『マルクス社会主義像の転換』について
評者:野上 浩輔
2002年9月
タイトル:「マルクス主義の復活と大薮龍介」


 T マルクス主義の状況と我々

 確かにわれわれにとってスターリン主義世界体制の崩壊は、晴天の霹靂であった。ベルリンの壁がつるはしで砕かれる画像を見た時の驚きは、尋常ではなかった。スターリン主義の崩壊の必然性は確かに信じていた。だが《一つの戦争》―内乱なしに、自己崩壊としか言い様のない事態があまりに唐突にやってくることは予測できなかった。

 だが今日、スターリン主義の崩壊は社会主義の崩壊であり、マルクス主義の崩壊であると規定されている。この事態はある程度われわれにも予想ができた。しかしこの〈反マルクス主義〉の風潮が労働者運動の衰退と同時に進行する事態は予測できなかった。

 今、日本に実体としての労働者革命の展望があるだろうか。今、世界に世界革命の道筋が見えるだろうか。スターリン主義の崩壊と一緒に、世界の労働者運動の力が全般的に後退しているという観測は、ほぼ当たっているようだ。スターリン主義に忠実だった共産党御用学者が沈黙を守っていることは頷ける。あれほど盛んだったマルクス主義経済学、マルクス主義史学、マルクス主義法律学、等が今日見る影もなく、痩せ細り、息消沈している。日本の学会を謂わば握っていた公式のスターリン主義的マルクス主義は今日完全に、凋落の運命にある。

 だが、息消沈しているのはスターリン主義者だけではない。スターリン主義の批判者も批判の対象の消滅と一緒に消え去ろうとしているかに見える。存在価値が無くなったかの様に…。われわれは、世界革命の最大の妨害物としてスターリン主義を意識した。がスターリン主義の批判的批判者からは常に抜けだそうとしていた。現実には運動が組織できず、理論活動に集中するしかないという事態に追込まれてはいたが、その理論活動においては、スターリン主義の批判的批判者でしかなかったトロツキー主義に歴史的総括を下した。そうしたわれわれに対してさえ、今日の〈反マルクス主義〉の風潮は、襲い掛かっている。

 ここでわれわれの果たさねばならないことはこの風潮に目をつむり、耳を覆うことであろうか。それとも、この 100年来の大嵐に正面から立ち向かうことであろうか。ハッキリ言えば、年を取り力を落としたわれわれに、正面からの挑戦は無理であろう。その力がわれわれには無い。だが、その姿勢だけはどうしても採り続けたいのだ。弁慶が矢玉を受けたまま立ち死にしたように、例え最後のマルクス主義者となろうとも嵐に向かう姿勢を取りたい。それほどせっぱ詰まった時期として現在があると見る。

 マルクス主義の言葉としての存在、マルクス主義の形式的正当性、他を寄せつけない体系性、こうしたものは、国家権力を握るスターリン主義によって今日まで守られてきた。それが今日、マル裸にされた。マルクス主義はその思想的価値においてのみ、存在価値があり生き残れる。だが思想的価値は、思想的闘いの勝利によってしか証明され得ない。批判者を理論的に打ち負かしてのみ、サバイバルされ得る。所がスターリン主義による保護の期間、マルクス主義は絶対的正統性を信じて、批判者に目を瞑り、耳を塞いできただけであった。〈反ソ反共〉のスターリン主義的お題目と同じ〈反マルクス主義〉というレッテルだけで満足していた。闘いを放棄してきた。今日、その保護はない。

 今日マルクス主義者であるためにはこの思想的な戦いに勝利し、生き残らねばならない。スターリン主義による保護の期間、マルクス、エンゲルスの言った言葉、レーニンの方針、その全部が正しく今日の段階でも有効だ、とされた。こんなことは、理屈から考えてもミラクルでしかない。思想は時代を越えられないのだ。本来なら未だマルクス主義者たらんとするわれわれは、むしろマルクス、エンゲルス、レーニンを一番鋭く批判できるものでなければならない。批判の中から真に今日引き継ぐものをしっかりと捉らえるのだ。その途中でマルクスが如何に小さく見えようとも、声高の他の批判者が如何に大きく見えようとも、自己の思考で掴んだものだけを信じてゆくしかない。マルクス主義の復活はマルクス主義の批判から始められるに違いない…。今日、この闘いに一体何人のマルクス主義者が参加しているであろうか。

 大藪龍介はそうした戦いに積極的に参加した貴重なる戦士である。国家論での大薮龍介には以前ずいぶん批判を展開した。その批判が間違いだったとは思わない。しかし、今考えてみると少し読み込みが不足していたようだ。大藪の国家の定義は他の論者も使い慣れた難しい言葉の羅列に終わっているので、その意味を深く考えなかった。しかし「イデオロギー権力としての国家権力」についての大薮の次の文章は、読み込むと筆者の論理と完全に一致する。まず、「政治ないし国家は、物質的生産に規定された精神的生産の領域に属し」ていると明確に規定している。これだけでも大藪の国家論の大半は正当であると言える。「精神的生産の理論的見地から〈イデオロギー的権力〉として捉えられる国家は、政治的イデオロギーが作り出され、そのイデオロギーを媒介として諸機関が創出されることによって、制度的に形成される。国家形成の過程としては、経済的に支配する階級が、被支配階級との闘争をつうじて、政治的イデオロギーを作り出し、この政治的イデオロギーを対象的に実現する形で国家諸機関、その総体としての国家機構を組織する。この政治イデオロギーの物質的な形での実現によって、国家は制度として成立する。この意味で国家は、イデオロギー的かつ物質的な内部構造」(『マルクス・エンゲルスの国家論』)をなすと言う。

