『マルクス社会主義像の転換』について
評者:田畑 稔(広島経済大学教授)『月刊フォーラム』第60号
 1997年8月号
タイトル:「マルクス「過渡期社会像」と<中間形態の思想>」


 本書はマルクスの「過渡期社会像」を論じた骨太の作品である。大藪の基本姿勢はマルクスの原像にいったん回帰し、現代的感心でその可能性と限界を見据えつつ、現代へとマルクスを超えていく通路を敷設しようとすることにある。

 本書のタイトル「マルクス社会主義像の転換」に大藪は三重の意味を込めている(まえがき)。

 第一にマルクス自身、「国家集権的に偏倚した」48年革命当時の過渡期論を60、70年代に「転換」させ、過渡期論を「協同組合型志向社会と地域自治体(コミューン)国家の接合」として見るに至った。従来のマルクス解釈に抗して、マルクスのこの「転換」をあとづけることが本書の基本内容である。

 第二に、マルクス自身の限界(不徹底、未展開)もあって、後期のエンゲルスやレーニンを経由して「国家集権的な過渡期社会像」にふたたび「転換」した。この「転換」はいわゆる「ソ連型社会主義」の歴史的総括の核心に置かれるべき「転換」である。大藪は反スターリニズムを標榜した自分も実質においてこの第二の「転換」から自由でなかったと厳しい目で述懐している。

 第三は、大藪自身を含む現代のマルクス主義者が遂げるべき「マルクス社会主義像の転換」である。マルクスを歴史的に相対化し非マルクスの多様な社会主義をも再評価する「開かれた理論追及の構え」へと「転換」し、未来社会の青写真重視から「移行過程」「過渡期社会像」重視へと「転換」し、そしてマルクス社会主義論の「後進国的再構成」から「先進国的新構成」へ「転換」せねばならない。

 以上、三重の意味での「転換」は、とりもなおさず大藪自身の今日的「転換」の理論的表明形態である。彼の「転換」を評者なりに読み込むとすれば、<中間形態の思想へ>というように表現できよう。<中間形態の思想>とは折衷主義を言うのではない。「固有の中間集団」(79、140頁)としての協同組織(アソシエーション)や自治体(コミューン)の歴史的展開こそが社会と個人、国家と個人の二元分岐を克服し、個人の無力化と社会や国家の強大化を克服するのだという思想であり、現在と未来の「中間」(90頁)、現存システムと未来社会の「中間にある矛盾した社会」(83頁)「中間システム」(90頁)としての「過渡期社会」をこそ実践的探求の「中心環」に据えようとする思想であり、未来社会構想に際しても「中間規模での検証」(89頁)を組み込みつつ「段階を追ってのスケール・アップ」という確立論的アプローチを取ろうとする思想である。大藪のこの思想は<媒介の思想>と言ってもよいが<中間形態の思想>とエクスプリシットに言った方が課題が鮮明になるだろう。

 本書は前編「マルクスの過渡期社会像」と後編「マルクス、エンゲルスの民主主義論」からなっている。特に前編第7節「過渡期社会の編成をめぐる若干の問題」、補論1第3節「過渡期国家像の構想」、後編第3節「自由民主主義の批判的分析」、第四節「真の民主主義的共和制を求めて」は大変緊張感に満ちた作業となっていて本書の白眉である。

 大藪は「過渡期社会の編成」を、次のような骨格で構想する。経済編成としては、(1)協同組合セクター主導、公的セクター、私的セクターの併存、(2)労働者による管理者の選出、(3)事前の計画調整中核、事後の市場調整による補完、(4)企業単位、国民経済単位、(国際経済単位)での「協議的」計画の組織化。政治編成としては、(1)基体としてのコミューン(自治体)とその全国的連合体としての国家、(2)代表制から派遣制への間接民主主義の移行、(3)特定問題での直接民主主義(人民発案、人民拒否、人民投票)の併設、(4)反ないし非社会主義政党を含む複数政党制(党間民主主義)、(5)多段階評議会制と自治体優先原則、(6)官僚制から完全な選挙制・解任制を伴う公務員制へ、(7)いわゆる「プロレタリア独裁」は過渡期に先立つ革命期に蓋然的な一時的措置(武力反乱への対抗)と限定的に了解、(8)人民主権に対する人権の優位。

 「よきライバル」の加藤哲郎が本書への大変読みごたえのある書評を書いている(季報『唯物論研究』第60号)。加藤は大藪の過渡期論が20世紀後半の、とくにポスト・フォーディズムの現実展開を組み込んでいないと宿題を突きつけている。この批評は当たっている。加藤に補足するなら中核─周辺構造をもった「近代世界システム」という視点も組み込めていないと言えよう。それらのことは大藪も認めるだろう。過渡期論は既成の諸制度の危機の現状や社会的対抗軸や力関係や陣地形成や大衆的パトスを含む諸運動の現状という<現に>我々が入り込んでいる諸関係をエクスプリシットに扱うことから出発することなしには限定できない。しかし我々は素手で現実に立ち向かうわけではない。大藪が本書で目指すのは、現代的地点に立ってもう一度マルクスの可能性と限界をギリギリまで見極めつつ、<中間形態>の実践的探求という我々の<現在的>課題遂行を方向付けるような基本的諸観念・諸原則を抽出するということである。「実際家的」活動家から見れば、このような作業は単なる文献詮索に見えようが、評者の意見では大藪の今回の仕事は<中間形態>へのアプローチのための貴重な<中間形態>なのであって、本書をめぐって生産的論議を期待したい。