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評者: | 松井隆志(戦後研究会) | 『ピープルズ・プラン』23号 2003年夏号 |
タイトル: | 「田畑稔・大藪龍介・白川真澄・松田博編著『アソシエーション革命へ』」 |
本書は「アソシエーション」についての論文集である。「まえがき」は、本書を「基礎研究」と位置づけているが、複数の執筆者が多面的に論じており、総合研究とでもいうべき広がりを感じる。 まず序章で田畑稔が「アソシエーション革命」という問題設定の概要を説明している。その後構成は三部に分けられる。第一部は「アソシエーション革命の構想」ということで、基本的な理論図式の説明をする中でなぜ今 「アソシエーション」なのかという歴史的な位置づけがなされる(捧堅二・形野宿貴・大薮龍介)。第二部は「アソシエーションと経済システム」として、資本主義経済システムとの関係から「アソシエーション」が議論される(河野直践・字仁宏幸)。最後に第三部「アソシエーション革命の実践へ」は、現実のさまざまな「アソシエーション」の試み(イタリアの事例から日本のNPOや社会運動など)が具体的に紹介され検討されている(松田博・黒沢惟昭・榊原裕美・白川真澄)。 そもそも、本書がテーマとしている「アソシエーション(革命)」とは何のことを指すのか。各論者間には「政治的思想的立場の多様性」が存在するため、「アソシエーション」は論文ごとに若干異なったイメージで描かれているようだが、本書に最低限共通する説明としては第一章の以下の文章が引用できるだろう。 「それでは『アソシエーション』とは 何なのか。普通『アソシエーション』 は、ある目的のための組織された集団一般をさして使われる言葉である。現代社会における膨大な数の社会集団が『アソシエーション』であり、現代社会はまさに諸アソシエーションの複合体である。しかし、『アソシエーション革命』といわれる場合、このような広い意味ではなく、もっと限定された意味での『アソシエーション』が念頭にある。広い意味での『アソシエーション』のなかには営利団体もあれば、非営利団体もあるし、また権威主義的な組織構造をもつ集団もあれば、民衆的で、自治的な集団もあるが、このうちいま注目されているのは、非営利の、民衆的、自治的な社会集団としての『アソシエーション』である。」(五〇頁) 「アソシエーション」は、国家・市場・親密圏の三つそれぞれから区別される市民社会という領域の主要な組織原理である。このような「アソシエーション」が二〇世紀末から台頭してきた。単に量的に「急成長」しただけでなく、「アソシエーション」的なものが特に国家や市場に対して「ドミナント(優勢)」になるような社会の変革が進行しつつあり、それが「アソシエーション革命」と名付けられている(序章)。 先にも述べたように、論者によって「アソシエーション」の具体的対応物に幅があるため(「第三セクター」や「協同組合」 から社会運動組織まで)、「アソシエーション革命」が進行中だと言われても、その社会像はなかなかひとつのものとして焦点を結ばないというのが正直な印象だ。そのこととも関係するが、以下、私が本書を読んで感じた不満を一点述べておきたい。 「アソシエーション革命」というのは、今までのような主権国家の行きづまり又はその分権化という「趨勢」を議論の前提にしている。しかし、たとえば過日の有事法制定を考えてみても、今私たちの眼前で国家の権限委譲だけが進行中だとは、私にはとても思えない。だとすれば、国家の相対化を押し進める「アソシエーション革命」だと見えるものは、実は国家による「アソシエーション」の動員なのではないか、と疑ってみたくなる。 もちろん各論文においても、「アソシエーション」が国家(や市場) に包摂・利用されてしまう危険性についてはたびたび言及されている。しかし、「対抗的アソシエーション」がいつのまにか議論の出発点 (前提) になってしまっていて、「対抗的」ではないものも含む 「アソシエーション」一般がはらんでいるはずのそうした危険性について見通しが甘くなっているように思われる。 この点に関しては、「アソシエーション」の負の側面をきちんと指摘している第八章と第九章が、重大な論点を提起しているように思う。しかし、たとえば第九章の白川の議論においても、「地域自立・地方分権」が立論の前提になっていたり、やはり本書に共通して国家からの自律がやや楽観的に想定されているように感じる。 確かに、国内外におけるNGO・NPOの役割の拡大を見ても、「アソシエーション革命」は進行中なのかもしれないと私も思う。しかし、重要なのは「アソシエーション」一般の中から「対抗的アソシエーション」をつかみ出すことであるはずだ。「アソシエーション」はそもそも自然と生成されるものではないし、まして自動的に「対抗的」になるわけでもない。「アソシエーション革命」という大きすぎる概念で は、こうしたことが十分に議論できないのではなかろうか。 こうした批判に反諭するかのように、序章には以下のような記述もある。 「現実のアソシエーションは『ヘゲモニー』と『対抗ヘゲモニー』の綱引きの中で動くのであるから、とりわけ補完的アソシエーションの意義を頭から否定したり、それとの協同を頭から拒むことは致命的な誤りであろう。」(四八頁) 私も「頭から否定」しているつもりはないのだが、しかしそのヘゲモニーの「綱引き」の具体的様相こそが問題の焦点なのではないか、と思う。本書はそこまで踏み込んでいない。「基礎研究」として本書の存在意義は少なくないと思うが、一読者としてはその先の議論まで読んでみたかったとも思う。 |