 イデオロギー的かつ物質的な内部構造という言葉はもちろんおかしい。「かつ」というのは何か。国家の内部構造は精神(普遍的価値観)であって、その精神が人間関係を通して物質的に実現されるのだ。「かつ」の論理は二元論でしかない。〈イデオロギー権力〉という言葉は好きになれない。イデオロギーは即権力ではない。イデオロギーが国家権力になるためには、重要な社会的過程が存在する。その過程を省略すると、イデオロギー―思考が、即権力であると間違えられてしまう。だが気持ちは分かる。

 支配階級が階級闘争を通じて作り出したイデオロギーで国家を創出するというのは気に入らない。大薮はその階級闘争をダタライト(機械打ち壊し運動)として設定した。筆者はダタライトの前にブルジョア国家は既に展開していたし、国家のイデオロギーはブルジョア革命において形成さてたものであり、ダタライトすなわち産業革命より一昔前のことである、と主張した。筆者は国家のイデオロギーを「ブルジョア時代の普遍性」として抽出したが、大藪は階級闘争の産物であるという。

 「精神的生産の理論的見地から〈イデオロギー的権力〉として捉えられる国家は…、そのイデオロギーを媒介として諸機関が創出されることによって、制度的に形成される」というのは良い。具体的な説明はないが、筆者と全く同一である。筆者はマルクスの助けを借りて、イデオロギーは人間関係として実現し、その人間関係が、社会関係に発展することによってイデオロギーが物質的に実存することになると説明した。やっぱりコッチが正道であろう。

 すーっと読んだだけでは大藪の国家論は他の論者と同じに見えても、精読すれば明らかに大きく進んでいることは事実である。それだけではない新書『マルクス社会主義像の転換』(御茶ノ水書房)では、彼の新しい立場を勇気を持って次々と展開している。その立場がマルクス主義の今日の危機を打開せんという殊勝な意図を滲ませている。その行為は将に、賞賛に値する。それを見よう。

 先ずは、スターリン主義崩壊の意味をこう捉らえる。ソ連圏は「20世紀現代において、資本主義世界の基軸ではなく周辺の幾つかの国で、資本主義体制を取って替えんとする労働・農民大衆の革命が勝利し、社会主義への過渡期の社会・国家建設に踏出したにすぎない。だが、〈一国社会主義〉の国家主義的建設の強行によって無理を重ね、破綻に帰した。ソ連は、社会主義を達成して崩壊したのではなく、社会主義に向かわんとする途次で、決定的にはスターリンの〈上からの革命〉=逆革命によって国家主義的な変質を遂げ、過渡期社会の自律的な発展力を構築することが出来ないまま、やがて停滞し、ついには自壊に至らざるを得なかったのである。〈現代社会主義〉は巨視的には〈資本主義世界システムのなかで起っている現象〉(ウォーラーステイン)をでず、現代世界における対抗的サブ・システム」(165頁)にとどまった…と。よく言った。これは正しい。スターリン主義の歴史的位置づ けの大筋はこんなものだろうと思う。第四インターの中央書記局はよりなんぼか正しいし、的を得ている。

 彼の立場は、既に反スターリニズムではない。戦略的というか、歴史の大筋においてスターリン主義とレーニン主義との区別をつけない。そしてレーニン主義をマルクスと異なる点におけるエンゲルス主義の発展と促える。エンゲルスの国家中心主義がそのままレーニンに引き継がれたと…。大薮にとって既に、レーニン・ボルシェビキ理論は、価値のあるものとしては存在していない。

 だが、エンゲルス主義の国家偏重がロシア革命の国家主義への変質を導き出したのではない。革命の変質への圧力がエンゲルスの国家偏重の理論を発見したに過ぎない。ロシア革命は例えスターリンが存在しなくても国家偏重の圧力の下にあった。スターリンはその重圧の人格的表現にすぎない。スターリンが存在せず、レーニンが健康だったらレーニン主義が国家主義に変質したかもしれないのだ。理論的、立場的対抗軸を持たない限りの話である。トロツキーはレーニンと同じくその軸を持たなかった、というだけである。

 公式マルクス主義のスターリン主義的発展の中で、我々はトロツキズムの路線をスターリン国家主義に対抗し得る正統マルクス主義としては捨て去った。だが、ボルシェヴィズム、レーニン主義路線を捨て去ってはいない。確かにレーニン主義は独自の一貫した路線ではない。初期・中期の農業綱領については決定的に誤った。また革命の国家主義的変質に対抗する軸を設定できずスターリン的な思想の存在を許した。しかし〈権力奪取の手本を示してくれた先輩〉としてまた〈革命的現実主義者〉として、今日でも我々はレーニン主義を認めている。そして、最後にロシア革命とともに辿りついたものが〈ネップ路線〉であったとすれば、その路線をロシア革命のあの時点での唯一の道であったろうと考える。

