「政治理論史上のマルクス、エンゲルス」 |
社会思想史学会『社会思想史研究』第10号 1986年10月 |
一 最近年、マルクス主義国家論に関する研究の新しい動向として、マルクスは確たる国家論作を著すにいたらなかったし、マルクスに代ってエンゲルスが遺した国家論著は、重大な難点を有しており、マルクス主義本来の国家論とは言えない、およそこうしたマルクス、エンゲルスの国家論についての批判的見識が、西欧においても日本においてもかたちづくられてきています。この期間国家論ルネサンス≠ニして喧伝されている、西欧諸国で隆盛のマルクス主義国家論研究では、その理論的特徴の一つとして、マルクス主義において確固とした国家論は存在していないということを、各論者がまずもって異口同音に述べています。そしてまた、従来マルクス主義国家論の定説と見做されてきた後期エンゲルスの国家論について、それに対する正面きった批判はなお限られているのですが、依拠すべき理論としてはこれを却けています。マルクス主義における国家論の不在という認識、それと表裏一体的な後期エンゲルス国家論からの離脱、かかる否定的な理論的姿勢をとっていることにおいてなによりもまず、今日の西欧マルクス主義国家論研究は、まだ模索的試行の域をでないとしても、後期エンゲルス国家論を原型とした教義体系を絶対化しているスターリン主義的な「正統」派と袂を別っています。わが国でも、通説的なマルクス主義国家論の批判的再検討を深めて、その原点である後期エンゲルス国家論そのものを批判の俎上に載せる研究が進展してきています。マルクス主義国家論の永きにわたる停滞と低俗化を自覚的に打破せんと志向して、マルクス主義の一世紀に及ぶ歴史を通して国家論の正統的教説とされてきた後期エンゲルスの国家論を根本的に見なおす地平が、今日開かれつつあるのです。 マルクス主義の国家論については、経済学の場合とは違って、マルクスよりもエンゲルスの貢献が広く認められてきました。マルクスは、その学問的生涯のなかば以降、経済学批判と『資本論』の創造を畢生の大事業とするにいたり、本格的な国家論研究に取り組むことができませんでした。唯物史観の形成以降、学問的研究の圧倒的大半を経済学に傾注することになり、『資本論』に相当する国家論の形成のために独自の研究を果たすまでにいたりませんでした。そのマルクスに代って、特に彼の死後、マルクスが仕残した課題を遂行する形で、エンゲルスが国家論研究をおこないました。しかしながら『反デューリング論』、『家族、私有財産および国家の起源』、『フォイエルバッハ論』などの代表的著作で展開された後期エンゲルスの国家論は、先入観にとらわれず予断を排して、冷静に吟味すると、方法的にも内容的にも、多くの基本的欠陥を含んでいて、つまるところ科学以前のレヴエルにとどまっていると論評せざるをえません。私自身、後期エンゲルス国家論について批判的に論じ、それをのりこえるマルクス主義国家論の建設に挑戦してみようと四苦八苦してきているのですが、その一部をここでも繰り返して述べることにします。 この報告では、国家起源論の一点に絞って、後期エンゲルス国家論を検討に付し、近代政治理論史のなかに位置づけてみながら、マルクス(主義)本来の国家論として考えた場合の限界や欠陥を明らかにしたいと思います。古典的な政治理論以来、国家論として扱うべき論域は、国家起源論、政治的イデオロギー論、政党論、国家機構論、国家権力論、国家機能論などに区分されますが、その中で基軸的地位を占めるのが国家起源論であり、後期エンゲルスが最も力を注いでいるのも国家起源論です。その意味で、この論目は、後期エンゲルス国家論の到達地平を測るのに、一番当を得ているでしょう。制限があるので細目は省いて大筋で議論していきます。 二 国家の起源に関する後期エンゲルスの論説を追跡すると、すでに『住宅問題』のなかに簡単な言及が見いだされますが、まとまった形ではまず、『反デューリング論』の経済学の篇に示されています。