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評者: | 郷 神威(共産主義者同盟プロレタリア戦旗編集委員会) | 『現代と展望』34号 1992年12月 |
タイトル: | 「過渡期国家論への衝撃」 |
一 スターリン主義体制の崩壊に際し、マルクス主義国家論の責任を痛感 大藪龍介氏は、本書でまず、ソ連邦の瓦解−スターリン主義の頽廃を前に、この一党独裁の官僚専制国家を「社会主義国家」と擬制した彼らと、マルクス、レーニンとの断絶面を指摘する。だが、それ以上に、その中にマルクス主義の歴史的限界と今日的危機を見出し、国家論の俗務化と怠慢のツケを支払う覚悟を示す。スターリン主義批判、トロツキー主義復権、レーニン主義の相対化の階梯を辿ってきたマルクス主義再興の志向は、エンゲルス主義ののりこえとマルクス主義の自己革命へと高進すべき、と。 氏は、前著「現代の国家論」の反省をこめて、スターリン主義の超克を制約したレーニン (主義)国家論を厳しく批判する。両者の断絶面より連続面を際立たせ、ソヴェト民主主義を崩壊させた政治理論的根拠を鋭く突き出している。マルクス国家論の限界を示唆しつつ。従来なら、「ポスト・マルクスの政治理論」と銘打つ本書は「聖域」に挑戦する「禁断の書」に止まった。だが今日では、本書を受け止めない左翼は「護教派」として笑い物となるだろう。 氏は、レーニン国家論に対して、まずコミューン型国家論をジャコバン型の公安委員会国家と理解していると批判し、次いでプロレタリアート独裁論をマルクスの原義から逸脱していると批判する。さらに、プロレタリア民主主義論の提起を評価しつつも、それがブルジョア民主主義を内在的に批判しえず全否定するに止まった、と批判する。 そこでは、政治実践との絡みで変遷するレーニンの政治理論が、綿密な資料的追跡をテコに、「国家=機構」観との関連で批判的に再構成される。マルクス国家論との差異を明瞭にし、彼の国家論上の核心的限界点をえぐり出す筆先は鋭い。そして、レーニン主義(政治)が客観的にはス夕ーリン主義への伝導装置となった、と痛烈に結論される。 マルクス国家論に対しては、まずコミューン型国家論の直接民主主義的な核心を高く評価し、国家機構に止まらない国家の構造全体への補充を図る。次いでプロレタリアート独裁論について、その一時性やプランキ主義的理解との区別に注目を促す。 だがそれは、近代ブルジョア国家の典型的な発展をとげたイギリスでなく、当時、資本主義発展の中進国であったフランス階級闘争の歴史的経験に基づいていた。ここから氏は、議会制民主主義論に関するマルクスの科学的研究の欠如が、レーニンなど後世のマルクス主義国家論の限界を規定していると述べ、その止揚に踏みだす。 本書の全体的骨格について、私は、個々の論証内容はともあれ、氏の基本的視点を高く評価したい。国家論への接近視角の相違はありつつも、コミューン型国家論にしろ、プロレタリアート独裁論やプロレタリア民主主義論にしろ、意図する政治理論的結論が非常に接近しているからである。今や多くの新旧左翼が、スターリン主義政治体制の崩壊と激変を眼前にして、この世界史的な「国家と革命」の転回を共通体験し見解の相違の幅を縮めている。本書の論述を謙虚に受け止め真剣に吟味するならば、マルクス主義国家論の前進に向けた核心を掴み出すことは、十分可能である。 とはいえ、共産主義的政治実践を生業とする私からすると、氏の科学的研究過程を共有できない制約下で、その創造された理論内容を、限られた実践的−理論的経験から吟味するには、一定の困難を覚える。実証的な知識収約−本質論的な理論蓄積の不足は、革命実践的立場において、実践理論的な概念的定式を創造し適用する視点から「純理論」的分野の諸成果を吟味する限界を自覚させるからである。その意味で、私は本書から幾つかの実践理論的な定式を得たものの、いまだマルクス国家(と革命)論を内在的に止揚する糸口を掴むに止まっている。 なお、私の「国家と革命」論理解は、後述の「『国家と革命』の学習と研究」に示している。 二 ジャコバン的残梓を払拭しコミューン型国家論を再構成する意義 氏は、マルクスが「パリ・コミューンに現出している未来創造的諸傾向を発展的に抽出」して、「自己消滅の過程的論理を体現している国家機構」の原則的あり方を示したと述べる。