 その〈ネップ路線〉の対抗として、オルタナティブとしてスターリン主義の 30年体制があった以上、ロシア革命に意義を見出す限り、ボルシェヴィズムを完全に捨て去るわけにはいかない。ボルシェヴィズムは、一つの思潮としてではなく、歴史的に総括しなければならない現実的歴史の対象であって、捨て去ることのできるものではない。ヨーロッパ革命が挫折したのはレーニンのせいではないのだから…。

 U 国家所有=社会主義への批判

 大藪は社会主義を〔生産手段の国家所有〕にまで落とし込めるスターリン主義的枠組みに対して果敢に挑戦している。そして社会主義のイメージを〔生産手段の国家所有〕から〔協同組合の連合体〕―「合理的な共同計画に従って意識的に行動する、自由で平等な生産者たちの諸協同組合からなる一社会」(『ポスト・マルクスの政治理論』190頁)に移そうとしている。これはもちろんマルクスに よる。「もし協同組合の連合体が一つの共同計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣とを終わらせるべきものとすれば―諸君、それこそは共産主義、[可能な]共産主義でなくてなんであろうか!」(『フランスにおける内乱』319頁)

 大薮はこのマルクスの文章を我が意を得たものとして掲げる。〈共同組合主義〉は確かに今日、社会主義の内容としては忘れられている。思い出す必要はあるが、それが唯一だとすると社会主義のイメージ、これでよいのだろうか。ちょっと違う気もする。

 マルクスとエンゲルスの未来社会のイメージの違いを大薮は掘り起こす。「マルクスが未来社会について描いたイメージは、共同体イメージでも市民社会イメージでもなく、協同社会のそれであった。後期エンゲルスは、彼特有の歴史主義的方法に則りつつ、モーガン『古代社会』の論点を無批判的に受容し、原始共同体を「原生的共産主義社会」として美化した上で、それの高次復活として未来社会を展望し位置づけた。しかしそれは、現に存在している資本主義社会の内奥に新しい社会への発展の諸要素を探り出しそれを解放せんとするマルクスとは別異の問題構成であった。エンゲルスのそれを祖型とする共同体の復権説は、近代個人主義に対する反動として、過去の世界をロマン主義的に追想し、個人性を全体性に従位させる全体主義的傾向を帯びる。だがマルクスが志向したのは『各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件である』、そのような協同社会であった。アソシエーションは自律した個人の自由をクルーシャル(crucial 決定的な)・ポイントとするのであり、諸個人の主体的な自由が、協同的な社会関係の能動的な契機である。私的所有の社会的所有ヘの転化が個人的所有の否定ではなく逆にそれの創出でもあるのと同じように、個人主義の克服は、個人の産出を近代の歴史的成果として受け継いだ上で、諸個人が協同関係をとりむすび連帯することによる新しい共同性の形成、また協同組織、協同社会を媒体としての自由な個人性の更に豊な発展」(80頁)としてなければならないという! 全く同感である。

 大薮は徹底的にマルクスを掘り起こして、社会主義=過渡期社会のイメージを転換し、その過渡期の長期的存在を見据える。マルクスの規定した過渡期社会の性格は、大薮によると「共同の生産手段を用いて労働し、協議した計画にしたがって多くの個人的労働力を一つの社会的労働者として支出する自由な人々の連合」(245頁)であるという。「資本家によって専制的な仕方で統合されている賃 金奴隷労働の制度は、生産者たちの[自由な協同労働]の制度へと変革されるべきである。それには、しかし、経済的諸条件を改造する一連の局面を経過しなければならない。マルクスは、過渡期の必然性、しかも長期に及ぶそれを明言する。「労働の奴隷制の経済的諸条件を、自由な協同労働の諸条件に置換えることは、時間を要する漸進的な仕事でしかあり得ない…。そのためには、分配の変更だけではなく、生産の新しい組織が必要である…。現在の『資本と土地所有の自然諸法則の自然発生的な作用』を、『自由な協同労働の社会経済の諸法則の自然発生的な作用』と置換えることは、…新しい諸条件が発展してくる長い過程を通じてはじめて可能」(『マルクス社会主義像の転換』83頁)になると言う。

 この〈長い過程〉という言葉が大薮を決定的に捉らえる。それは権力の政策の問題ではなく、『新しい諸条件が発展してくる』自然史的過程であるのだ。この過程は当然、イメージ的には〈市場〉が継続している。その中での歴史的発展の問題として社会主義を見るのだ。これは、正しい! 商品市場を人工的に革命政権の政策として廃止する、などというイメージはロシア革命の戦時共産主義とスターリン体制の他には存在しなかった。前者は指導部の誤りとして反省されて〈ネップ政策〉になったし、後者は消費者の犠牲を代償として、一時的にその方向を向きはしたが、失敗して地下市場を作り出すことになった。地下市場だろうと公認市場だろうと法律的差異はあっても、実質的には価値の実現という点では変りはない。商品市場の廃止は、その〈諸条件が発展してくる長い過程〉を待たねばならないし、商品市場に代る社会的機構を作り出して行かねばならない。その社会的機構とは決して単なる〈商品配給組織〉でも〈商品交換体制〉でもない。それは未だ予測できない、社会主義の落とし子である。その具体的機構を予測できないことは、別に何の恥でもなかろう。それを予測しそれを実現する、これが革命の使命だろう。