ここには、これまで多くの解釈が論争的に重ねられてきた「諸階級と支配関係の発生」の「二通りの道筋」について述べた行があるのですが、その論点にも関連して、エンゲルスは国家の起源について、次のように要言しています。「社会は、特権的な階級と不遇な階級、搾取する階級と搾取される階級に分かれる。そして、国家というものは、同一部族に属する諸々の共同体の自然発生的な諸群が、初めはただその共同の利益(たとえば、東洋における灌漑)をはかり、外敵を防御することだけを目的としてつくりあげたものだが、この時以後、国家は、それらの目的とならんで、支配する階級の生活および支配の諸条件を、支配される階級に対抗して暴力によって維持することをも、同様に目的とするようになる」。 これによれば、国家は、社会の共同利益の遂行と外敵の防御にあたることにおいて発生し、その後社会が諸階級に分裂するとともに、階級支配とその諸条件の維持にあたるようになります。社会の共同利益を執行し外敵から防御するための機関として生まれた国家が、社会の階級的分裂に伴い、支配階級の存在諸条件を守護するための支配の機関でもあるものへと転化するのです。こうした論述は、明らかに、二段階論的あるいは二元論的に分裂しているし、若き日のエンゲルスがマルクスとともに築きあげた唯物史観の一部をなす国家観、『ドイツ・イデオロギー』や『共産党宣言』などで展開した唯物史観としての国家観から逸脱してもいます。 次に、エンゲルスは、国家論上の主著である『家族、私有財産および国家の起源』において、原始社会から古代へかけての国家の歴史的発生過程の実証的分析を踏まえてそれを総括して、国家の起源につき、以下のようにまとめています。この周知の論述によると、国家は、社会の諸階級への分裂と諸階級間の経済的利益の敵対性、そして諸階級相互の間で繰り広げられる闘争に基づいて、その階級闘争を支配階級的に規制するべく発生します。「国家は、……社会が自分自身との解決不可能な矛盾に絡みこまれ、自分ではらいのける力のない、和解できない対立物に分裂したことの告白である。……相争う経済的利益をもつ諸階級が、無益な闘争によって自分自身と社会を消耗させることのないようにするため、外見上社会のうえに立ってこの衝突を緩和し、それを『秩序』の枠内に引き止めておく権力が必要になった。……この権力が国家である」。 『起源』のこうした論説は、当時公刊されたモルガン『古代社会』に接して原始社会の歴史的研究の躍進を得ることにより、『反デューリング論』での国家の起源に関する二段階論的説明を克服したものとして解釈されてきました。そして、国家の起源に関するマルクス主義の定説的見解とされてきました。レーニンも、『国家と革命』の当初のプランでは、『反デューリング論』の論述をうけて「階級発生以前の社会の国家と階級社会の国家」というふうに論題を立てますが、「階級発生以前の社会の国家」、これは、マルクス主義国家論の根本原則に背反します。そこで、これを捨てこれに代えて、『起源』の右の命題に依拠し、『国家と革命』の冒頭部では、「階級対立の非和解性の産物」という見地で国家の起源について論じています。 それでは、果たして、『起源』の論説は『反デューリング論』のそれを自己批判的に克服したのでしょうか? そのように見えるのですが、否です。 まず、文献考証的な事実として、これ以後再び、国家の起源に関する二段階論的説明がしばしば繰り返されます。その一つを、『フォイエルバッハ論』から引用します。「社会は、内外からの敵に対してその共同の利益を守るために、自分のために一つの機関をつくりだす。この機関が、国家権力である。この機関は、発生するやいなや、社会に対して自立するようになる。しかも、一定の階級の機関となり、この階級の支配権を直接に行使するようになればなるほど、いよいよそうなる」。 