「国家」
 『新マルクス学事典』(弘文堂、2000年)の執筆項目


 マルクスにおいても、政治の世界の中軸をなすのは国家であり、政治学はすぐれて国家論であった。ヘーゲル国家論批判からの独自の思想、理論の形成に出立して、1845年には政治学批判のプラン(3:596)さえ草したマルクスは、国家を主題とする政治学(批判)の著述の構想を抱き続けたが、しかし、1850年代以降、経済学批判と『資本論』の完成に学問的研究を集中することになり、国家論建設の課題を果たすことがついにできなかった。その初期から後期までにマルクスが達成した国家論研究を順を追ってたどると、およそ、(1)ヘーゲル国家論批判、(2)唯物史観としての国家論の形成、(3)フランス国家の現状分析的研究、(4)イギリス国家の現状分析的研究、(5)経済学批判、『資本論』に付随した国家への論及、(6)国家の消滅およびそれへの過渡期におけるプロレタリアート独裁、コミューン国家の構想、に大別されよう。本項目では(4)については割愛し、(6)については別項目に譲る。なお、ドイツ国家の現状分析的研究にはエンゲルスがあたった。

【T】ヘーゲル国家論批判
 青年マルクスは、「ヘーゲル国法論批判」と今日標題されている草稿で、ヘーゲル『法の哲学』(1821)の国家論部について逐条的な批判的評注を綴った。その論域は、近代の政治的国家の内部体制としての君主(権力)、官僚制、議会、代表制、選挙制などにわたっている。ここでは官僚制にしぼって摘記する。市民社会と政治的国家の分離とともに成立した官僚制は、「市民社会の『国家形式主義』」であり、「国家意思」を体現して、「国家の内なるひとつの特殊な閉じた社会」をなす。官僚制の位階制は「知の位階制」であり、その内部では、「受動的服従、権威信仰、固定化した形式的やり方」などがはびこる。個々の官僚の場合には「国家目的は彼の私的目的とな」る(『ヘーゲル国法論批判』、1:282-283)。官僚制を人倫的共同体たる国家を中核的に担う普遍的組織として位置づけたヘーゲルとは逆に、マルクスは、官僚制が市民社会から相対的に独立し、閉鎖性、秘密主義、権威主義、旧慣墨守、立身出世主義などを特質として特殊権益を追い求める組織であることを暴露して、プロイセン的官僚制の生理と病理を鋭く析出した。官僚制という語がようやく普及しつつある時代にあって、古典的な官僚制論のひとつとして評価されよう。

【U】唯物史観としての国家論
 近代における市民社会からの政治的国家の分離という事象を踏まえて、マルクスは唯物史観の形成の一部として国家をどう把握するかを明らかにしていった。唯物史観の形成を画した、エンゲルスとの共著『ド・イデ』には、基本的に2通りの国家論系が所在する。ひとつは、人倫的共同体として国家を聖化したヘーゲル以下のドイツで支配的な国家論を唯物論的に転倒した「幻想的共同体」(同35)といった把握である。いまひとつは、私的財産を防衛する機構として国家を位置づけたスミスに代表されるイギリスなどでの自由主義国家論を源泉とした、「ブルジョアは国家というものにおいて彼らの所有を擁護した」(『ド・イデ』,3:379-380)といった把握である。その後、マルクスの国家論考はいっそう自由主義国家論の批判的継承へ傾動した。『宣言』では、「近代の国家権力は、ブルジョア階級全体の共同事務を処理する委員会に過ぎない」(4:477)、「本来の意味の政治権力は、他の階級を抑圧するための一階級の組織された暴力である」(同:495)と、簡明に階級国家論的定義を行った。国家とは支配階級がその階級的利害を守り被支配階級を押さえつけておく統治機構、しかもすぐれて暴力的な抑圧機構であった。さらに後年、『経済学批判』序文における周知の唯物史観の定式の中では、政治、法とともに国家について、経済的な土台の上に聳え立つ「法的、政治的上部構造」(13:6)として規定した。

【V】フランス国家の分析的研究
 マルクスが遺した国家論研究の代表作は、近代世界の中心を占めるヨーロッパにおいて諸階級間の闘争の最も重要な舞台となったフランスでの二月革命後の第二共和制から第二帝政への変転過程を分析した『階級闘争』、『ブリュメール18日』、およびパリ・コミューン事件をめぐって論評した『内乱』のいわゆるフランス三部作であった。三部作の前2冊の書と最後のそれとの間には、フランスの経済、社会、国家の飛躍的発展とマルクス自身の理論的な転換=躍進が介在していて、第二帝政ボナパルティズム論をはじめ、重大な変更が所在するのだが、マルクスの一貫した問題関心は、資本主義経済構造に基礎づけられつつも、諸階級間の関係ならびに闘争を介して相対的に自立したブルジョア国家の構造を、フランス的特質において解明することにあった。研究の到達を示す『内乱』で、マルクスは「常備軍、警察、官僚、聖職者、裁判官という、いたるとことにゆきわたった諸機関──体系的で位階性的な分業の方式に従ってつくり上げられた諸機関──を持つ中央集権的な国家権力」(17:312)に止目し、その国家構築物が大革命以来、資本主義経済の発達やプロレタリア階級闘争の前進につれて段階的に発展をとげてきた諸相を、おおむね的確に描出した。

【W】『資本論』における国家への論及
 経済学批判体系プランには1項目として国家(の経済的反作用)があげられていたし、『資本論』の叙述過程には国家や法への言及が散在する。それらは、円熟したマルクスが、『資本論』に後続する形で思い描いていたブルジョア国家の本質論的研究に関する構想を探る手掛かりとして貴重である。中でも、「法(Recht)」の国家の媒介による「国家制定法(Staatsgesetz)」(23a:397)としての「法律(Gesetz)」への発展という展開から、近代自然法学の批判的改作としての道徳─国家─法という上向的経路を汲み取り、また「自由、平等、所有、そしてベンサム」(同:230)の立言からは、産業資本主義の確立に照応して必須的となった政治、国家、法の民主主義的改革の唱導者であった「ベンサム」に着目して、ブルジョア国家の典型的発達形態である自由民主主義の批判的解剖という課題遂行への政治学批判上の視座を定めることができよう。

 マルクス没後、エンゲルスが、マルクスが果たせなかった国家論創造の課題に取り組んで、『起源』の国家論部を著し、それが20世紀においてはマルクス主義国家論の定説として処遇されてきた。だが、『起源』の国家論は、エンゲルス固有の国家論の展示であり、方法的にも内容的にも難点が多かった。

文献
 V.I.レーニン(宇高基輔訳)『国家と革命』所収、岩波文庫、1957
 大藪龍介『マルクス・エンゲルスの国家論』現代思潮社、1978
 同「エンゲルス国家論の地平」杉原四郎ほか編『エンゲルスと現代』所収、御茶の水書房、1995
 鎌倉孝夫『国家論のプロブレマティク』社会評論社、1991

(大藪龍介)