 マルクスとエンゲルスの共産主義イメージの違いは、共産主義の局地的存在と世界史的存在という概念の違いで決定的となる。エンゲルスは局地的なコロニー共産主義の諸試行について、その成功を宣揚する。「共産主義、すなわち財産共同体の社会的な生活と活動は、ただ実現可能であるばかりではなく、アメリカの多くの集落やイギリスのある場所で既に現に実施されており、しかも…ものの見事に成功」(2-548)していると捉らえる。 オーエンの共産主義村の実験についても、実現可能の見地で賛同している。エンゲルスが共産主義を[財産共同体]であると言いきっているところが注目される。これは思想の幼さの問題ではなく、思考方法の問題であり、共産主義を一つの経済機構、社会的ではあるが、財産のある種の機構の実現としてしまうものである。

 他方、マルクスは『ドイツ・イデオロギー』の欄外注記で、局地的共産主義の不可能を主張し、共産主義はあらゆる意味で世界史的にしか存在せず、「生産力の全般的な発達およびそれと結びついた世界交通を前提」にして世界的な規模でのみ建設可能であると説く。抽象的であってもこれが正解であろう。

 ところで、スターリン主義は生産手段の国有化を社会主義と同一視した。その結果、国家権力は巨大化して社会を飲み込んでしまった。「主要な生産手段のプロレタリア的国家所有化によって、統治機構に加えて経済機構も組み込んだ国家機構はかってないほど膨張し、政治権力のみならず経済権力も担掌した国家は極大の権力を掌中に収める。国家は消滅の道へ踏出すどころか、かえって集権化し強大化する。これは分権的な地域自治体を基体とするコミューン型国家と根本的に違背するだけではない。エンゲルスの意図を超え志念に反して、不可避的に国家権力を巨大化させ、社会による国家権力の再吸収という社会主義の方向にではなく、政治権力と経済権力を一体化した国家権力による社会の新編成という国家主義の方向に向かわせる」(59頁)ことになってしまったという。『政治権力と経済権力を一体化した国家権力による社会の新編成』この言葉は恐ろしい。

 マルクス主義とアナーキストとの違いは労働者革命の後、勝ち取った国家権力を破壊するのか、利用するのかにある、と言われてきた。しかしエンゲルスの設定では、国家は過渡期社会の中核たる〈編成軸〉になってしまっているという。エンゲルスは言う。「プロレタリアートがその勝利後に、すぐ使える形で見出す唯一の組織が、まさに国家なのです。…こうした時点で[アナーキストが主張するように]それを破壊することは、勝利した労働者階級が、その助けを借りていま奪取したばかりのその権力を有効に働かせ、資本家というその敵を抑圧し、社会の経済革命を遂行することができる唯一の機構を破壊することです。」(22-341)

 エンゲルスのこうした説明に対して大薮は「…社会革命を称しながら革命国家の権力の活用をなによりも重視している。端的に、新国家を〈社会の経済革命を遂行することができる唯一の機構〉として位置」づけてしまっていると告発している。社会主義革命は政治革命として開始され、社会革命として終わるのであるから、国家権力を重視するのはいいのだが、過渡期社会をまとめ発展させるものが国家権力しかないとすれば、何のための革命か疑わしくなる。国家権力とその機構は反革命に対しては強力な武器として用いられても、前に進む革命の核にはなり得ないというのが、われわれの結論とすべきではなかろうか

 V 経済の計画化=社会主義への批判

 資本主義の悪は「生産の無政府性」である。だから、社会主義は経済に計画性を持ち込むことだ、と考えている人がいる。社会主義化とは計画化であるという。筆者も昔そう考えていた。エンゲルスもその傾向がある。欲望に応じた生産調整は容易いか? という質問に対してエンゲルスがこう答えている。「共産主義社会では、生産をも、消費をも、たやすく知ることが出来よう。各人が平均してどれだけのものを必要とするかは判っているのだから、ある数の個人がどれだけのものを必要とするかを計算するのはたやすいことである。又その時になれば、生産はもはや個々の私的営利者の手にはなくて、共同体とその管理当局の手にあるから、欲望に応じて生産を調整することは、何でもない」(2-548)ことであると断言している。これは酷い。

 市場は、需要と供給の接点であると言われてきた。これは正しい。しかしこの説明では見忘れられている面がある。市場は需要と供給のある時点での接点であるだけでなく、需要も時間と共に変化し、供給も時間に沿って変化する、そうした両者とも常に動いている需要供給関係の接点だと言うことである。今日的に言えば、数 ケ月で商品が陳腐化する、コンピューターや家電製品に、5ヵ年計画が何の役に立とうか。

