『明治維新の新考察』の「まえがき」
 2006年3月


 明治維新は、近・現代日本の原点となった歴史的大変革事業であった。波瀾に富んだ明治維新史を彩るドラマティックな出来事の数々は、国民的な知識として共有され、まるで身近で起きた事件であるかのように人々を惹きつけてやまない。

 そして、外からの強圧と内からの駆動、伝統への復古と新世界への躍入といった背反的両面性を併有して進展した明治維新をどのように捉えるかもまた、大変に困難ではあるが、魅力あふれる理論的研究テーマである。

 明治維新史の研究はそれ自体すでに長い歴史を刻んでおり、様々の立場からする諸々の明治維新史論が提示されてきた。そのなかにあって、1920年代後半からのマルクス主義者たちによる、「講座派」と「労農派」の日本資本主義論争の一焦点をかたちづくった明治維新史論は、現在にいたるまで極めて有力な地位を占め大きな影響を保ってきた。

 本書は、そのマルクス主義者達による明治維新史研究の批判的検討を踏まえ、明治維新の政治的な過程と構造の全体像について、「上からのブルジョア革命」の視点からする新たな理論的考察を試みる。

 第T部では、「講座派」とその系統の代表的な明治維新史研究を批判的に検証する。

 服部之総『明治維新史』は、欧米列強の東アジアへの進出によって極東の地の日本も否応なく資本主義の世界体制に組みこまれていく国際的な環境と外圧を重要視しつつ、プロイセン=ドイツのブルジョア革命を比較基準に設定して、絶対王政として成立するや直ちに「上からのブルジョア革命」へと展開する過程として明治維新史を分析した。その説論は、卓越した問題構制であったが、プロイセン=ドイツのブルジョア革命とのアナロジーの域を出なかった。しかもその後、服部の明治維新史研究は、「三二年テーゼ」に追随して大きく後退し、国際的契機を捨象した国内的必然論へと一転するとともに、「上からのブルジョア革命」説からも退転していった。

 「三二年テーゼ」と同時的に公刊された『日本資本主義発達史講座』に因む平野義太郎『日本資本主義社会の機構』は、明治維新は絶対主義の成立だとする説を提唱し、「講座派」明治維新史論の原型を形成した。平野は、明治維新を天皇制絶対主義対ブルジョア民主主義革命の構図で捉えたが、その構図は、比較基準とされるフランス革命のまったく一面的な把握に基づく美化、資本の原始的事績を絶対主義に特有の基礎過程だとする誤解、明治維新の地租改正を封建的貢租の再編にすぎないとする誤認、自由民権運動と民衆運動とを二重写しにしつつ後者をブルジョア民主主義革命運動として性格づける混同、などの謬論の集積により成り立っていた。

 第二次大戦敗北後、一変した内外の情勢を迎えて、近代日本史研究においては「講座派」理論が圧倒的に広がり強まった。だが、隆盛する「講座派」(系)の近代日本史研究は、個々には優れた業績が含まれているにせよ、基本的な理論枠組みでは、コミンテルンの諸テーゼに呪縛されることによって、むしろ後退と混乱を重ねた。

 1960〜70年代ともなると、「講座派」理論の見直しや補修が相次ぐようになった。「上からのブルジョア革命」を再吟味した下山三郎『明治維新研究史論』と社会構成体の「政治的上部構築=国家の移行」を論じた星埜惇『社会構成体移行論序説』に止目すると、双方はそれぞれに、「上からのブルジョア革命」を抹消し、単一型のブルジョア革命像を仕立てて、「講座派」的通説を確認した。

 他方の「労農派」の明治維新史論は、「ブルジョア革命の発端」説あるいは「ブルジョア革命の方向性をもった絶対主義の成立」説であった。しかし、明治維新の過程と構造、その特質についての独自の分析を欠いていて、資本主義の成長発展につれて必然的にブルジョア化するとする経済決定論的把握が強かった。概して「労農派」理論は、資本主義の発展の一般的傾向に日本資本主義とその国家の特殊性を解消する欠陥を有していた。日本資本主義の特性の究明を課題とし、天皇制国家の研究にも力を注ぎ、良くも悪くも刺激的であったのは、「講座派」理論であった。これらの理由で、本書では、「講座派」(系)の明治維新史研究を検討の対象に設定し、「労農派」(系)のそれについては独立して扱うことをしていない。

 第U部では、近代的発展の後進国における政治的近代化の特質をなす「上からのブルジョア革命」とは何かを、原型であるプロイセン=ドイツでのそれに即して解明する。

 プロイセン=ドイツでは、政府の主導で上から近代化を開始したシュタイン=ハルデンベルクの改革以来、近代化のための変革における国家主導主義が定着していた。

 そして決定的には、1848年3月革命における「下からのブルジョア革命」の挫折があった。

 その後の「反動時代」、「新時代」を経て、保守主義勢力と自由主義勢力の対立が強まり、憲法紛争が泥沼化した難局で登場したビスマルク内閣は、鉄血政策を打ちだし、1866年、オーストリアとの戦争に勝利して、ドイツの統一を半ば実現し、1870〜71年には、フランスとの戦争にも勝利を収めて、全ドイツを統一したドイツ帝国を創建するとともに、普通選挙権に基づく帝国議会を開設した。ビスマルク内閣は、相次ぐ対外戦争の勝利によって、「下からの革命」を圧伏し、「自由と統一」というブルジョア革命の目標を達成したのだった。