また、理論的な事柄として、『起源』の論説では、国家の発生は、社会の諸階級間の敵対的な分裂と闘争に、それらの支配階級による規制や抑圧にも基づいているとともに、他面では必ずその社会の共同利益の遂行にも基づいているという、このことが見失われます。国家の起源に関し、当該社会の共同利益の執行の契機を捨象して、詣階級間の対立と闘争の抑制の契機に一面化しているのです。ちなみに、国家の問題に関連するマルクスの論述を、一つだけ示しておきます。「村の橋や校舎や公有財産からフランスの鉄道や国有財産や国立大学にいたるまで、およそ共通の利益は、たちまち社会から切り離されて、より高い、一般的な利益として社会に対立させられ、……政府の活動の対象とされた。〔それとともに他方〕議会的共和制は、革命に反対して闘う際に、弾圧手段を強めるとともに、政府権力の手段を増大させ、その集中を強めざるをえなかった」。これは、『ルイ・ボナパルトのプリユメール一八日』からの引用ですが、類似の記述はいくつも見いだせます。『起源』の論説は、問題の単純な割り切りであって、問題の全体像を捉えた論定ではありません。 このようにみると、後期エンゲルスには、国家の起源について二通りの論説が併存していることになります。一方で『反デューリング諭』や『フォイエルバッハ論』の所論、他方で『起源』の所論です。そして、両方の論説のいずれも、欠陥を免れていません。 三 ところで、後期エンゲルス国家論は、マルクスとは異なる彼独自の方法に従い、近代国家を対象としてではなく、原始社会から移行した古代の国家を対象として、国家一般論として構制されます。それ故、後期エンゲルス国家論は、先行の古典的政治理論の批判的継承に乏しい。そのなかで、後期エンゲルスの国家起源論の理論史的源泉を尋ねるとすると、ルソーおよびスミスの所論を検討しなければならないでしょう。別言すると、マルクス主義国家論が国家起源論に関して批判的に摂取すべき業績の最たるものは、ルソー、スミスのそれであると考えられます。 ルソーは、『人間不平等起源論』において、国家の起源につき、富者がその財産を守るために貧者との間で欺瞞的な結合契約をかわして国家を創設するという、画期的な新理論を提唱しました。それによると、自然状態から社会状態にうつると、冶金と農業の発明を機に、土地が分割され私有財産が導入されて、富める者と貧しい者とへの階級的分化が生じます。その社会状態が更に財産の不平等を拡大し人間の道徳的堕落を深めて、悲惨な戦争状態にたちいたると、財産を保全するべく、富者はもっともらしい大義名分を掲げて貧者たちに政治的結合を呼びかけ、うまうまと貧者たちを欺いて国家を設立するのです。 こうしたルソーの議論は、近代政治理論史のうえで先立って展開されていた暴力的征服論や社会契約論を超え、国家の起源に関する考察の新しい地平面を開きました。ホッブズやロックが創唱し展開した、自由で平等な諸個人間の社会契約という理論が担った歴史的意味は、近代国家の人工的な、しかも精神的に人工的な性格の弁証とともに、被支配階級たる民衆をも等しく構成員として包みこむ近代国家の国民的な性格、国民的統一国家としての性格の弁証にありました。その社会契約論を、階級的地位の異なる富者と貧者の間でのエセ社会契約に組みかえることによって、ルソーは、国民国家である近代国家のブルジョア階級的性格を、更にまたこの国家のイデオロギー的性格を闡明して、近代ブルジョア国家の起源をめぐる根源的な事態を抉り出したのです。 しかし、ルソーの説論では、その社会状態における共同利益の所在やその共同利益の国家による遂行については一顧だにされず、国家は公共の利益をなんら配慮せず、ただただ富者の特殊利益の確保のみにあたるとされていました。これとはまったく対照的に、他方でルソーが『社会契約論』において描き出す理想国家は、自己優先的に各人の私的利益をめざす特殊意志やその総計としての全体意志を厳しく排斥し、かの一般意志に導かれて公共の利益のみを実現するとされました。