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評者: | 木村倫幸(奈良工業高専教授) | 『季報 唯物論研究』第65号 1998年7月 |
タイトル: | 「社会主義理論学会編『二〇世紀社会主義の意味を問う』」 |
社会主義についての現状が激震を迎え、それに続く大混乱がまだ尾を引いている今日ではあるが、ようやくある程度落ち着いて議論できる雰囲気も出てきている。そのような中で、社会主義理論学会が昨1997年に開催したシンポジウム「二〇世紀社会主義の意味を問う──ロシア革命80周年」での報告を中心に、これにかかわる諸論文をまとめたのが本書である。本書の奥底に流れているのは、その肯定面であれ否定面であれ、ロシア革命を焦点とする20世紀の社会主義から、21世紀に向けて何を学びとり生かしていくことができるのかという姿勢であり、それだけにそれぞれの報告・論文から提起される問題は多く、重い。 以下簡潔に紹介するが、本書は「第一部 シンポジウム」と「第二部 論文」で構成されている。ただし学会の共同研究書ということもあって、論者の立場、関心は様々で、今後の噛み合った議論の深化を期待する以外にない側面も存在する。 「第一部 シンポジウム」では、加藤哲郎報告『二〇世紀社会主義とは何であったか』は、インドでの生活体験を踏まえて、「『何が社会主義ではないか』を考えることが重要だ」と問いかける。すなわち、「一九世紀に思想・運動として始まった社会主義と二〇世紀に体制・国家として存在した社会主義」との区別、「『資本主義がないこと』と『社会主義があること』の間には、広大なグレーゾーンがあること」、「『社会主義』を文字通り『社会』から考えること」(「人々の生活世界の織りなす日常的社会関係の次元で考え直すこと」)を主張する。そしてこの視点から、「短い二〇世紀」に現存した社会主義(旧ソ連)について、「自由や民主主義の概念を階級主義的に分割し、『社会』を経済主義的に『所有』に還元し、そうして集権的国有化・計画経済に『社会主義』を矮小化」してしまった「軍事的社会主義」の性格を色濃くもつ社会主義であったと指摘する。しかしその「短い二〇世紀」の総括は、「国有化か私的所有か」「計画か市場か」「労働の経済か資本の経済か」という争点が「本当に社会主義思想の生命線であり種差であったのか、という問題を提起している」のであり、これらの検討の上に「全体として、政治・経済・文化を含む『社会』を信頼と寛容に根ざした公共的アソシアシオンとして再構成し、重層的かつボトムアップに、共生型ネットワークに組み替えていく」「二一世紀の社会主義」が構想される必要があるとする。」 大藪龍介報告『二〇世紀社会主義研究の基礎講座』は、「労働者・兵士の革命、農民革命、民族革命の複合からなるロシア革命は、深い根本的な矛盾」──すなわち、労働者・兵士の革命とボリシェヴィキ革命の離間、農民革命と労働者革命の根本的な対立的矛盾、民族革命におけるロシア民族と他の諸民族との深刻な矛盾──を内包していたと指摘する。そしてこれらの「構造的諸矛盾の実在に加えて、ロシア革命の嚮導理念に重大なひずみ」が存在していたとされる。すなわち論者は、「ボリシェヴィキの綱領に含まれていた本質的な錯誤が、卓越したロシア革命研究者によっても察知されることがなかった点」に、「二〇世紀社会主義の悲劇の深さ」を見る。このことは、主要産業や土地の国家所有という基本路線や自由・民主主義に関しての構造的な歪み、権力統合的で徹底して中央集権主義的な公安委員会型国家の形成などにあらわれ、「解放のなかに抑圧を随伴」していたロシア革命の特徴となる。 しかもこのような社会主義の初発段階で矛盾や歪みを抱え逸脱状態にあったソ連の社会・国家は、1929〜33年の第二のロシア革命、「逆革命」によってさらに「左前方へと飛躍したのではなく、右斜め後方へと滑落した」のである。これがすなわちスターリン主義体制であり、ここに「マルクス・エンゲルスが描いた社会主義とは似ても似つかない奇怪極まりない体制」、「新たな抑圧=隷従の関係」が造出されることになる。