「過去からの旧套的な傾向は捨象」され、「現実のパリ・コミューンはマルクス主義に無関孫」な「共和主義的反乱」 で、そのままモデル扱いできないとされる。 だがレーニンは、パリ・コミューンへの当初の限定的評価を取り払い、これを労働者国家の普遍的モデルとして教条化した。マルクスが自覚的に捨象(批判表明) した、公安委員会による反対派への抑圧──ジャコバン (・ブランキ)独裁を、自覚的に超克できなかった。この逸脱により人民委員会議による人民王権の幕藩がロシアに現出した、と氏は厳しく批判する。 そして、コミューン型国家を、その直線民主主義的な社会的力をより鮮明にする形で再構成する。代表制批判、官僚制への注目、市評議会と全国評議会の権力分立などの評注。民主主義的権利、人民の自己立法、複数政党制などの補充。および、議会制民主主義国家の止揚物への組み替えなど。 氏は、「コミューン型国家機構の諸原則についての評註」で、まずレーニンがエンゲルスの誤ったドイツ語訳に影響されて、マルクスの派遣委員制を代表制と取り違えたと述べる。代表制は代意主義かつ代行主義的なプルジョア民主主義に特有な形態であり、コミューンは選挙人の命令的委任に従う派遣委員制(代理制) に基づかねばならない。だが、派遣制すら、政見制との矛盾、多段階委任制による動脈硬化の弊害を抱えると言う。 次いで、旧官僚機構に代わる新官僚機構の辿る先は、レーニンの主張するあらゆる官吏制の漸次的死滅ではなく、「管理機構への転化」であるべきと述べる。政党制についても、一国一前衛党による政治独占の多大な弊害を説き、同一階級ですら政治綱領−個別的方途における分岐が必然であり、相互抑制−政権交代制を促す複数政党制−分派の必然性と前衛の多元化を主張する。 氏は更に、レーニンが「同時に執行し立法する行動的機関」のマルクスによる市評議会への限定を解除し、これを間接選挙に基づく全国評議会、中央政府へと拡張し、国家権力の分立を否定したと批判する。彼の民主主義的中央集権制は、自治、分権というコミューンの特質を根拠にした、国家権力の濫用の防止や官僚制化への対抗を促せず、公安委員会型国家を現実化したというわけである。 氏はこれを、マルクスによる国家権力分立論の過小評価、水平的な三権分立論に止まらぬ、ロックの垂直的・相対的な二権分立論の未継承に求める。執行権力と主要な立法権力を担掌した内閣=政府の優地〔?〕という視点から、議会制民主主義国家の権力メカニズムが分析される。その否定的変革として、労働者国家の権力機構的編成が構想され、人民の直接立法、全国中央評議会の中央政府への優越などが説かれる。 私は、この大藪氏のコミューン型国家論の再構成を、ソヴィエト・ロシアの崩壊という歴史的経験と重ね合わせるなら、直接民主主義的なコミューンと間接民主主義的な国家機構の制度的矛盾を、共産主義社会への「革命的転化の時期」の本質的要素として措定すべきだと思う。それは、国家を市民社会に再吸収する矛盾であり、民主的=官僚的な階層編成の不断の階級関係への傾斜に抗する、労働者の階級的=市民的な自己権力の、ヘゲモニーとしての社会的成長によって克服・止揚されねばならない。 このことは、従来マルクス主義が想定した過渡期社会建設の共産主義社会への連続的発展観(客体化)を問い直し、共産主義モデルの即時導入や、資本家的生産の粗野な廃絶の道を拒否するものである。それは、階級的全体(集団)性と市民的個体性の均衡に立脚し、価値法則の止揚を脱官僚制的に図るための、人間的な社会主義生産(交通)−システムの創出を要請する。こうした過渡期社会の積極的な再措定の内には、社会主義を多元的に考案し、弁証法的−「試行錯誤」的方法をもって建設を進めうる、制度的保証も必要であろう。 三 レーニンによるプロレタリアート独裁論の歪曲を痛切に対象化 氏は、まずマルクスのプロレタリアート独裁論の「発展」を分析し、これをブルジョア反革命独裁−暴力的敵対への対抗−制圧手段として、臨時的に、彼らから民主的権利を剥奪し、国家的 〔?〕暴力支配を法律によらず、直接的に行使するものと把捉する。マルクスは、一貫してジャコバン的な少数者独裁を否定し、後期に至って恐怖政治を否定した〔?