「日本の政治改革雑感」
 『月間フォーラム』 第4巻11月号 1993年11月


 93年7月総選挙、そして細川政権の発足は、巷間言われているように、日本政治の大きな転換の起点を画すると思われる。その意味をめぐって、雑感を数点記しておきたい。

 

 日本経済の驚異的な高度成長に対応して必至であった政界再編は、80年代の数度の衆・参議院選挙での自民、社会両党間の波状的な議席増滅を経て、今回総選挙における総保守化、革新激減の方位で確定するにいたった。いわゆる55年体制は、米ソ両大国の世界支配体制と同じように、左から崩壊した。すでに「豊かな社会」への到達、生活保守主義の浸透、会社主義の蔓延、そして労働組合の「連合」のもとへの再編等、55年体制を支えていた社会的基盤は、右側への地殻移動をとげていた。ここに遅れすぎた政治改革が、ふくれあがった自民党の抗争、分裂を介し、保守勢力の完全なヘゲモニー下で始動することになった。

 細川政権は、非自民・非共産の八党派が連立した暫定的な政治改革政権として成立した。新政治体制への過渡期にはいったばかりの現在、政治改革の行方は流動的であるが、一つの焦点は、政党制の再編である。自民党(的なもの)の一党優位制への逆流の可能性も残ってはいるが、保守二大政党制への移行か、穏健多党制への移行かが争われている。その際、選挙制度の改革が大きなポイントになる。ブルジョア的な政治的支配の確保のうえで最も安泰であり、それゆえに財界の希求でもある保守二大政党制度への人為的な創出にむけ、政治改革の第一として小選挙区比例代表並立制の制定が急がれている。

 小選挙区比例代表並立制にのせられてしまった社会党が、自己解体の道を突き進むか、それともこの選挙制度改革にこめられている策略に抗してそれなりに生き残る道を見いだすか、他の諸政党の出方も複雑に絡んでいて、予断を許さない。しかし、いずれにしても、社会民主主義勢力の一段の弱体化は免れず、日本国家の「労働なきコーポラティズム」への傾斜はますます深まるだろう。

 総保守化によって複数化した保守政党は、今後中道政党をとりこみながら、離合集散を重ね、保守的保守党と進歩的保守党へと再編されていこう。そのなかで、社会民主主義政党の弱小化に反比例して、戦前的体質を残してきた自民党とは異なる、モダンでスマートな新タイプの自由民主主義政党が出現し、環境や人権、女性問題などにも手をのばして伸長していくことが予想される。天皇家の現代化、新天皇制への変容、変貌もこれと軌を一にした流れである。憲法問題に関して、総保守化を明文改憲に直結するのも短絡にすぎよう。

 保守二大政党制よりも多党制の方が、あらゆる意味で望ましいことは、言うまでもない。だが、そのどちらであっても、40年近くに及んだ一党支配の変則的な議会制民主主義から、政権交替のある通常のそれへの移行であり、日本における議会制民主主義としては成熟した段階への進展を意味する。

 マルクス主義的左翼は、マルクス、エンゲルス以来、ブルジョア政治の民主主義的展開力を無視してきた。そして帝国主義の政治的特質は民主主義に対する反動だというのが、レーニン以来の公式論だが、これも、ブルジョア民主主義の爛熟、腐朽という現代の歴史的特質を捉えそこなっている。こうした伝統にとらわれていては、歴史の誤認を更に重ねていくことになろう。

 

 いま一つ注視すべきは、政・官・財の癒着の打破や地方分権の確立が、選挙制度の改革や続出する金権腐敗の防止とならんで、細川政権による政治改革の柱として押しだされ、俄に現実の課題として浮上してきていることである。そうした改革が果たしてどれだけ達成されるかについては、いろんな点で疑問がつきまとうが、自民党政権が永年支配の根幹としてきた構造的歪みにも初めて改革を及ぼそうと試みていることの意義は、重大であろう。

 問われているのは、日本国家の時代適合性である。

 日本の経済超大国化の重要不可欠な構成要素をなしてきた、過度な程の国家介入主義は資本主義社会の構造的変動による頑強化と東西冷戦体制の終焉という国際的な枠組みの変化とにともなって、不要となり、社会生活、政治生活の向上や自由な発展にとって障害となってきている。また、国際的軋轢の一因にもなっている。いびつさを内包しつつも強固に安定するにいたった資本主義社会に相応させるには、更には国民生活を充実させるには、いまでは過剰になった分だけ、国家の介入を解除し、また中央集権主義を緩和することが、可能になり必要にもなっているのである。しかもそれらは、資本主義社会との遊離を正すだけではない。目下低迷している景気の回復の方策ともなり、ポスト高度成長の時代に備えることにもなるとすれば、国家の改造は緊切な課題となる。

 国家の経済過程への積極的な介入、だが同時に過剰な介入の忌避が、ケインズ主義国家の論理であった。政治権力の抑制、国家権力の作動の一定の範囲内への限定は、ファシズム国家やスターリン主義国家とは差異する自由民主主義国家の本質的性格である。現代資本主義体制においては、社会と国家の絡み合い、相互補強が歴史的特質であるが、社会の国家に対する優位性が確保されればされるほど、健全で強靭ということになる。加えて、危機に際しての非常措置として、もっと強力な国家介入を担保しておくこともできる。

 この点では、かの「国家=政治社会+市民社会」というグラムシ・テーゼの誤解、誤用から脱け出るべきだ。イタリア・ファシズムに関するグラムシ・テーゼを現代資本主義国家の公式として解釈し汎用するのでは、過剰な国家介入を常態化して社会をも国家主義的に包絡したファシズム国家と異なる自由民主主義的国家の独自性を捉えることはできない。なお、現代の介入主義国家についての、国家介入の全面性、恒常性といった特徴づけも、介入の限度を押さえ切れていない感がある。

 細川連立政権の内部でさえ、日本国家の針路について「質実国家」路線と政治大国路線が分岐し、入り乱れている。しかし、総じて、国家の改造は日本における自由民主主義国家の新段階への発展となるにちがいない。

 対照的に、社会主義勢力、とりわけマルクス主義勢力は、ますますしんどい位置に追い込まれる。痛恨なことではあるが、歴史の復讐だといえる。日本のマルクス主義勢力はその生成以来スターリン主義にこり固まり、ソ連や中国への追随路線をとってきたし、反スターリン主義を標榜して登場した新左翼も、レーニン主義にはまりこみ、それゆえにスターリン主義からも超脱しえなかったからである。

 先年のソ連崩壊の大衝撃にさらされて、共産党は、ひたすら政治主義的立ち回りによる自己保身に躍起である。他方、新左翼諸セクトの多くは、70年代に内ゲバへの頽落によってすでに破産していたが、今回もレーニン主義守護に硬直して破産の駄目押しをすることになった。新左翼諸セクトの旧左翼化によって、従前の新旧左翼の区別は消失するにいたった。

 共産党と諸セクトが、また諸セクト相互が、社会の片隅に取り残されて、これまでのようにウルトラ・セクト主義の宿病にとりつかれたまま、排撃に明け暮れするようでは、衰退あるのみだろう。その大小を問わず、すべての党派が、党間民主主義の形成という新経験に踏みだし、誠実な批判を交えながら、解党的出直しによる連合、新たな政党や政治グループの再結成へむけての努力を始めるべきではないか。今さら、何を寝ぼけたことをという批判があろうが、こうした声を大きくしていきたい。マルクス主義的左翼が抜本的な自己改革という、固有の政治改革を歴史によって命じられていることは明らかだ。

(93年8月25日)

(大藪 龍介)