「政治的(支配)階級の存立構造」 |
『明治維新の新考察』の〔補説1〕、2006年3月 |
近代においては経済と政治、社会と国家の分離に対応して、身分制は階級制に転換し、人々は、資本主義社会の経済的構造に根拠をもって階級として区分されるとともに、それとの区別・連関で、政治的構造においても異なる階級的地位におかれる。階級も、経済的階級(経済的社会構成体における階級)と政治的階級(政治的社会構成体における階級)に分化して存在し、支配もまた、経済的支配(階級)と政治的支配(階級)の分業によっておこなわれる。 これまでのマルクス主義において階級として研究され論議されてきたのは、ほとんどすべて経済的階級をめぐってであり、政治的階級については独自に解明されることがなかったと言ってよい。マルクス主義理論の経済還元論的な欠陥は、階級論に関しても著しかった。政治的階級の経済的階級に対する階級としての独自性を端的に表わすために、ここではそうしていないが、階級の概念を別の適切な概念に置き換えることも考えられる。
@ 職業として。
他方、経済的に支配される手工業者・小商人・農民、労働者の階級は、物質的生産活動に職業として従事し、日々の糧を求めて労働に追われ、精々その合間に政治に参加するにすぎず、そのまま、政治的にも支配される階級(被治者階級)となる。 一方は政治の完全なプロであり、他方はまったくのアマチュアである。 A 社会的出自として。
他方、政治的に支配される階級となるのは、中間諸階級や労働者階級、それに国家のピラミッド型行政的・軍事的機構の下層、中層を担う官吏や兵士、下士官の集団である。 B ブルジョア的政治的イデオロギーへのかかわりとして。
他方、政治的被支配階級は、そのかなり多くの部分が、ブルジョア的な政治的イデオロギーの攻勢、ブルジョア支配政党の政綱・政策の宣伝、煽動に受動的に対応して、同調し受容する。被支配階級のなかでも政治的に覚醒した先進的な階級部分は、独自の階級意識をもち政治的なイデオロギーを形成して、更には独自の政党に結集して、政治的支配に対抗する。こうして、政治的被支配階級自体、大きくは、ブルジョア政党や国家を支持する部分とそれに反対する部分とに二分される。 政治的支配階級が経済的支配階級と同じようにまったくの少数者でありながら、国民的多数派をかたちづくって支配を確保しうるのは、経済的支配の安定的持続を前提とするが、ブルジョア的な意識、イデオロギーを植えつけることによって、被支配階級の政治的支持を得ることができるからである。
なお、これまで労働者階級の形成について、即自的階級と対自的階級の区別がおこなわれてきた。その区別は、経済的領域と政治的領域との相違に照応するものではなく、それぞれの領域において必要であろう。例えば、経済的に即自的とは経済的利害に関して労使一体を、対自的とは労働組合に結集しての資本家への対抗、闘争を意味し、政治的に即自的とはブルジョア政党や国家への同調を、対自的とはブルジョア政党、国家への対抗や社会主義的労働者党の支持などを意味する。 C 政治的権力ないし国家権力に対する関係として。
対照的に、政治的被支配階級は、政治的権力、国家権力の掌握、行使から排除され、その行使の対象とされる。 D 市民的、政治的な自由・権利に関して。
担い手の面からすると、政治的支配階級に属する市民は、財産の所有の点からも政治的権力の掌握の点からも、市民的、政治的自由・権利をフルに享受できる。
ところで、近代ブルジョア国家における君主、それに貴族の存在についてどのように考えるべきだろうか。
一つには、前提であった絶対君主政からの歴史的な継承性、変化を僅少にとどめる効力をもつところの歴史的な伝統の力の作用が挙げられるが、それ以上に積極的な必然性が存在するのではないか。
『統治二論』において、「自然状態」における自由、平等から論じ起こして、「(私的)所有権」の正当性の証明を介し、「政治社会」を立法権力、立法府と執行・連合権力、執行府の権力機構からなる近代ブルジョア国家として論定したJ・ロックが、選挙・被選挙権を財産所有者に限定する一方、君主を「最高」の権力者として位置づけているのは、まさしくそうした初期段階のブルジョア国家の存立構造を指し示している。 産業革命の完成とともに政治史も発達をとげてブルジョア国家も盛期の段階を迎えると、ブルジョア階級とそれを代表する政党自身も、一切の政治的不平等を否定して民主主義を取り入れ、君主や貴族を無用の長物と見做しうるようになる。ところが、君主政を廃止する国が出てくる一方、国によっては、盛期の自由民主主義段階になっても、一方で国内において激しくなる階級対立の緩衝、他方では国外への帝国的発展のための国民統合のシンボルとして、君主は、統治しないが君臨するというイデオロギー的権力機関として、重要な役割を担うようになる。「政府の首長」たる地位は内閣を率いる首相に移っているが、君主が名目的な「国家の元首」になおとどまることがありうるのである。 このように、近代ブルジョア国家にあって、君主、それに貴族は、封建的な遺物にすぎないのではなく、特別格の政治的支配者として固有の存在理由を有するのである。したがって、資本主義経済の発達に規定されて、また政治的民主主義化にともなって必然的に消滅するとは限らない。