〕と評価されるが、この独裁国家自身の革命的機関による権力一元化を認めたふしには疑問を呈する。そして、「政治上の過渡期」の国家をプロレタリアート独裁に一面化する見解の弱点にも、プロレタリア民主主義を生かす見地から触れる。 次いで氏は、レーニンが一七年革命後、プロレタリアート独裁の臨時性というマルクスの原義を踏み破り、内容を改竄し、それを全面化してプロレタリア民主主義を後退させた、と痛切に批判する。その独裁論は、「超法規性」の名の下に「革命の目的論的規範」・倫理性を欠き、これを政治的必要性(手段)に従属させるものであった。それゆえ、近代民主主義に踏まえず恐怖政治に走らざるをえないジャコバン民主主義、逆立ちしたブルジョアジー独裁とも批評される。 しかもレーニンは、何らの論証も抜きに「独裁」をあらゆる国家の「本質」として一般化し、「形態」たる民主主義への優位を確定した。そして、経営管理における単独責任制の採用に擬して、プロレタリアート独裁を個人独裁、一党独裁の容認へと拡張し、階級的政治支配を高めるべきプロレタリア民主主義を窒息させた。氏は、こうした独裁が多種多様に任務を拡大しても、その国家主導主義政治の下では、労農同盟の鍵となる非国家的な指導(=ヘゲモニー)は成長しなかったと結論する。 さらに氏は、ローザ・ルクセンブルクによるレーニンの一党独裁や恐怖政治への批判に賛意を示しつつも、彼女の独裁論が「無制限の政治的自由」を唱え、民主主義の制限された用い方を無視している点には疑問を示す。また、マルクスがイギリスにおける平和的な権力の移行の可能性を論じつつも、ブルジョアジーの暴力的反抗を想定してプロレタリアート独裁論を手放さず、その条件性・相対性に基づく準備を促した点を評価する。そして、近代的立憲主義が根づいた後のそれは、旧来の原義にとらわれず、立憲的独裁の採用や法律の一部停止が望ましいと主張する。 私は、このような大藪氏のプロレタリアート独裁論を概ね承認できるが、コミューンの趣旨からして、独裁なる政治支配概念をあらかじめ国家形態に限定する必要はなく、またジャコバン独裁との区別のあまり恐怖政治を全否定することも、独裁の原義を外れると思う。コミューンの分権性を確保しつつ、時限立法的に国家機構の権限集中を中央政府に委ねる余地も、臨戦体制下では残されるべきであろう。とまれ、独裁の原義が生かされる限り、近代的立憲主義の定着に踏まえコミューンを主体とする、氏によるプロレタリアート独裁論の再構成、或いは適用形態の追求を評価したい。 ところで、レーニンの「国家の本質としての独裁の一般化」は、「国家=暴力装置」説の必然的帰結であり、政治的共同体として実存し、支配階級による政治支配の手段とされる国家の特殊な性格を曖昧化し、統治形態の動態的把握を見失うものである。「国家の本質」が、革命的権力闘争の「攻防の弁証法」による究極的形態=「正体」として、「歴史=論理」主義的な通俗的了解を得ていたとしても、同様である。そこでは、分業に基づく諸特殊利害の対立を(共同「幻想」的な)社会的規範をもって統制する、政治の本質的意味が国家把握に対象化されず、暴力装置を破壊する軍事力学の前に政治は窒息してしまう。 その意味で私は、国家の本質的な一般規定を、レーニンのように「独裁」とするのではなく(前出拙稿。この点については本書144頁の補注で引照) 「支配階級に属する諸個人が、彼らの共通の利害を実現し、その時代の市民社会の全体が総括される形態」(同)という生成の論理の内に、「共同社会的幻想の物質化された形態」と概括している。国家は、支配階級の特殊利害が社会の一般的利害という幻想性(国家意志)を得て物質化され、国家権力性を獲得する、すぐれて政治的共同体として考察されねばならない。けだし、そこでは共同幻想性は単なるデマゴギーではなく、諸階級の分業−相互依存性に否定的に即す効用に立脚し、政治の相対的独自性を根拠づけるからである。 四 レーニンにおけるプロレタリア民主主義論の前近代性を適切に批判 氏はまず、レーニンが二月革命以前、反絶対主義(及び反「ボナパルチズム君主制」)、次いで反帝国主義の見地から、ブルジョア民主共和制を美化しつつ、これにプロレタリア民主主義を混入させて二段階戦略を構成した点に、疑問を呈している。