『アソシエーション革命宣言』について
評者:飯嶋廣「ワーカーズ」421―2合併号
 2010年8月1日
タイトル:「大藪さんの「『アソシエーション革命宣言』を読んで」
に関するコメント」


  私たちの共著に対して貴重な時間を割いて意見をいただいたことに感謝します。ありがとうございます。これまで大藪さんが論究してきた観点については,私としても大いに学ばせていただきましたし、また指向する方向性についても共通する部分があると感じています。今後ともご教示をいただければ幸いに思います。

 なお、大藪さんのコメントに対して再度、私の意見と問題意識を申し述べさせていただきます。

 1,共同体の高次復活≠ノ関する「マルクスは原始社会=共産主義と本式に立言したことはないし、原始社会の高次復活として将来共産主義社会を位置づけてもいない……。という点について。

 一点だけ例示すれば、「ザスーリッチへの手紙」には「この危機は、資本主義的生産が消滅することによって、(すなわち)近代社会が最も原古的な型のより高次な形態たる集団的な生産と領有へと復帰することによって、終結するであろう。」(第一草稿)、「資本主義的生産が最大の飛躍を遂げたヨーロッパおよびアメリカの諸国民のただ一つの願いは、協同的生産をもって資本主義的生産に代え、原古的な型の所有のより高次な形態、すなわち〈集団的〉共産主義的所有をもって資本主義的所有に代えることによって、おのが鉄鎖を打ち砕くことにほかならない。」(第二草稿)とあります。
 マルクスは、「本式に」かどうかはともかく、高次復活≠ニいう観点は終生保持していたのではないかと推察しています。

 2,「マルクスは現存する資本主義社会の諸条件のうちに未来の共産主義社会への発展の展望を探りだす見地で終生一貫していた。」との指摘については、全く同感です。「資本主義の胎内で成長する未来社会の萌芽」に着目するという観点です。が、このことと1の観点については矛盾するものではない、と考えています。

 3,労働論的アプローチについて

 (……マルクスの論考を通観すると、初期の『共産党宣言』段階における所有の問題から、一方で資本主義生産過程の研究に邁進し他方では「国際労働者協会」に関与した中期以降には労働の問題へと、資本主義体制の認識と変革の根本問題の重点を移している。共産主義社会への展望としては、「私的所有の廃止」という所有論的アプローチに加えて、「労働の解放」という労働論的アプローチが存在するのである。
 対比すると、エンゲルスは終始所有論的アプローチである。スターリンは、生産関係の基本として生産手段の所有形態を最重視し、そのうえで、社会主義の所有形態を社会的・国家的所有とした。
 こうした事柄をも考慮しつつ、生産論あるいは労働論と所有論の関係を問い詰める作業をせずに、所有論が「全体の焦点、核心」に据えられているようである。
 マルクスの「協同社会」の構想においても、「協同組合生産」「協同組合労働」と協同組合的所有が連動されているのだが、本書では所有の問題に絞りあげることによって、生産・労働との関連を含めて、経済の動態的な全体構造が不分明になっている感がある。)という点について。

 私の小論については、ご指摘の通り、所有と占有との対比を論じながら個々人の本源的所有の復活を浮かび上がらせるという展開になっています。たとえば『資本制に先行する諸形態』などでも明らかなように、マルクスは所有の本源的な形態を「人間が自分の自然的生産諸条件にたいして、自分のものである諸条件にたいする様態で関わること、自分自身の定在と同時に前提されている諸条件にたいする様態で関わること」というような趣旨で記述しています。この場合、「関わること」というのはまさに労働であって、概念的には「所有・占有」と「労働」とは相互不可分の関連を別の視点から見たものであるといえると思います。私が今回の小論で依拠した「占有」については、労働する諸個人の「主権」を強調したいとの思いがあったからです。たとえば民法では占有について「自己のためにする意志を持って物を所持することをいう」と規定されています。この場合、「ものを所持する」というのは対象(労働諸条件=機械や道具など)への関わり、すなわち労働と同義だと受け止めています。だから「占有権=労働権」という観点を強調しているわけです。
 とはいえ、やはり占有論的アプローチと労働論的アプローチは微妙ではあるものの無視できない違いもあるとは思います。そのあたりの相関関係を明確にすべき、というご指摘はありがたく受け止めさせていただきます。

 4,国家論について

 (……プロレタリアート独裁をめぐって、……しかし、あらゆる国家の本質を独裁と規定し一般化したのは、レーニン『国家と革命』(第2版)であった。マルクス、それにエンゲルスの独裁概念の本筋は、革命独裁―革命的変動の渦中での非常事態での一時的なもの―であって国家の本質―国家的支配の全時期にわたる常時的なもの―ではない。
 マルクスは、最後までプロレタリアート独裁に拘泥したとも言えるが、それは他面での民主主義論の弱さとも不可分であって、国家や民主主義に関してはさほどの優れた理論的業績を達成できなかった限界との関係で理解すべきものであろう。
 生産手段の国有化とプロレタリアート独裁とは、20世紀マルクス主義の革命理論の基柱であった。生産手段の国有化についての脱構築が図られている反面、プロレタリアート独裁につての脱構築にはなお抵抗があるようだ。……
 ともあれ、プロレタリアート独裁などの通説の共有から、通説の見直しへと漸進していることを評価したい。)