さて、一昔前になるが、西欧マルクス主義の国家論ルネサンスの代表的な作として喧伝されたN・プーランザス『資本主義国家の構造:政治権力と社会階級』(1968年)は、「社会諸階級を経済的なもののみに還元する経済主義」を批判的に克服すべく、経済的水準のみならず、政治的水準、イデオロギー的水準も総合した、新たな階級概念の形成を試みた。
こうした土台・上部構造論、階級論と相即的に、プーランザスは、フランス第二帝政ボナパルテイズムを「国家の資本主義的範型」と見做して、国家論の形成を図った。そして、「ブルジョア階級は‥‥その固有な政党によって、自らを組織のヘゲモニー的水準に高めることができない」、「国家は、ブルジョアジーの達成できない政治的ヘゲモニー機能を代わって実現する」、そうした意味での支配階級に対する「国家の相対的自律性」、といった論脈からなる国家論を組み立てた。それは、第二帝政ボナパルテイズム国家の変型性を資本主義国家の本来性と誤って一般化した国家論であった。
ところで、ブルジョア革命は、身分制から階級制への移行を決定的に推し進め、経済的階級と政治的階級を分化させる。その際の経済的階級からの政治的階級の分化は、単純ではなく、複雑な諸姿態をとる。 一般的に、ブルジョア革命の基礎過程には、絶対主義的な君主、貴族と新興のブルジョア階級の経済的、社会的対立の激化が存在するが、しかし、その経済的階級対立がそのまま革命において激突する両陣営を形づくるのではない。双方の陣営にブルジョア階級がいたと言われるイギリス革命に端的なように、経済的階級として見れば相違する面だけでなく共通する面が、両陣営には存在する。社会的出自としては同じ階級に属していても、政治的には分裂して相対立する陣営、政治的党派を構成することは、多々あるのである。経済的な階級対立を、そのまま政治的な陣営や党派の分裂に移し変えてはならない。が、他方、革命において敵対する陣営や党派の社会的出自の共通性をもって、経済的、社会的階級対立の存在を否認してもならない。そのいずれも、政治的な諸階級間の国家権力をめぐる争闘であるブルジョア革命の陣営や党派の構成の固有性を見失っている。 いま一つ、否応なしに先進国の動向を目撃し歴史の趨勢を認知させられる後進国において、絶対主義的な陣営や党派に属した貴族・官僚が、新たな時代への移行を避けがたい歴史の流れとして受け入れざるをえなくなり、状況の推移に応じて、なしくずしにブルジョア的保守派に転進するのも、目だってよくあることである。プロイセン=ドイツのブルジョア革命においてそうであったし、イタリアのリソルジメントについてグラムシが指摘する「トラスフォルミズモ」も同種の動向である。 分析に際して注意されねばならないのは、経済的階級の政治的な編成に際してのずれやねじれ、政治的階級への屈曲した転成である。 明治維新については、変革の主導的担い手が下級武士集団であったことをもって、維新のブルジョア革命性を否定する有力な論拠の一つにする議論が、「講座派」のなかでは有力である(平野義太郎『日本資本主義社会の機構』では、241〜242頁。他に服部之総『明治維新の話』新ナウカ社、1952年、16頁)。これは、近代においては経済的(支配)階級と分化する政治的(支配)階級の歴史的特質を見失い、政治的支配者集団の階級的性格をその社会的出自に還元する経済主義的決定論を示している。維新の変革において主導的役割を演じた下級武士の集団は、社会的出自としては旧支配身分の下層であり、経済的にはブルジョア的な基盤を有したのではまったくなかった。しかし、彼らは、激動し急展開する幕末の乱世を体験するなかで、西欧列強に抗しての民族的、国家的な独立と統一、そのための幕藩体制の近代的国民国家体制への変革という政治的な目的、思想を獲得しそれを実現する手段的行動に決然として立ち上がり、幕府を打倒し国家権力を掌握して、新たな時代を拓いてゆく中核集団として自らを形成した。ブルジョア的な政治的支配階級としての歴史的役割を担ったのである。それは、政治的支配階級の形成という点から、明治維新のブルジョア革命としての特異性を表わすものであった。 大薮龍介 |