『マルクス・カテゴリー事典』について
評者:高橋洋児(静岡大学教授)『週刊読書人』1998年5月22日号
タイトル:「厳正な再審に付す」


 たとえば「マルクスの今日的可能性」という課題設定のしかたに、わたしは違和感を覚える。マルクスに限らない。学説上の有力者たちのだれでもよい。あるいは○○思想、△△主義でもよい。また、「今日的可能性」の代わりに「現実的有用性」といった言い方をしても同じこと。いずれの場合であれ、逆立ちした課題設定という印象をぬぐえない。解決を迫られていると考えられる今日的・現実的な問題をまず提示したうえで、そのためには当の理論や思想はどのような可能性・有効性をもっているのかと問うのが社会科学の本道であろう。それこそが der Marxsche Geist でもある。このような問い方をすることで、過去の理論や思想がたかだかジグソーパズルの1つか2つのピース、or so の役立ちしかもっていないのか、それとももっと大きな意義をもっているのかを見極めることもできる。「見極める」とは「活かす」ことであり、と同時に、それ以外の部分は役立たずのものとして「切り捨てる」ことでもある。

 現実問題への応接が第一義の課題であることを忘却して、あるいは回避して、ただただ自分自身が長年たずさわってきた研究テーマや関心事項を出発点に置くというやり方は、井戸の中から空の広さを測ろうとする珍妙さ、落ち穂拾いのむなしさをまぬかれない。それでは現実の側から「切り捨てられる」だけだろう。

 その点、この事典はどうであろうか。まず作り方について見ると、いくつかの特色があるようだ。主要な「カテゴリー」が130項目ほど厳選され、それが大・中・小の3ランクに区別される。「カテゴリー事典」というタイトルには、単なる用語解説ではないという編集意図が込められている。実際には、「アメリカ合衆国」「ヘーゲル」「正義と平等」「法と権利」など、通常の「カテゴリー」概念を超える項目も多数含まれている。編集諸氏は、かつての『資本論事典』(青木書店)、久留間鮫造編『マルクス経済学レキシコン』(大月書店)、『現代マルクス=レーニン主義事典』(社会思想社)、あるいは大阪市立大学経済研究所編『経済学小辞典』(岩波書店)といったマルクス系統の事辞典類とは違った独自性を、タイトル面でも打ち出そうと苦心されたにちがいない。

 大きな特色は、どの項目も「執筆者による論考」として書かれている点であろう。もちろん、署名入りである。執筆者総数は100人を超える。1人が関連項目をいくつかかけもちで、という小項目主義にありがちなお座なりさはない。初めに当該項目に関するマルクスの文章が「テキスト」として引用され、そのうえで執筆者の論考が展開される。立場も視角も多様であり、だれが執筆しても似たり寄ったりの解説とは、ひと味違う。そのためには相応のスペースが必要なので、小項目でも3ページが割かれている。事実上の大項目主義だ。項目数が限られている分は詳細な索引で補うという構成である。

 そして、おおむね各項目末尾で現代的な諸問題に対するマルクスの意義ないし寄与のほどが厳正な再審に付される。ここで本事典の最大の特色が発揮される。マルクス当人に関しても「マルクス的ガイスト」に照らして、使えるところ・使えないところの「見極め」をつけようとする。項目によって差はあるが、マルクス護教を排し、マルクスの今日的限界を率直に見据えて克服しようとする姿勢が随所に見られるのは意外な程だ。そこに、上記の事辞典類とは大きく異なる独自性がある。時代情況のなせるわざと言えようか。そうした真摯さと緊張感が、本事典のアクチュアリティを担保している。

 現実問題に対処するに当たって、活かせるところはむろん活かしつつも、そうでないところは大胆に刷新してゆくことが今後の方向性となる。