『明治国家論』の「あとがき」
 2010年8月


 マルクス、エンゲルス、レーニンそれぞれの国家論の決定的な限界を覚識し、マルクス主義国家論の創造的建設を志向して研究の道に進むことを定めたのは、30歳代だった。爾来、すでに40年の歳月が過ぎてしまった。この間、マルクス主義の衰退、そして劇的な凋落のただなかにあって、永年のマルクス主義の定説を批判し、マルクス主義理論のパラダイム転換を模索して、自らの非力を痛感しつつ、懸命に研究を続けてきたことになる。それはまた、20歳代をつうじて青春の情熱を燃やし全力を注いだニュー・レフト党派の革命運動が、進路を誤って頽落し、旧来の左翼の歴史にいま一つの破綻を積み重ねることに帰結していくことに対して、それとは異なる変革の道標となる理論を探し求める過程でもあった。

 「初心忘るべからず」。そして、「学を志す者は才の乏しきを嘆くなかれ、努る事の足らざるを懼れよ」「たゆまざる歩みおそろしかたつむり」。これらが、研究に励むうえでの心の支えであった。大学講座制からはみ出して、学問上の師ももたなかったから、いろんなことで苦労が多く、研究条件には決して恵まれなかったけれども、ほとんどの大学研究者が陥っている通俗的な悪弊に染まることが少なかったのは救いだったと思う。

 日暮れて道遠しの俚諺がまさにぴったりの現状である。だが、なお少しでも前進できればと願っている。

 2010年8月28日

 大薮龍介