従って、ルソーの場合、『人間不平等起源論』での既成国家の分析においては、国家が歴史の一定の発展段階でもつ進歩的性格はすっかり無視されて、国家は絶対悪として弾劾され、逆に『社会契約論』での将来国家の構想においては、国家そのものが近代の完成段階以後には歴史の発展の桎梏と化すことはいささかも予想されずに、国家は至高善として称揚されました。 ルソーが唱えた国家起源論は、スミスによって、立場を変えて引き継がれ発展させられました。スミスは、歴史的方法をとって狩猟社会から牧畜社会への移行に伴う国家の発生について論じるわけですが、『諸国民の富』では、国家の起源論に閲し、次のように述べます。「市民政府は、それが財産の安全のために設立されるかぎり、実際は金持を貧乏人に対して防衛するために……設立されるのである」。のみならず、近代自然法の方法に従って「商業社会」の解剖に取り組んだ『諸国民の富』では、財政論の見地からではあるが、国家が果たすべき役割についても関説しています。すなわち、国家が遂行すべき義務として、「第一に、その社会を、他の独立の諸社会の暴力と侵入に対して、保護する義務、第二に、できるかぎり、その社会の各成員をそれの他の各成員の不正または抑圧から、保護する義務、第三に、一定の公共事業と一定の公共施設を設立し維持する義務」を挙げ、それらについて個々に詳論しています。上に引いた「金持を貧乏人に対して防衛する」という行は、実は、この国家が果たすべき三つの義務のなかの第二のそれの論説部に属しています。 一方での財産とその所有者の保護、他方での社会全体の便益たる公共事業や公共施設−公道、橋、運河など、また青少年の教育のための諸機関など−の設営、および外からの攻撃に対する社会の防衛、これらの考察によって、スミスは、国家の起源をめぐる論点を豊かにし、国家の起源の真相の解明にまた一段と近づいたのです。 ルソーやスミスの所論を受ける形で、エンゲルスは、前述の諸論説をつうじて、国家の起源について二つないし三つの契機を摘示しています。ひとつは、その社会の共同利益の執行、それに外敵の防御、他の一つは、社会を分かつ諸階級の対立と闘争の抑制です。国家は、一見相互背反的なこれらの契機を、発生根拠として二重的ないし三重的に抱合しているのです。ところが、エンゲルスは、それらの諸契機を併せて国家の起源について論じると、『反デューリング論』の論説が示すように、社会の共同利益の遂行および外敵の防御の契機と諸階級間の対立、闘争の抑制の契機との二段階論的ないし二元論的に分裂した説明に陥ってしまいます。そこで、今度は、国家の階級性をしっかりと押さえ、社会の諸階級への分裂を基礎にして国家の起源について論じると、『起源』の論説がそうであるように、上述来の諸契機を諸階級間の対立、闘争の抑制に一面化して、他の契機を切り落とした説明にはまりこんでしまいます。いずれにせよ、エンゲルスは、それらの諸契機を包括的に関連づけ統一して国家の起源を説き明かすことに失敗したのです。 こうして、後期エンゲルスの国家起源論は、ルソーやスミスの所論を批判的に改作して、それらを超えるマルクス主義独自の国家起源論を創出するにいたっていない、と言わざるをえません。 四 後期エンゲルスの国家起源論の失敗、とりわけ国家の起源の二段階論的説明は、また、その方法論的欠陥と分かちがたく結びついています。エンゲルスは、その研究対象を直接に歴史的に大昔の原始・古代の時代へと遡行させ、原始社会から古代への移行期における古代国家の発生過程を歴史的に分析し、それを論理的に概括して、あらゆる国家につうじる一般的な規定を組み立てる方法をとります。この「歴史的=論理的」方法は、エンゲルスがマルクス『経済学批判』に寄せた書評のなかで最初に提示されたのですが、しかし、『経済学批判要綱』序節で「経済学の方法」としてまとめられ、更に『資本論』において完成された姿でつらぬかれているマルクスの論理的・歴史的方法、場所的・過程的方法の曲解に立つ、それとは似て非なる非主体的で非唯物論的な方法に他なりません。