論者はスターリン主義体制を「ロシア的後進性を個性的特質とする、社会主義への過渡的社会の初期段階の国家主義的変態」と規定するが、ここに至る過程に既に内包されていた根本的な対立的矛盾や歪みをいかに克服していくかが二〇世紀社会主義の総括的課題となる。 伊藤誠報告『ソ連経済の経験とこれからの社会主義』は、以上の2報告とはややニュアンスが異なり、ソ連型社会主義経済の成長を可能にしていた基礎的諸条件──豊富な天然資源、労働力の余裕、当時の指導的産業技術、働く人々の協力──を指摘する。特に最後にあげられた集権的計画経済への働く人々の協力について、こう述べる。 「集権的計画経済への働く人々の協力が、ソ連型社会では、異端派の粛清、密告、秘密裁判、シベリアでの過酷な強制労働などによる恐怖をともなって実現されていた側面もたしかに認めざるをえません。……しかし、かりにソ連の10分の1の人々が奴隷的に抑圧されていたとしても、残る10分の9の大多数の人々が、ソ連共産党の指導をどう考えていたか」。 「ソ連型社会は多党制による民主的選挙を実施していなかったのですが、だからといって、民衆の多数の意思に反してその社会建設や経済運営をやっていたとただちに断罪できるかどうか。それはかなりむずかしい問題だと思われます」。 そして社会主義経済体制のあり方をめぐっては21世紀に向けて多様で豊かな可能性が開かれており、そのための選択の座標軸として、3つの軸を提起する。すなわち、(1)「計画と市場と協力の選択や分野によるそれらの組み合わせ方の問題」、(2)「主要な生産手段の所有形態や企業の組織形態をめぐる多様な選択可能性」(労働者の経営参加の程度や方式の選択を含む)、(3)「政治体制として多党制をとるか共産党など1つの政党の指導体制を確立し維持していくか」の軸であり、これらの選択肢の組み合わせが、社会主義の政治体制に様々なヴァリアントをもたらすであろうとされる。 さてこのシンポジウムの報告に続く「第二部 論文」であるが、これはさらに[T・ソ連を中心とする社会主義][U・その他の地域の社会主義(中国・ユーゴ)][V・資本主義諸国の社会主義(イタリア・ドイツ)]に分けられる。 [T・ソ連を中心とする社会主義]では、上島武論文『ソ連とは何だったのか』は、ソ連を「革命によって社会主義の初歩的成果(国有化と計画化)を獲得したものの、その更なる社会主義への前進がソヴィエト官僚制の支配によって抑止され、資本主義的要素(特権と不平等、労働者階級の『脱政治化』──それらは資本主義以前の状況にさえあった)を温存したまま、外部資本主義の経済的圧力を中和させ得ぬまま、資本主義への逆転可能性を孕んだ過渡期的社会」と規定し、ソヴィエト官僚制の果たした役割からソ連の本質を解明しようとする。 村岡到論文『「社会主義=計画経済」は誤り──ソ連邦の経済建設の教訓』は、ソ連邦の経済に「越えることのできないタガをはめていた」「計画経済」という原則的枠組みに焦点を合わせて、「理論的に深く吟味されることなく、常識的レベルでの『成功』(第一次五ヶ年計画──引用者)に幻惑されて『計画経済』という言葉は慣用語になった」こと、すなわち「スターリン時代に定着・流布された」こと、いわば「『計画経済』は『市場経済』の対極をこれから創造するための理念像に与えられた名称」であることを指摘する。そしてこれに代わって重要なのは「市場経済の対極」であり、論者はこれを「協議計画経済」として方向設定する。 また、木村英亮論文『中央アジア社会主義の二〇世紀』は、われわれに馴染みの少ない中央アジア諸国(ウズベキスタン、カザフスタンなど5カ国)における社会主義がもたらした社会の変化を民族的諸問題との関連で言及しており興味深い。 [U・その他の地域の社会主義(中国・ユーゴ)]では、山口勇論文『変貌した中国とその行方──「中華人民共和国」存続の可能性』において、中国の「『党=国家』官僚制的市場経済」への移行の存立構造、矛盾展開の構造が検討される。論者は、現代中国を次の3点でとらえる。