『日本のファシズム』について
評者:平井一臣(鹿児島大学教授)『季報唯物論研究』第154号
2021年2月
タイトル:大藪龍介著『日本のファシズム』


 本書は、長年にわたってマルクス主義政治学の構築に心血を注いできた著者による日本ファシズム論である。一九七〇年代から八〇年代にかけての一時期、日本ファシズムをめぐって激しい論戦が闘わされた。しかし、著者が言うように「嘗てのようなファシズム論をめぐっての熱気は消え失せ」(4頁)ている。そうした状況の中、理論研究を主なフィールドとする著者があえて日本ファシズム論を検討の俎上に乗せたのは、「二一世紀にファシズムは再来するか、この論議のためにも、二〇世紀の世界戦争とファシズムの時代の厳酷な経験についての考察の一層の深化が欠かせない」(六頁)という今日的状況に対する問題意識に根ざしている。研究の専門分化と細分化が進むなかで、こうした領域横断的でマクロな歴史像を把握しようとする試みは評価されるべきであろう。まずは本書の内容について簡単に紹介しておくことにしよう。

 本書は四章から構成されている。第一章は、これまでの日本ファシズム論に関連する代表的な研究の理論的検討、第二、三章は、戦前日本の政治史の展開過程とその時々の政治体制の特徴と変化のプロセスの描写、第四章は、第一〜三章を踏まえての著者の日本ファシズム論の提示、にあてられている。

 第一章で検討の俎上にのせられる研究は、第一にマルクス主義の立場に立つ日本ファシズム論、いわゆる「ファシズム否定論」を主張し「日本ファシズム論争」が展開されるきっかけとなった伊藤隆の研究、比較ファシズム論の観点から日本ファシズムを論じた山口定の研究等である。これらの先行研究の検討を通して筆者は、日本ファシズム論を展開してきたマルクス主義史学や山口の比較ファシズム論は、「いずれも丸山が提出した日本ファシズム論を超え出ていない。むしろ退化している。」(五二頁)とし、「日本のファシズムの諸特質と全体的な輪郭をほぼ的確に析出している」(五六頁)と、丸山眞男のファシズム論に極めて高い評価を与えている。日本ファシズム論の著者による理論的総括の特徴は、まずは丸山ファシズム論の出発点に立ち戻り、その後の様々なファシズム論のみならず、日本政治史や日本政治思想史研究の成果も取り入れながら、日本ファシズム論を再構築する点にあると言えよう。

 二・二六事件までの思想・運動レベルのファシズムを扱う第二章で、とくに著者が重視するのは北一輝の対外思想である。北の「対外膨張主義的な『革命的大帝国主義』」は、「後進帝国主義国としてのウルトラ・ナショナリズム」であり、「日本ファシズム思想の源流」(七四頁)と位置づけている。しかし、北は「革命思想家であっても革命運動家たりえ」(七九頁)なかったのであり、さらに二・二六事件の決起の失敗とその後の北・西田税の処刑、陸軍内の粛正人事によりファシズム運動の担い手は消滅したという。

 一方、同時期の日本では政党政治の衰退と軍部の政治進出が進むが、「五・一五事件前後から、世上ファッショ化が注目され、反ファッショ的気運は強かった」(九八頁)と述べる著者は、しかし「それをもって日本のファシズム化の具体的進行の証左とするならば短絡的に過ぎる」(九九頁)と言う。満州事変以後の事態の推移は、総力戦体制の実現を目指す軍部の政治的発言力の増大であり、そのなかでの政党政治の衰退、思想、教育の国家統制の強化であるが、それ自体はファシズムではない、というのが著者の見解である。著者は、一九三四年の「国防の本義と其強化の提唱」、一九三六年の「陸軍軍備の充実と其の精神」という陸軍が出した二つのパンフレットに着目し、後者のなかにある「全体主義国家の体制の整備」という全体主義構想がその後のファシズム体制につながるのだと言う(一〇六頁)。

 第三章では、二・二六事件後の政治体制のファシズム化の分析が進められている。日本の政治体制がファシズムへと進む転機は、近衛内閣期に求められている。一つは、三八年一一月の「東亜新秩序」建設の声明発表であり、著者はこれを「帝国主義的大陸侵攻の新たな段階」、「ナショナリズムのウルトラ化」(一二五頁)と評価する。もう一つは、東亜新秩序声明に先立つ同年四月に制定された国家総動員法である。これは「国家総力戦体制構築のファシズム化の徴表」(一二七頁)を意味するものだという。ただし、日本の場合、「『新体制』を建造した支配諸勢力が唱導して正統化した体制は、『ファシズム』ではなく日本的全体主義」(一四三頁)、すなわち「世界的なファシズムの日本独特の存在形態」(一四五頁)だという。

 総括的な検討を行なう第四章では、日本のファシズム化が「日本的全体主義」という形になぜ結実していったのかが論じられている。著者によれば、軍部主導のファシズム化の主要因は、明治以降の「侵攻ナショナリズム」と第一次大戦後の国家総力戦・総動員の要請が結びついたことにあり(一五八頁)、その担い手となったのは「官僚制化するとともに国民大衆に根をおろした巨大な軍事機構、行政機構を統轄するエリート将校、官僚を中軸にする、テクノクラート・ファシズム」(一六二頁)だった。そして、カリスマ的支配の要素を欠く軍部は、「天皇の擬似カリスマ化によってファシズム化を進めた」(一六二頁)のだという。

 以上が、評者なりにまとめた本書の概要である。本書の意義と疑問点を述べることにしよう。

 本書で著者は、ファシズムという概念をかなり限定的に使用しており、あれもこれも何でもファシズムという議論は回避している。思想レベルでファシズムと呼べるのは北くらいであり、また、近衛内閣期にファシズム体制へと大きく変化するが、それは独伊と違った「日本的全体主義」体制だったという。全体主義論や権威主義体制論など、近接する政治体制、また、伝統的な国家主義とどのような点で共通性が認められ、どのような点で異なるのか、理論研究者らしい考察が重ねられているのが本書の特徴である。

 しかし、戦前日本がたどり着いた体制が著者の言うような「日本的全体主義」だったとするならば、「ファシズム」という用語を用いる積極的な意味はどこにあるのか、という素朴な疑問を抱かざるをえない。評者には、筆者のファシズム理解は極めて静態的であるという印象をぬぐいえない。ファシズムは、一九二〇〜三〇年代の時代状況のなかで独特のダイナミズムを伴った危機の政治過程だと考える評者からすれば、本書では、そうしたダイナミズムは視野の外に置かれているように思われる。たとえば、一九二〇〜三〇年代の日本について、言論レベルではファシズムが論じられていたが、実際にはファシズムと言えるものではなかったと筆者は言う。そうなのかもしれないが、ファシズムが単なる保守反動ではなく、民主主義の内から、民主主義を内破するかたちで台頭したと考えるのであれば、この時期の政治体制の変容をどう見るのかは決定的に重要であろう。ところが、本書の最後に掲載された表中で昭和初年の「政治体制」の欄は「?」とされており、筆者の戦前デモクラシー像が提示されていない。そのため、二〇〜三〇年代に日本の政治体制がどこからどこへどのように変わっていったのかが不明瞭になっているのではないのだろうか。

 最後にもう一つ付け加えるならば、著者の「ファシズムの再来はあるのか?」という問題関心への著者なりの応答が必要ではなかったのか。少なくとも近年盛んに論じられているポピュリズム論とファシズムとの関係はどのようなものなのかという点について、論究があってもよかったように思う。