹立が一体的な目標として定まることによってであった。

 そうした拙論からすると、明治維新を絶対主義の成立と捉えるのであれば別であるが、これをブルジョア革命と規定しながら、その始点をペリー来航に求める説論の方が、自己矛盾だと言える。

 なお、明治維新の時期区分を現今流行の国民国家論の観点からおこなっても、始期はペリー来航ではなく王政復古、5箇条の誓文あたりになるのではなかろうか。  

(3)世界史と一国史に関して

 永井さんも、「『革命期』の始点としては、毛利氏も書評で指摘されているように、『開国』にまでさかのぼるべきであろう」とされる。これについて、永井さんの論文「近代史の視点―日本の近代はいつからはじまるか―」(『日本思想史研究会会報』12、1998年)から関連する論点を取り出して検討し、議論を進めてみたい。

 永井さんは、日本の近代の始まりについて、明治維新とする見方の説得力を承認しながらも、開国とする見方をとり、「『開国』からただちに近代に入ったとする説」を明らかにしている。I・ウォーラースティンの世界システム論が、その論拠とされている。

 それによると、「近代資本主義世界システム」が他の諸世界をそのシステムの内部に包摂することによって、「単一の世界」である「近代世界」がかたちづくられてきた。「近代資本主義世界システム」の拡大・膨張により包摂される地域についてみると、「その地域が「『近代資本主義世界システム』の内部に包摂された時点から近代がはじまる」。つまり、「ある地域の社会が近代に入ったかどうかを決定するのは、その社会の内部の状態がどこまで『近代化』されているかどうかではなくて、その社会が『近代資本主義世界システム』といかなる位置関係にあるのか」である。

 こうした考え方は、戦後歴史学の一国主義的な歴史観への批判として、近代の世界史的な存在性格、近代世界史による各国史の規定性を明確にしている。けれども、反面では、世界システムに包摂される国の歴史についてはその内発性を捨象することになり、戦後歴史学とは逆の一面的に偏った認識になっている、と思う。端的に、日本では、開国に先立って資本主義の成立は始まっていた。

 ウォーラースティンの世界システム論は、世界資本主義のメカニズムによる各国の社会経済の包括、加えて「インターステイト・システム」による国家相互間の関係により、近代世界システムが、中心、半周辺、周辺の3層構造をなして史的に展開してきたことを論じ、世界史を新たに読み解いた。卓越した業績としてこれを摂取すべきである。

 ただ、世界システム論は、一つの構造体として形成された資本主義世界システムの歴史の把握であって、世界システムにその周辺として組み入れられる国の近代化について、その国民経済(形成)、国民国家(形成)に焦点をあわせた分析というアプローチはとらない。世界システム論の対象領域や視点は、一国史や国別の比較史のそれとは異なる。その点で、日本近代史研究において援用するにあたっては、マクロ的な歴史観として継承しつつ、ミクロ的な歴史理論としては補充、再構成が不可欠であろう。

 近代においては、世界市場と国民国家との双方が象徴するように、世界史が各国史を包括し規定するが、他方では中心・半周辺・周辺に成層化されたそれぞれの国の歴史も固有の位相で展開する。そこで、複雑に絡み合う世界史と一国史のそれぞれについて、独自の理論的解明が必要となる。ウォーラースティンの世界システム論は、前者に関するものとして受けとめ、後者に関しては当該国の国際的条件、国内的条件、それらの結びつき合いが具体的に分析されなければなるまい。

 永井さんの場合には、ウォーラースティンの世界システム論をそのまま日本近代史の分析の基準として、世界システムの動向から一方的に日本の近代の始まりを規定している、という批判をもたざるをえない。

(4)後進国の近代化に関して

 永井さんはまた、「『世界システム』論が、1980年代に普及するにつれ、『複合的発展』という考えはむしろ主流に位置するようになったとみてよい」と言及されている。ここでは、「複合的発展」に関する拙論の真意が理解されていないようだ。

 コミンテルンの「32年テーゼ」を機に一国主義的な発展史観に立脚し国内的必然性の観点から明治維新を捉える講座派理論を後継した戦後歴史学においても、その修正として、ほぼ1960年代からは、国際的な環境・関係も合わせて重要視されるようになった。そして、明治維新をしてインドや中国とは異なる近代的発展を可能ならしめた諸要因として、一方での国際的条件、外圧の性格、他方での国内的条件、幕府や維新政府の対応、それら双方の関連をめぐっての論議が活発に闘わされた。