帝国主義段階では議会主権は実現不可能であり、ブルジョア民主制は階級闘争を議会主義改良主義に吸引する〔ロシアでも?〕と考え、プロレタリア民主主義を掲げつつブルジョア民主主義を生かし改造していく、複合的な永続革命戦略を対置している。 但し「レーニンによるブルジョア民主主義革命への拘泥は、ロシアの後進性の熟知によるとともに、社会主義への絶対的基礎としての民主主義の徹底的な重要視に基づいていた」との評価を忘れていない。しかし二月革命後、レーニンはブルジョア民主主義を完遂しないまま(議会共和制・土地革命)、十月革命をテコにこれを飛び越え社会主義的変革に着手した。ブルジョア民主主義は内在的に止揚されず、そのブルジョア性が強調され全否定されたと述べる。 氏は、レーニンによるブルジョア民主主義批判の内容を検討し、その形式主義・偽善的性格、金権主義、上からの寡頭主義、代議制的性格という短所が、もっぱら経済還元主義的に批判されたと述べる。他方、その階級間的=国民的性格、多元的・寛容的性格、個人本位・権利本位的性格、国家権力制限的性格という民主主義的長所には眼を向けなかったと批判する。 この原因を、氏はレー二ンが、被支配階級を除外した階級内民主主義である近代初期のブルジョア自由主義と、階級間民主主義である近代盛期のブルジョア民主主義とを混同した処に求める。(1789年のフランス革命や)1871年の上からのドイツ革命をもブルジョア民主主義革命とみなすレーニンは、「民衆の政治的権利を排除して、寡頭議会制やボナパルティズムの国家を制度化した自由主義革命〔?〕」 への理解を欠くとされる。 この結果、レーニンのコミューン型国家論を軸とするプロレタリア民主主義論は、職域による制限選挙制に関連して理論的揺らぎはあるも、敵階級から自由と民主主義を剥奪する階級内民主主義、裏返しのブルジョア自由主義に止まった。自由を攻撃する者にも自由を保障する近・現代民主主義のディレンマはなく、敵はただ駆逐するのみというプランキ主義の再版であったとされる。 それは、国家主義的社会主義理論に基づき、市民の権利を道徳的に措定せず法律的、後国家的に扱い、生産手段の国家的独占を根拠とする官僚主義・党派主義的歪曲と聞えなかった。民主主義を市民的政治として扱わず国家形態に一面化したレーニンは、市民の対国家的権利を否認し、少数者の権利を配慮せず、権利主体を階級=集団に限定して個人に認めず、プロレタリア的自由を彼岸化した。氏は、ベンサムやJ・S・ミルの自由民主主義論と没交渉で、プロレタリア民主主義を高次化できなかった限界と述べる。 かくして、プロレタリア民主主義を具現したはずのソヴェト民主主義は、ロシア史上の一大前進にもかかわらず、後進性と戦時共産主義−軍事優先主義の下で、階級の未成熟と「脱落」を背景に窒息していった。1921年におけるネップの導入とは裏腹な政治の逆改革は、正当なクロンシュタット反乱を鎮圧し、党内分派の禁止と反対政党の撲滅として民主主義を最終的に消滅させた。氏は、この事態が官僚主義を促しつつ、これと闘うレーニン最後の闘争を限界づけたと結論する。 このような大藪氏のレーニン・プロレタリア民主主義論に対する批判を、私はその前近代性を適切に示すものとして評価したい。レーニンはそもそも、国家からの市民社会の分離に基づく資本制国家論の原理的把握ぬきに、国家一般論をこれに当てはめ、直線的に統治形態論を展開している。私はそれを「私有財産制の承認を根拠に、『自由・平等』なる立憲的理念の形式と内容の矛盾をはらんで物質化される国家」 「三権分立をテコとした虚偽なる国民的共同体」と規定し、「自由主義と国家主義の矛盾的統一のうちに、統治形態の発展を追求」してきた(前出拙稿)。 かかる視点の欠如は、資本制国家のうちに矛盾的な発展原理を捉えず、「自由・平等」なる理念に等価交換の仮象性しか見出さず、仮象性のうちに潜在化した民主主義の発展的要素を発見し、変革的に顕在化させえない根拠となろう。基底体制還元主義的なブルジョア民主主義批判は、市民社会の成熟─複雑化に対応した国家の民主主義的編成の高度化に着目せず、プロレタリア民主主義を前近代的・理想主義的に対置することとなった。そこではコミューン型国家が理論上万能薬とされたが、実際には間接民主制を有用化できず官僚主義の台頭を招く問題が重くのしかかった。 