けだし、直接的所与をなすのは近代ブルジョア国家であり、この対象的現実をなすブルジョア国家を、その国家による支配に直面させられている階級として実践的に変革するために理論的に認識するというプロレタリア階級の場所的な立場を喪失しているからです。また、研究対象を理論が抽象されうる客観的基礎として反省しつつ、近代ブルジョア国家という歴史的に最も豊かな発達を遂げた国家の編成構造との関係においてこそ、科学的な国家論を創造しうるという唯物論的な見地が欠如しているからです。 マルクス(主義)の経済学が『資本論』として創出された所以をその主体的ならびに客観的な可能根拠において省察するならば、国家の科学的理論も、なによりもまず近代ブルジョア国家の本質論として創造されなければなりません。しばしば批判されているように、エンゲルスは、マルクスの論理的・歴史的方法を歴史主義的に、場所的・過程的弁証法をたんに過程的に歪曲しているのです。そうすることでまた、マルクスにより『資本論』に後読すべく開かれていた国家論的地平から退転してしまったのです。 加えて、エンゲルスは、諸々の対象の質的差異を抹消してそれらの形態的共通性を括りあげる形式論的方法に頼っています。歴史的、階級的に性質の異なる対象−原始社会の共同利益と古代社会の共同利益、また、古代国家と中世国家と近代国家など−を、場所的に分析してそれらの独自性において明らかにするのではなく、単に過程的に類比してそれらを平板化し共通するものとして捉えるのです。かかる種差の捨象による類的共通性の抽出という方法も、「独自の対象の独自の論理を掴む」という、マルクスが『ヘーゲル国法論批判』において早くも打ちだし終始堅持した方法的立場、一定の対象の独自性、固有性の究明を眼目とするそれに反します。 ここで、国家起源論の方法をめぐって、注目すべき先行の政治理論を極く簡略に振り返ってみます。 近代政治理論の原型を築いたロック『統治二論』は、勿論、政治社会としての国家の起源、始まりについて、社会契約論を唱えているのですが、それとは別に、「もし歴史の存するかぎり、国家の起源を遡るならば、それは一般に一人の統治のもとにあったことがわかる」と述べて、歴史的事実としては国家の起源が族長的君主などの統治にあることも認めています。国家の起源について、「本来いかにあるべきか」と「いかにあったか」の同一視を批判して、論理的、本質的な意味と歴史的、現実的な意味をはっきりと区別したうえで、現在的な起源の論理的、抽象的な考察を基本におき、それに過去的な起源の歴史的な考察を付加しているのです。こうしたロックの方法をマルクスが学んでいるかどうかは不明ですか、これと同様の方法的論理が、『資本論』における貨幣の発生や資本の発生、資本の蓄積などの叙述にあたって示されています。 いま一つ、ルソーの『人間不平等起源論』の場合、当時著しい発展をみた歴史的研究の影響を蒙っているわけですが、その自然状態は、「歴史的真理ではなく、たんに仮説的で条件的な推論」と言明しているように、歴史的な原始状態では決してなく、論理的抽象と歴史的分析とを重ね焼きにしたような性格のものとして設定されています。そして、自然状態から社会状態への上向的な記述も論理的な意味と歴史的な意味を一個二重的にダブらせているし、国家の起源の考察にも論理的と歴史的の両義性をもたせています。これが、ルソーの方法的特徴ともなっているように思います。たんなる歴史的過去の分析ではないからこそ、ルソーの国家起源論は、すぐれて近代ブルジョア国家の起源の実相に良く迫ることができたのです。 ロックはもとよりルソーと比べても、エンゲルスが歴史的方法を第一義的に重視してそれに偏位していることが、明らかです。ともあれ、このエンゲルスに特有の方法に導かれて、その国家起源論も展開されているわけです。