 この1866〜1871年の「上からのブルジョア革命」は、イギリス革命、フランス革命と対比すると、(1)目標に関して、国民国家的「統一」の立憲的「自由」への優先、(2)指導的党派に関して、自由主義的な中道派(フランス革命では一時的に民主主義的な急進派) に対して絶対主義勢力から転身した保守派、(3)推進的な組織的中枢機関に関して、議会に対して内閣=政府、(4)手段的方法に関して、民衆の力を結集した内戦や蜂起、テロリズムに対して軍隊による対外戦争、(5)革命思想に関して、自然権を核とする自由主義思想、加えて民主主義思想に対して、国権主義的な保守主義思想、といった諸特質につらぬかれていた。

 これらの特質に基づいて、「上からのブルジョア革命」を、政府が国家権力を手段として推進する保守的革命と規定する。

 第V部では、明治維新の個性的特質を析出することに努める。

 新たな方法的見地として、一つには、「革命期」を設定する。「革命期」とは、革命が始まってから終結するまでの革命的転換の全行程を指すが、この「革命期」における国家は、体制的転換の只中にあって対立的矛盾に満ち、絶対主義的要素とブルジョア的要素とが並存して二面的な歴史的、階級的性格を備えている。明治維新については、1867(慶応3)年の王政復古、維新政府の成立から1889・90(明治22・23年)の帝国憲法制定・帝国議会開設までを、「革命期」と考える。

 また一つには、後進国の近代的発展の特質として、複合的発展という見地を導入する。複合的発展とは、外部的環境の圧力のもとに、先進国とは異なって、一方で国内外の諸力を、他方では歴史の諸段階を、複雑に合成して発展を遂げることを意味する。明治維新では、欧米列強の外からの圧力とそれに対抗する国内の内発的な力が、また世界の今日的動向の移入と自国の旧来からの伝統の保持が、種々の問題で様々に複合されるとともに、歴史的に絶対主義段階と初期ブルジョア国家段階とが独特に複合された。

 こうした方法を用いて分析すると、明治維新は、プロイセン=ドイツの「上からのブルジョア革命」とはまた異なる固有の特質を有していた。(1)目標について、諸列強に開国を強制され半植民地化の危機にさらされた弱小国として、国家的独立を至上課題としたが、国家的に独立して万国と並び立つには、併せて立憲政体を樹立しなければならなかった。すなわち、”独立と立案政体の樹立”が日標であった。(2)指導的党派について、旧討幕派下級武士・公卿を中核にした維新官僚層が、内外政策をめぐる内証によって諸派へと分裂しながら、一貫して主導権を掌超した。そして、維新官僚層の急進派から政党が生まれた。(3)組織的中枢機関について、全行程にわたり、政府が主力となって変革を推進した。(4)手段的方法について、クーデタと内戦、一揆や反乱の鎮圧、そして「有司専制」など、全面的に国家権力の発動によった。(5)思想について、尊王思想、「公議輿論」思想、西洋風の啓蒙思想、自由民権思想などが混在し、後に保守王義思想が伸張したが、横軸となったのは尊王思想−天皇制イデオロギーであった。

 明治維新は、国内の経済的、社会的条件からすると早産であり、近代世界史の抗しがたい潮流に引き込まれて外からの重圧に対応した「上からのブルジョア革命」であった。それはまた、「講座派」などが尺度としてきた史的唯物論の公式に反する革命でもあった。そして、右記のような諸特質をもつ明治維新によって、近・現代日本の伝統となる官僚主導の国家体制や国家主導主義の原型が築かれたのである。

 他に、経済的(支配)階級とは区別される政治的(支配)階級の独自な存立構造を、職業、社会的出自、政治的イデオロギーへのかかわり、国家権力に対する関係などの諸点から明らかにし、近代国家における君主の存在について考察する「政治的階級について」をはじめとして、三つの補説を付している。

 昨今の明治維新史研究では、細密な個別実証的な研究の盛行、進展の反面、基本的な視座と評価が揺れ動いており、明治維新の全体像をめぐる論議はまったく影が薄い。「講座派」(系)の理論的枠組みが崩壊していくなかで、それに替るものは出現するにいたっていない、ある種の過渡的状況と言えるだろう。この期間に達成された実証的な研究成果を集成した、新たな明治維新史論の構築を専門的研究者に期待したい。

 私自身は、いずれは明治維新・明治国家の研究に取り組みたいとの思いを長年抱きながら、専攻する国家論や革命論、社会主義論などで精一杯のまま過ごしてきた。大学を定年退職した四年前からやっと明治維新史研究に着手することができた。この明治維新の新考察は、十数年前から進めてきたマルクス主義理論のパラダイム転換を目指す作業の一環に位置する。だが、なにぶんにも明治維新史研究の蓄積が無いうえに、専門的な学会や研究会での交流も欠いたなかでの挑戦である。誤りや偏りが所在するに違いないが、特に近代日本史研究者やマルクス主義関係者への問題提起を果たせることを願っている。

 最後ではあるが、本書の基になった論文を掲載していただいた田畑稔さんなど『季報唯物論研究』関係の皆さん、同論文についての批評を下さった、九州大学・大学院の先輩であり明治維新史研究で業績をあげられている大阪市立大学名誉教授毛利敏彦さん、そして出版を引き受けていただき編集上の適切な助言をされた社会評論社松田健二さんに、厚く御礼を申し上げる。

 2006年2月17日

 大薮龍介