問題は、市民社会に国家を再吸収する主体的推進構造の解明あり、コミューンに体現される直接民主制的な労働者の自己権力を基礎に、如何に間接民主制を有用化しつつ市民社会でのヘゲモニーと国家的支配を図るのかという点にあろう。因みにレーニンは『国家と革命』第三・四章において、曖昧ながらプロレタリアート独裁の現実形態を民主共和制からコミューン制への移行と捉え、その推進力を「民主主義の徹底化」に求めた。だがそれは、「量から質への転化」として<過程的弁証法>で客体的に扱われ、民主共和制を<過程的=場所的>に変革する主体的本質を内在化したコミューン運動の具体化として扱われてはいない。 またレーニンの、情勢の革命的・反動的転換に応じたブルジョア民主主義の美化から全否定へ、或いは直接民主主義から国権主義へといった大胆な乗り移りを合理化する政治的現実主義には、実践家として批判的に注目すべきである。そこでは、民主主義(手段)が戦略・戦術的眼から客体的に扱われ、大藪氏の述べる如く「手段が目的論的規範による拘束」を失い、政治的必要性の下に短絡的に従属される。「(政治)目的は手段を浄化する」とも言われるこの政治主義思想は、政治世界では普遍的な現象とはいえ、マルクス主義者はこれを固有な「原罪」として捉え、倫理的に克服すべきであろう。 だがレーニンは、階級的利害を人間主義的な倫理規範と結合させる思想的回路を、不十分ながら問題意識化したマルクスとは違って、自身のイデオロギー的=理論的な政治実践の中に組み込まなかったようである。後進ロシアにおける市民社会の未成熟を背景とし、人間主義思想の中に階級対立を曖昧化する虚偽の意識しか見出せず、変革的実践の主体的バネとなる実存的な苦悩と情熱を求めえなかった。大衆思想の自然発生性に拝跪する近代的人間主義の欠如した政治は、階級闘争を政治・経済的な物象的形態においてしか理論化できず、思想する個体性の内側から実践を構想しえなかった。 この認識し、思想し、実践する個体性に立脚せず、科学的真理の名の下に客体化された歴史法則の担い手として、プロレタリアートを理想主義化しつつ現実主義的に操作するレーニン主義政治は、思想的には全体主義の枠内に止まった。それは市民社会の利己主義に外在的に対立する階級的団結しか想定しえず、労働力商品所有者としての社会的組織性をもつ近代プロレタリアートに特徴的な市民的エゴ(自我)を直視できず、エゴの内在的止揚を通じた階級的=市民的(共同的=個的)主体形成の回路を構想しえないまま、国家への市民社会の吸収に道を開いたのであった。 その意味で私は、レーニンのプロレタリア民主主義論が、<市民社会論−人間主義−個人主義>というブルジョア自由主義思想(の止揚)に媒介されぬまま、ジャコバン型の小ブルジョア急進民主主義思想に強く影響された限界を指摘したい。この視点は、大藪氏の提起する「自由民主主義」の問題と内容的に接合し、レーニンにおける自由主義に媒介されぬ民主主義、或いは民主主義的中央集権制という組織原理の反省を促し、プロレタリア的な「自由民主主義」への変更を要請するのかも知れない。 因みに、レーニンが『国家と革命』で示した民主主的中央集権制は、<批判の自由−多数決−行動の統一>を実践規範とし、連邦共和制よりも大きな地方自治を「統一共和制」に求める無理をおかしている。晩年のレーニンは、ここから<批判の自由>を奪い、官僚制的中央集権主義への改竄の道を開いた。だがコミューン型国家の再構成が示した事は、民主主義的中央集権制における代表制の矛盾を突き、直接民主主義を拡大する点にあり、中央集権と地方分権を均衡的に併存させる連邦共和制の採用を意味しよう。 他方、<批判の自由−多数決−行動の統一>の実践規範も、「自由民主主義」的観点から深化を要求されている。<批判の自由>を「おしゃべり小屋」にしないため「共通の素材認識「論議の継承性」「止揚せる見解の創造」が必要である。<多数決>の横暴を避けるためには「少数意見の尊重」が求められる。<行動の統一>を曖昧化しないため「強制的方法−甘え」の悪循環に代わって「社会契約的な自己規律の確立」が重視されねばならない、等々。 <注>郷神威「『国家と革命』の学習と研究」(『プロレタリア戦旗』No.17・19・20) |