(1)「社会主義への後進国的過渡期の官僚制的疎外形態の枠内における『指令性計画経済から市場経済』への移行によって成立したものだから、社会主義か資本主義かどちらかに二者択一的に振り分けて規定することはできない」、(2)「この社会は『社会主義』志向の『党=国家』官僚制と、資本主義においてはじめて体系的な整合性を得る市場経済という2つの異質なものを折衷的に接合させたものであり、それだけに不安定である」、(3)「『党=国家』官僚制は、高度経済成長を保障し、それによって維持される反面、高度経済成長の過程において資本主義的要素の急増、『社会主義』的意識の形骸化によって、自らの基盤を掘り崩しつつある」。そして今後の重大な問題性として、「公共財」(自然環境、医療、教育、道路、通信など)の分野に「市場経済」化を拡大する問題、官僚の腐敗問題、公害・環境問題の深刻化が指摘される。 渡辺一衛論文『富田事件とAB団──中国初期革命運動における粛清問題の教訓』では、1920年代末から30年代前半の農村ソヴィエトでの粛清事件である富田事件を考察する。この時代の粛清についてはまだほとんど知られていないが、井岡山の革命根拠地の時代に国民党軍の包囲攻撃の中で、共産党の側では内部の敵として「強固な反共秘密組織・AB団(アンチ・ボリシェビキ団)が存在し続けるという幻想」が残り続け、これが富田事件とそれに続く江西根拠地の粛清を引き起こし、その拡大・残酷化を招いた。スターリンによる粛清よりも5、6年早いこの粛清の責任者が毛沢東であったことは、中国革命運動史上で重要な意味をもち、「二〇世紀の社会主義運動」の付随してきた粛清と弾圧の歴史を考える上で不可欠な素材を与えるものであろう。 竹森正孝論文『社会主義と自主管理──改めてユーゴ自主管理社会主義の意味を問う』は、ユーゴの社会主義の歴史を辿りつつ、「勤労人民による『自主管理社会主義』の建設というポレーミッシュな側面とその体制化、具体化が『体制のイデオロギー』による『上からの自主管理の導入』として現象したという矛盾的な過程」を指摘する。自主管理社会主義建設の路線(運動)にとって最も重い課題が「指導理念としての『自主管理』と運動・批判としての『自主管理』の統一と矛盾」であり、今日その意味が問われているとされる。今日的な言葉で言えば、「権威とか支配権力の存在を前提とする『参加・統制』型と自己決定・自由を主要な契機として孕む『連合』・『自主管理』型の共存モデル、または『自由』を課題とする社会主義像と、『連帯』『平等』を課題とする社会主義像の接合こそが求められている」のである。 [V・資本主義諸国の社会主義(イタリア・ドイツ)]では、松田博論文『イタリアにおける「自治体民主主義」とグラムシの社会主義像』が、「アソシエーション型民主主義とりわけ『自治体社会主義』」の意義との関連で、グラムシの社会主義像を考察する。「人民の家」、「協同組合社会主義」、「自治体(コムーネ)社会主義」についての検討と、グラムシの「国家概念の刷新・拡張」──「近代国家における政治的・経済的・社会的・文化的ヘゲモニー・ヘゲモニー装置の決定的重要性」と「政治社会の市民社会への再吸収」「自己規律的社会」──の意義の解明は、「二一世紀にむかっての分権的・理論的参照点」となるとされる。 最後の柴山健太郎論文『二〇世紀の欧州社会民主主義の検証──ドイツ社民党(SPD)の党史の幾つかの問題に寄せて』は、西欧最大の社会民主主義政党としてのSPDの党史から、(1)ベルンシュタイン修正主義論争の現代的意義、(2)ワイマール共和国の崩壊と反ナチス闘争の敗北によって第二次世界大戦を阻止できなかったドイツ社民党の理論と実践の再検討、(3)ゴーデスベルグ綱領とベルリン綱領の意義、を検討する。そして過去に対する批判と限界点の評価を踏まえて、現在のベルリン綱領の特徴──共通の安全保障政策、欧州統合の推進、女性と男性の社会的平等の達成、産業社会のエコロジー的革新、労働時間短縮による雇用増大と労働と生活の人間化──を考察する。 以上概観してきたように、本書は「社会主義の二〇世紀」ではなく「二〇世紀の社会主義」の批判的検討を通じて「二一世紀の社会主義」を展望する試みではあるが、最初にことわったように論者それぞれの視点の違いはかなり大きいし、また言及されていない諸問題も多い。しかし「短い二〇世紀」に存在したソ連型社会主義の教訓はやはり圧倒的に巨大であり、今後の研究と論争と展望が着実に深化前進していく一歩として本書はあると言えよう。 |