 今日の市場をほぼ支配しているのは《技術革新…新しい商品…新しい欲望…技術革新…》というサイクルである。そしてこのサイクルにこそ、現代の資本主義的生産の核心がある。計画自身がこの動いている需要供給関係の中に存在しなければならないのである。ところがエンゲルスの〈たやすい〉という生産調整やソ連の5カ年計画は、この核心には完全にノータッチである。市場の動向は人間の欲望の多様性に支配されている。だから市場の欲求を完全に予測できるなどという考えは、人間の欲望を完全に予測できるという考えと同じ幻想であろう。

 『欲望に応じて生産を調整することは何でもない』というエンゲルスの言葉は社会主義、共産主義が、世界的に資本主義が作り出した成果をさらに発展させるべき世界史的舞台として意識されていたとすれば、考えられない発言である。これを信用する限り、ボルトの生産数さえゴスプランで計画し得ると考えた、ソ連の国家官僚の存在が不思議ではない。一切の市場の動向は国家計画委員会で掌握し得るというのだ。まるでどこかの宗教的コロニーの話みたいではないか。何という自惚れか、何という国家権力か。

 このエンゲルスに対して大藪は筆者も考えたこともない「計画の社会化」というすばらしい概念を展開する。「社会主義的な計画化は、本来ならば、計画の社会化である。ところが、(スターリン主義では)生産手段の社会化が国家化にすり替えられたように、計画の社会化も国家化にすり替え」(172頁)られてしまったという。

 もともとマルクスの経済の計画化について大薮はこういう。「マルクスの想定では、経済の計画化は国家の消滅と歩みを共にするのであり、民主主義の全面的発達が要件とされている。その計画は国家の命令的計画ではあり得ず、生産当事者達による協議的計画」(172頁)であるはずであった。

 ところが、資本主義の生産過程―工場内においてはブルジョア専制がまかり通っている。「工場の門前で民主主義は立ちすくむ。門柱には《無用の者立ち入るべからず》の札がかけられている。生産過程では民主主義は締め出され、資本家と労働者との関係は民主主義とは正反対である。

 『資本論』には次の様な行がある。「工場法典のなかでは、資本は自分の労働者にたいする専制を、よそではブルジョアジーがあんなに愛好する分権もそれ以上に愛好する代議制もなしに、私的法律として自分勝手に定式化」(211頁)している。生産点がブルジョアの専制である以上、経済の計画化はない。経 済の計画化は、国家が社会の中に再吸収されるように、経済の計画がブルジョアの手から、社会の中に還元されて始めて現われるという。この視点重要である。今までの我々には全く無かった。

 ブルジョア社会におけるブルジョア専制の根拠地は、生産過程にある。生産過程に民主主義はなく、民主主義があるのは、幻想の世界〈政治〉においてのみである。ブルジョアの専制(独裁)を打破するということは、結局、生産過程でのブルジョア専制を別のものに、労働者のヘゲモニーによる〈権威〉によるものと替えねばならない。マルクスは生産過程に、アナーキストに対抗して〈権威〉が必要なことを説いた。それはいい。 だが残念ながら、その権威が如何なるものであるかについてのマルクスの言及はない。その権威がゴスプランの法律化した計画案―国家の権威であるはずはないのだが…。

 大薮は過渡期社会の市場と計画性についてこうまとめる。「過渡期における計画と市場をミックスした経済メカニズムは、簡略に言って次の様なものであろう。生産単位である企業での生産者達による計画の民主的決定を核にして、中央共同機関が国民総生産の大綱と基準をゆるやかな計画によって策定し、その決定された大枠の範囲で各企業、各セクターが生産を行なう。そして企業相互間は市場的関連によって結ばれ、各企業が社会的生産として成果を挙げたか否かは市場での点検を受けて明らかになる。国民経済の計画化の枠組みの中で市場メカニズムを規制しつつ活用するのである。こうした事前的な計画的調整と事後的な市場的調整―この後者は社会的なフィードバック・システムとしての意義をもつ―を組合わせ、それらの循環的な相補作用を重ねて最適ミックス」(86頁)にする。われわれの考えにはなかった〈経済計画の社会化〉とはこんなものなのであろうか。

 社会主義に進む社会の回転軸が〈国家〉ではないとすると、〈計画の社会化〉は必然であり、計画もソ連のように法律としてではなく、大きな枠組みのようなもの、「その計画を達成することが個人的にも利益になる」と感じさせる内容にならねばならないはずである。市場の国家権力による統制など、論外であろう。

 過渡期社会と市場経済について大薮は結論する。「マルクスの論理を延長して推考するなら、社会主義社会についてはさておくとしても、それへの過渡期社会については市場関係の存続が導き出される。過渡期において、市場が社会経済の中で占める位置と役割は減退するが、市場経済を廃止することは不可能である。過渡期社会建設が一国的ではなく、世界的規模で進展してゆくことを考慮に入れるなら、そのことは尚更疑いのないところである。市場を制限し、統制しつつ、他方での計画化と組合わせて、社会主義社会への発展の諸条件を築くことが過渡期の歴史的課題である。しかし、主要な生産手段を国家所有化し、工場内分業の計画性を社会全体に拡張して社会的生産のアナーキー性を除去しようとするエンゲルスの構想では、市場経済の存続の余地は著しく狭まろう。また、生産手段を国家所有化し、集権的な国家計画にしたがって一社会一工場化するレーニンの構想では、市場経済の強権的撤廃が追求され」(84頁)てしまうに違いない、という。