 しかし、修正された戦後歴史学においても、明治維新の一国主義的把握からは脱したとはいえ、@、唯物史観あるいは史的唯物論を科学としたうえで、A、その歴史的発展段階についての公式を「世界史の基本法則」とする、そしてB、「世界史の基本法則」を各国史研究にあてはめ、単系的な歴史観をとる、C、近代化について、絶対君主政を必然的な段階としてそれを打倒するブルジョア革命を位置づける、など、旧来どおりの方法論に立脚していた。これを批判する拙論としては、@、唯物史観はイデオロギー的仮説にすぎず、A、マルクスにより「アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的」として示された歴史的発展諸段階は、世界的規模での歴史の発展を大づかみにしたものであって、一国の歴史の発展法則を表わすのではない、B、各国の近代的発展は、多系的であり多様な道筋を辿る、C、絶対君主政の段階を踏まなくともブルジョア革命への飛躍が起こりうる、などのことを折に触れて述べてきた。

 そして、拙著では、流行する世界システム論とは別個に、後進国の近代的発展の特質の解明を焦点にして、ロシア革命史に関するトロツキーの先行理論を摂取し、国際的契機と国内的契機の絡み合いによる国内外の諸力の合成に、歴史の段階の跳び越えを含んだ、歴史的諸段階の合成を加えて、それらの両面から成るものとして「複合的発展」を定義した。

 「複合的発展」についての拙論は、修正された戦後歴史学と部分的に共通するとはいえ、歴史把握の基本線で相違する。他方で、それは、世界システム論とは対象領域と視角を異にして、後進国の近代化を主題とし、この方面での世界システム論の弱点を克服する意向を内意している。

 ところで、後進国の近代的発展の分析では、国際的要因と国内的要因の関連の他に、政治、国家、社会、経済、文化などそれぞれの部面の関連も問題となる。永井さんの前掲論文のなかでは、明治維新を近世から近代への転換点とするのは、「国内の政治体制、経済体制、社会体制、民衆の生活などあらゆる面において画期的な変化が明治維新を出発点に始まったから」だと説明されている。この論点にも、疑問がある。

 戦後歴史学では、唯物史観の歴史の発展段階論の公式をあてはめて、ブルジョア革命を中世の封建制から近代の資本制への移行の画期、すなわち政治・国家や経済・社会などの全体にわたる転換の画期とする説、「ブルジョア革命=社会構成体(総体)転換」説が定説をなし、その提題が明治維新史研究にも適用されてきた。社会構成体(総体)の転換という方法的基準に合わせて明治維新を分析するのは、戦後歴史学の通説である。1例として永井さんが拙著批評のなかで論及されている中村政則『明治維新と戦後改革』(1999年)では、「明治維新は、徳川封建社会から近代資本主義社会への転換点であり、近代日本の出発点であった」(11頁)。永井さんの説は、こうした定説に対する態度がはっきりしない。

 拙著では、「ブルジョア革命=社会講成体(総体)転換」説を否認して、「ブルジョア革命=国家体制転換」説に立ち、近代史においては、経済、社会の発展的転換と政治、国家の発展的転換とは歴史的にずれて進行するのが普通であり、双方の発展的転換が重なり合って進行するのは、ブルジョア革命が上から遂行される後進国の特質にほかならない、と説いた。

 上からのブルジョア革命のなかでも甚だ強度のそれであった明治維新については、政治体制から民衆の生活にいたるまでのあらゆる面での画期的な変化の出発点であるように思われる。しかし、ここでは政治体制と経済体制について見るが、政治体制の部面では画期的な転換は紛れもないとして、経済体制についてはどうだろうか。天保期以来の資本主義の成立過程が開国につれて外国資本の進入により急激に変動し、明治維新以降は殖産興業政策により保護育成されて諸産業が急速に発展した。それでも、経済体制としての画期的な転換は、産業革命を俟ってであろう。とりもなおさず、開国に先立って資本主義経済の成立は始まり、それは産業革命にいたるまで加速度的に発展しながら続いたのである。そうであれば、明治維新についても、その最終期が産業革命の開始と重なり合うという特徴をもつものの、イギリス革命やフランス革命と基本的に同じく、資本主義形成の部面では画期性に乏しく、資本主義の成立途上にあって、その加速点にとどまるのではないだろうか。

 大薮龍介