通俗的な解釈のごとく、エンゲルスが『反デューリング論』で国家の起源の二段階論的説明に陥ったのを、原始・古代の歴史について氏族社会の存在に未知であったせいに帰してしまうことはできません。 五 後期エンゲルスの方法とマルクスの方法の重大な相異について指摘しておいて、マルクスの国家起源論に目を移します。中期から後期にかけてのマルクスの国家論的著述としては、フランス国家の現状分析論(フランス三部作)がかなりまとまったものとして一つありますが、結局は『資本論』から円熟したマルクスの脳裡にあった国家論−当然にもブルジョア国家を対象とした本質論的研究−の構想を探らざるをえません。前に『プリュメール一八日』から引いた一文などをも参考しながら、『資本論』のなかに散見される国家に関する断片的な論及から、ブルジョア国家本質論の端初論域としての起源論を再構成していくことが必要になります。 『資本論』の叙述過程に散在する国家や法律に関する諸記述は、経済学批判体系プランの一項目に挙げられた「国家の形熊でのブルジョア社会の総括」にかかわっているのですが、ブルジョア国家本質論の見地から捉え直すと、資本主義社会の共同利益の国家による遂行の問題として包括的に規定されます。貨幣の度量標準の確定および貨幣の鋳造、商品交換の規範の遵守、いわゆる公共事業や公共施設の設立と運営、国民教育など、こうした資本主義社会の共同利益は、イデオロギー化されて公共的利益として押し出されますが−これ自身、無階級的ないし超階級的なものではなく、資本主義的性格を刻印されブルジョア階級の特殊利益の一部をかたちづくります−、これの遂行が、ブルジョア国家の一方の発生根拠に位置づけられます。『資本論』の展開過程にはまた、資本家階級と労働者階級の間で繰り広げられる諸闘争についての記述も折りこまれています。だが、ブルジョア国家の他方の、しかも決定的な発生根拠をなすと考えられる両階級の間の階級闘争については、その第三巻の最終章「諸階級」が書き残されているように、「諸階級の対立関係から必然的に生じる階級闘争」という表現は見うけられるものの、独立のまとまった論述にいたっていません。 『資本論』から発掘されるのも、極く僅かな要点の示唆にすぎません。それでも、それを手がかりにして、ブルジョア国家の起源論、その場所的な起源の論理的解明に取り組めば、資本主義社会の共同利益の遂行がその抽象的契機をなし、プロレタリア階級闘争の抑制がその実在的契機をなす、というように論じることができるのではないかと考えています。他方、ブルジョア国家の過去的な起源の歴史的解明は、ブルジョア革命の史的考察になります。 マルクス、エンゲルスの国家論上の達成がいかなるものかを、国家起源論について大雑把であれ検討してきました。国家論の他の論目は、国家起源論にもまして不十分のまま残されています。マルクス主義の創始者達は、初期において『ドイツ・イデオロギー』を代表作とする唯物史観としての国家観を形成して以来、中期、後期におけるフランス、ドイツ、イギリスなどの国家の現状分析的研究、国家の一般的な概念規定や定義、またパリ・コミューン型国家論、それに後期エンゲルスによる前近代諸国家の歴史的研究および国家一般論など、それぞれに貴重な国家論研究を達成しました。しかし、先行の全経済学の革命を遂行した経済学批判やイギリス経済史の綿密周到な調査的分析に匹敵する政治学批判や政治史的研究は、そこに見いだすべくもありません。なによりも、科学的な国家論の拠点たるブルジョア国家本質論、経済学での『資本論』にあたり近代国家の政治的運動法則を究明する本質的理論の創造にまでいたらなかったし、総じて国家論を科学として樹立するに達しなかったのです。唯物史観から科学へ、あるいは定義の国から法則の国へ、この理論的な進化と発展を、国家論についてはマルクスもエンゲルスも成し遂げずに終った、と言わざるをえません。そして、それは今日においてもなお、未達成のままに残されているのです。 (大藪 龍介) |