 周知の事柄ではあるが、共産主義社会のイメージについてのマルクスとエンゲルスの違いが大きく存在した。エンゲルスが共産主義社会を「私は今日はこれを、明日はあれをし、朝には狩りをし、午後には漁をし、夕方には家畜を追い―狩師、漁夫、牧夫になることなく、私の気の赴くままにそうすることが出来る」と分業のない社会―それにしても牧歌的にすぎるのだが―として描くエンゲルス筆跡の基底稿に対し、マルクスは明らかに批判の意味を込めて『共産主義というのは、ぼくらにとって、創出されるべき一つの状態、それに沿って現実が正されるべき一つの理想ではない。僕等が共産主義とよぶのは…現在の状態を止揚する現実的な運動だ。この運動の諸条件は今日現存する前提から生ずる』と欄外に書込を行なった。この書込は最高に重要である。エンゲルスはこのマルクスの忠告をマニフェストの後に編集されている『共産主義の原理』で忠実に受入れている。マルクスの言葉をそのまま、文章にしている。これで一切は解決したと思っていたのだが…。

 この著作の中で一番鋭いと感じた大薮の考えは、過渡期社会の国家主義への逸脱という点でのマルクス・エンゲルスに対する小言である。「過渡期社会の国家主義的逸脱、変質の危険性、それを防止するために講ずべき諸方策といった当然に考慮すべき重要問題に、エンゲルスもマルクスもなんら考察を及ぼすに至っていない。実際にも、プロレタリア的国家所有の社会的所有への転化のプロセスは不明である。そもそも、エンゲルスは、国家化と社会化を同一の方向を辿る発展線上に繋ぎ合わせる錯誤を犯している。しかしながら、社会と国家が分化している時代には、国家化と社会化は相反する方位で対立的に展開する」(59頁)ものであるという。C'est vrai! これは鋭い! マニフェストでの路線―社会化が目標であるが一端は国有化をする、という以上、社会化と国有化の違い、国有化が社会化のどのような道筋にあるのか、どんな危険があるのか、は当然、言及あってしかるべきものであろう。大藪よ、よくぞ言った。

 W 民主主義の大幅な拡張=今日の社会主義

 大藪はスターリン主義に対して、民主主義を大幅に打ち出す。それはロシア革命のスターリン主義的完成が、民主主義を根底から犠牲にした結果であるという意識に於いてである。ただしこれはレーニンやスターリンに対するものだけではなく、マルクスについても言及される。それにはまず、マルクスの時代の革命の味方としての民主主義、レーニンの時代の制限された民主主義と違って、今日の民主主義の特徴を国民全体の「民主主義ヘの包摂による政治的疎外」と捉える。「ブルジョア民主主義の階級性は、前近代の民主主義のそれとは違って、被支配者階級に対する民主主義からの排除ではなくて民主主義への包摂、自由の剥奪ではなくて自由の保障において貫かれているのである。またブルジョア民主主義の階級性は、他面での国民性と結びついて、階級内民主主義としてではなく階級間民主主義として存在する。被支配階級を民主主義から締め出し、彼らの自由を全面的に制限するのであれば、それは、前近代の民主主義ではあっても、近代の民主主義ではあり得ない。逆に言えば、近代においては、政治であれ民主主義であれ、それからの排除においてではなく、それへの包摂において、政治的疎外は完成するのである。これは民主主義の広さの問題ではなく、民主主義の性格(国家の時代性)の問題」(176頁)である、という。

 この視点から見れば、普通選挙はビスマルクとラサールのコンビで打ち出されたものであり、マルクスの時代では、いまだ世界的に一つも存在していなかったし、レーニンの時代は、民主主義の制限からの解放が問題であった。民主主義については、今日いわば完成された代議制議会民主主義が支配の論理として批判されねばならないのに、マルクス主義によっては批判されていない、とみる。

 「近代の国民代表制は、経済的に支配するブルジョア階級から分立して政治的支配を専業にする職業政治家集団であるブルジョア政党と直接的生産活動に追われる人民大衆との、政治的な階級分裂に基いて必然的となる。代表議会選挙は、ブルジョア諸政党による諸階級の国民的統合過程である。それゆえ、代表者としての議員は、命令的委任の禁止と免責特権によって、選挙民からの独立を保障されている。彼は、選挙民によってではなく所属する政党によって拘束される。マルクスによると、国民代表制は普通選挙制下にあっても、「支配階級のどの成員が議会で人民のにせ代表となるべきかを、三年ないし六年に一度決める」システムであった。ルソーが[社会契約論]でつとに喝破したように、「人民は代表者をもつやいなや、もはや自由でなくなり、もはや人民として存在しなくなる」ことが避けられないのだ。