 私としては「プロ独」、たとえばブルジョア独裁、プロレタリア独裁双方について、マルクスは多重的に認識していたのではないかと理解しています。それはある階級による他の階級の支配、すなわち本質論的レベルでの階級支配の意味合いと、革命期の暴力的、あるいは専制的・権力的な形態に着目した支配形態を含む概念としての独裁概念です。前者の意味でのプロ独はボナパルティズムなど一時的な例外をのぞいてその体制つうじての規定としては一貫していたと受け止めています。
 いま言えることは、革命的な変革期には、暴力的な手段をとるか、あるいは法的手段、労働者の闘いそのものによるか、あるいは補償との交換(納得ずくの服従)によるかどうかはともかく、何らかの形態で旧支配階級とその経済基盤に対する一方的かつ傾向的な包囲・攻勢行動は不可欠ではないかと理解しています。その行為や関係を私は「階級支配」という広い意味での「プロ独」と規定しているわけです。
 ただし過渡期を含めて暴力的などの形態を含めた「プロ独」については、革命の諸形態と同様に、大藪さんのご指摘の通り、「防御型」も含め、かなり柔軟に考えていたのではないかと理解しています。今回の小論では、その多重的な概念の整理への踏み込みが不十分なものに止まっているとは自覚しています。今後とも、大藪さんなど先覚者の業績に学びながら自己了解を深めていきたいと考えているところです。

 5,ロシア革命後の新国家建設の分析に関して。

  (……ソ連などを社会主義とする通俗論を批判するには、ソ連などの実態は後進的な国の、一国的規模での社会主義への過渡期の歪曲形態であったという現実を踏まえて、「共産主義への過渡=国有・国営経済」こそが根本的に再審されるべきだろう。
 つまり、目標としての、長期的な未来の「協同社会の理論と展望」が主題とされ提示されているものの、その目標を実現する道筋としての、現在と未来が交叉する中期的な「協同社会」への過渡期の経済はどう編成されるべきかについては、問題として検討されていない。
 共産主義社会への過渡期の経済構造に関しては、マルクスもエンゲルスもほとんど論及していない。それだけに理論的開発には、破綻した20世紀社会主義の経験の総括から貴重な教訓を導出する必要があるだろう。)

 「過渡期の経済」はどう編成されるべきか、という点についてですが、私としては本書についてもそのための基本的視点を提示しておいたつもりです。それはパリ・コミューンでの「放棄工場の接収」に関する次のような記述です。

 (しかしそれ以上に私たちが注目しなければならないのは、企業の経営を労働者の協同組合に委ねるという方策である。……こうした方策に対してマルクスは高い評価を与えた。が、それはこうした方策とその拡がりこそ、資本制生産を共同的生産に変える具体的な転換過程に他ならない、と考えたからである。……なぜこうした方策に注目する必要があるのか、いまでは明らかだろう。それは資本家が放棄した職場や工場を、労働者の組織にゆだねるということの重要性だ。国家や政府にゆだねるのではないのである。……いわば放棄工場の労働者による運営は、マルクスをして資本制生産を共産主義的生産に変革する入り口、その決定的な第一歩だと位置づけられているのである。……しかし、個々の工場の労働者による管理とその全国的な連合が生産の主体となることこそ「可能な共産主義」だとする視点は、ロシア革命の展開とは対極にあるものとして銘記しておくべき事だろう。)(本書37〜39)
 要は、これまで通俗論≠ノよる「国有化」は過渡期の方策としても原則的に放棄し、本流としては共同組合化など、労働者組織など当事者にゆだねる、ということだと理解しています。当然のこととして、その延長線上には「諸協同組合の連合」があります。
 とはいえ、本書でもそれ以上の過渡期の経済的編成には言及していないことも事実です。たとえば大企業群の共同組合化と周辺の中小零細企業の存続など、いわゆる複合経済での再出発なども考えられますが、それはその場面での経済的、主体的状況に左右される要素も大きいと考えられます。あるいはどの時期に商品・貨幣経済から労働時間経済と労働証書経済に移行するのか、なども当然論点になるでしょう。それに何よりグローバル化した現代資本主義での対外関係を含む変革過程や過渡期のあり方についても考えていく必要があると痛感しているところです。
 また大藪さんの(社会的総生産について計画と市場のミックス奈何、所有については協同組合的所有、自治体所有、国家所有、私的所有などの多元的な所有諸形態の相関、その他、「協同社会」構想と比べてより身近で切実な諸問題の解明が、広く待ち望まれている。)というご指摘も全くその通りだと受け止めています。とはいえそれらは他日を期す以外にないかと考えているところです。

 6,マルクスの超克≠ノついて

 (マルクスにも理論的限界や欠陥が当然ながら所在する。「マルクス、エンゲルス問題」を考慮する、そしてエンゲルス理論の難点を把握するのみならず、マルクス理論の絶対視から抜け出すことが求められる。21世紀において、マルクスを受け継ぎ甦らせるには、マルクスの絶対化からマルクスの「揚棄」への、主体的な批判的精神と創造的挑戦が欠かせないだろう。)

 上記のご指摘、全く同感です。とはいえ今回の私の小論では、その前段での議論に止まっています。社会主義の再生のためには、まず正確なマルクス再解釈が前提になる、との思いから、とりあえずマルクスの相対化、マルクスの超克という課題は先送りにした、というのが正直なところです。この課題については、第二論文の阿部論文がマルクスの時代的制約を突破する、という視点で書かれていることを受け止めていただきたいと考えています。

 7,新しい戦略構想について

 (……21世紀に入った世界の経済、政治の現状に基づきつつ、現実により一層密着したアソシエーション革命の中長期的な構想が練られていくことを期待する。なかでも、日本でのアソシエーション革命に道筋を明らかにした点で先駆的で類例のない、パンフレット「アソシエーション革命をめざして」を増補改訂した新版を特に望みたい。)

 温かい叱咤激励と受け止めさせていただきます。なかでも戦略構想に関するご期待と今後の課題設定に関しては、伏してお礼を申し述べるのみです。私たちとしても先達の業績に学ばせていただきながら、ご期待に反しないよう努力を傾注したいと考えています。