 確かに代表制議会民主主義への、その全体系へのマルクス主義的批判をわれわれは知らない。「代表制」への批判など今日でさえ、ルソーの直接民主主義を頼りにする程である。そしてその直接民主主義への批判は、人口量とその多様性からの技術的問題ではなく、〈命令的委任〉の禁止が意味している問題を説明するくらいである。批判の定番がない。もちろんこれは難しい。何故なら代表制議会民主主義への批判は、国家幻想と階級支配を根幹とする社会への批判を全面展開しなければならない。難しいというより、全面展開の意欲が薄れてしまっている。階級概念がぼんやりとしてしまっている。ここが一番の問題点かもしれない。

 大藪はレーニンのプロレタリア独裁国家に批判を持っている。「レーニンが論示するプロレタリアート独裁国家は、マルクスが説いたのとは正反対で、「社会に完全に従属する」のではなく「社会の上に立つ」のである。すでに前衛党独裁を容認していたレーニンは唯一前衛党が統導し、大衆組織を伝導装置にした、国家による過渡期社会の権力主義的編成の隊形を「プロレタリアート独裁の体系」として造型した。「プロレタリアート独裁の体系」は過渡期経済の国家主義的、命令的、階統制的編成に照応」(76頁)しているという。

 これはその通り! であろう。我々にも旧い対立があった。プロレタリア独裁とは、実際には労働者前衛党の独裁なのか。レーニンは明確にこれを肯定している。だがこれは間違いであろう。内戦に勝利した労働者権力が、その敵に独裁的支配を貫徹することは当然である。それは内戦の続きである。しかし労働者権力がその内戦の視点を同じ労働者一般に向ける必要はない。敵には武力的支配者として立ち現れるのはしょうがないが、それを味方にまで拡大する必要はない。まして労働者国家の下でだ。大藪は労働者国家下での民主主義についてこう言う。

 「労働者国家にあっても、労働者の権利は本質的に、国家に対して保障される権利であり、国家によって保障される権利ではない。それに真の自由のためには国家をなくすことが必要なのだから、それへの移行過程における自由の定在形式は、対国家的、前国家的権利を核として有しなければなるまい。人民大衆の下からの民主主義としてのプロレタリアート民主主義は、ブルジョア民主主義より格段に、徹底的な民主主義国家であるばかりではなく、徹底的な対国家的、前国家的権利でなければならない。自由や民主主義の脱国家化、さらには脱政治化、法律的権利の道徳的権利への吸収が、社会主義への過渡期における政治的発展の方位である。国家をめぐる諸関係は人民的なものへと変革され、国家や法律の作用する余地は狭まり、権利も法律的性格を脱ぎ捨てて道徳的なものへ転位する。このような国家権力的契機の減退と人民大衆の権利的契機の増進として、国家の揚棄過程も進む」(ポスト・マルクスの政治理論191頁)べきであると…。

 革命後の社会と国家について大薮はすこし青臭いが正当な発言をしている。「革命後の社会の根本的方位は、社会自身、人民大衆自身による国家権力の再吸収である。大衆を服させておくのも、[純粋な政治的力]ではなく、政治的力である以上に社会的力であるべきだ。とりもなおさず、最も肝要なのは、大衆が社会的自治の拡充に努め、それを基礎にして政治的な民主主義を豊に発展させて、自分自身を律することなのである。政治的力について云えば、政党、労働組合、協同組合、言論・出版・報道機関、学校・大学、文化・芸術団体、等々の非国家的な諸組織のそれが増強し、国家の力は減退する。国家権力については、有無を言わせない国家暴力の発動が階級支配の最後の手段として依然のこりはするが、同意に基く行政的指導力の発揮の比重が高まる。国家の役割は、人民大衆の民主主義の最大限の発揚の補佐である。これらが、一般的な方向であろう。そのためには、全般的領域で精神生活の水準を高度化する文化革命の推進も必要であろう。このように、総じて、目的意識的に規制される社会的、政治的領域が次第に広がり、精神的な自律の重要制が微増するなかで、道徳的、政治的規範が果す役割は、資本主義社会におけるよりもはるかに大きいのである。社会自身の変化―ゲゼルシャフトからゲマインドへの―が中心であり、その中での個人の変化を見る視点が必要」(ポスト・マルクスの政治理論 44頁)なのだと。正論だろう。

 民主主義というイデオロギーについて、考えをまとめてみよう。民主主義思想の基盤はフランス革命の人権意識である。人間は生まれながらにして自由、平等であり、他人に譲り渡すことの出来ない人権を持っている、というのだ。この考えが幻想であることは高校生ならわかるだろう。ブルジョア階級に属する者以外は、自由でもなく平等でもないから人権など本質的には持っていない。民主主義は、国民がすべてブルジョアジーであるときの国家意識である。国家をどう造るかというイデオロギーである。

 だから、ブルジョアには民主主義があるが、プロレタリアートに民主主義はないのだ。民主主義はブルジョアジーの国家意識である。レーニンは民主主義にはブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義があるといったが、これは間違いである。プロレタリアートには国家はなく、だから国家意識もない。プロレタリアにはプロレタリア民主主義があるのではなく、国家も民主主義もないのだ。

 民主主義は国民にとって、国家幻想の上に築かれたイデオロギーであり、方法である。この点は譲れない。だが、だからといって民主主義は唾棄されるべきものであるとは言わない。なぜなら、ブルジョアジーが民主主義を打出すのは、ブルジョアジーが政治的支配を続けるのに、国家という(共同体)幻想を構築しなければならないのと同様に、国家=共同体という幻想を国民に抱かせるには、民主主義という方法を敷衍しなければならないからである。国家が成立するには、国家共同体員である国民の自由と平等が前提される。民主主義…人間を自由で平等なものとして扱うのは、ブルジョアジーの少数支配の矛盾として存在するからである。

 民主主義はブルジョア支配の国家幻想が生み出した矛盾である。ブルジョア支配を覆すにはこの矛盾を拡大しなければならない。国民は自由で平等であるはずなのに、現実とのあまりにもかけ離れた存在を幻想通りにせよ、と要求しなければならない。革命の先達が民主主義を革命の有力な手段だとしたのは、この意味である。

 国家を民主主義を廃棄せよ! という闘争はあるだろうか。中世的キリスト教の支配体系に対して、キリストを殺せ! という運動と同じである。実際の宗教改革は〈真のキリスト教〉を巡って闘われた。宗教の幻想に乗った形で、幻想と実際の宗教生活との矛盾を衝く暴露と非難が、大衆の力を引出した。そして宗教戦争の結果は、宗教そのものの絶対性の相対化であり、それが国家への敗北につながった。中世の宗教の役割を現代において引き継ぐ国家に対する闘いも同じではないか。国家幻想に乗った形で、共同体幻想と実際の生活との矛盾を衝くことから出発し、真の国家、真の民主主義、真の政治を巡って闘われ、結果として国家そのものの敗北、民主主義の欺瞞をあからさまにするという経過を辿るのではないか。これが、社会主義革命が政治革命として始まると言うことの意味である。

 労働者革命の後、民主主義はどうなるか、という質問は、国家はどうなるかという質問とおなじである。スターリン主義のように、より強化された国家幻想の必要があれば、民主主義は拡大し、強化されなければならない。もし、国家が社会の中に再吸収される過程を辿るならば、民主主義もまさに社会の中に吸収されて行くだろう。民主主義は政治の方法ではなく、社会の社会生活の方法として溶け込んでゆくのだ。国家と民主主義の終わりである。後に残るのは、革命を維持、強化した意識であろう。国家が止揚され政治幻想がなくなるのに、どうして民主主義が必要であろう。革命の主体、労働者の権利の平等、意識・行動の自由など、どうしてあらたまって宣言する必要があろうか。必要なのは民主主義ではなく、〈自由の王国〉の実現である。

 X マルクス主義の復活

 今日、マルクス主義の立場を守るということは、どんな意味を持っているのだろうか。それはほとんど〈社会を根本的に変える〉意志を持っている、ということの宣言である。マルクス主義理論は既に幾つかの点で時代遅れとなっている。マルクスの理論もほぼ 100年の年月に耐えることが出来たので満足であろう。もう個々の理論のほころびをつくろう段階ではなくなっているのかも知れない。今、れわれにとっての最悪の態度は、マルクスの個々の言葉をそのまま正しいと言いつくろうことが、マルクス主義の防衛だと思っていることだ。

 われわれの立場は第一に《現状でいいのか》の突きつけである。そして現社会の改革は資本主義の変革抜きにはあり得ないという立場である。その資本主義の改革に、マルクス主義が一番ラジカルであり、体系的だという認識である。われわれは社会の根本的改革の理論を他に知らない。

 マルクスの時代、資本主義の悪は、生産の無政府性と景気の痙攣であった。レーニンの時代、資本主義の悪は、国家間戦争と植民地支配であった。これ等の悪は今日、無くなるか全く別なものになっている。ブルジョア時代一般が保つ階級支配の悪の外、では現代資本主義の悪は何か。それは誰の制約も受けないどんな国家的統制も受けない、多国籍企業の地球的経済支配である。国民国家の壁を自由に浸透できる経済的支配力の単純な集中である。ある資本家あるいはその集団の意志が、地球を動かすことさえ出来る〈体制〉である。彼らはその意志さえあれば地球上の半分の人口を飢えさせることさえできる。

 といって、多国籍企業が何か法に触れる悪いことをしたかと言えば、何もしていない。それよりも、経済力の国境浸透力によって国家主義に一定の制約を与え、帝国主義的傾向への抵抗を示し、生産力の先進国独占の体制を崩しつつある。発展途上国に技術を持込んで格安な商品工場を造っている。レーニン時代の悪―帝国主義に対して良いことをしているのだ。しかしこの見方も国家を基礎にした考えであり、人間ではない。利益・資本蓄積の問題としては、単に国家毎に集約するという慣習が薄れて、それが企業毎になったというだけにすぎない。富の蓄積の偏りは、帝国主義時代より格段に増加している。富の偏りの増大は、より多くの人間が富に見離されたことを意味し、社会は不幸になり不満を拡大している。改革は必然である。その改革にマルクス主義理論は如何なる役割を果たし得るのか。そこに焦点を定めねばならない。