【岡照芳の文学大好きF】

 

<>     藤原定家  

 

 

 

藤原定家】(ふじわらのていか 1162-1241)
名は「さだいえ」とも。和歌の名門の家に生まれ、父は平安時代後期の大歌人藤原俊成 (しゅんぜい)。平安時代末期から鎌倉時代という、激動の時代、歌に生き、王朝和歌四百年の伝統を死守し、最後の大輪の花を咲かせる。
その結晶が、「万葉集」「古今和歌集」と並び称される「新古今和歌集」であり、彼は、その選者であった。また、有名な「小倉百人一首」も、彼の選とされる。
妖艶 (ようえん)」と評される彼の歌は、妖 (あや)しくも艶(なまめ)かしい独自の美の世界を創り上歌論、古典研究でも、傑出した業績を残す日本和歌史上に燦然と輝く巨星である。

 

 行きなやむ牛の歩みに立つ塵の
           風さへ暑き夏の小車

【訳】行きあぐねる牛の重い足取りに、土煙が舞い上がる。吹く風まで暑い、夏の牛車よ。

 当時、夏の歌は涼しさを歌うものだった。だが定家は、汗ばむ夏の暑さ、牛のあえぎ、土埃、生温い風の感触まで、そのまま歌う。
 藤原定家。彼には世紀末のにおいがする。
四百年間続いた平安王朝の終焉。平家の栄枯盛衰。終わるはずもないと思われていたものが終わる。確かだと思われていたものが夢と消える。時代が大きく変りゆく中、定家は歌にかけた。

  「紅旗征戎(こうきせいじゅう)、わが事にあらず」
【訳】真っ赤な戦争の旗も、敵を征伐する事も、この私には何の関係もない。
 

彼の有名な言葉である。ただひたすら歌に生き、自らを磨き、やがてその道の第一人者として、鎌倉幕府 第三代将軍 源実朝(さねとも)の和歌の師ともなる。
芸術至上主義者と評される定家。しかし彼の歌は、単なる有閑貴族の遊び心の産物ではない。王朝和歌四百年、閉ざされた貴族社会の中、歌うべき題目はすでに歌い尽くされていた。それでも、和歌の名門に生れた宿命として、歌うことを強いられる。
使い古された言葉……。しかし、それらを斬新に組み合わせ、巧みに調合し、言葉と言葉とが新しく出会う。そこに、火花を散らすように、新しい何かが瞬く。時に、調和し得ない言葉と言葉のぶつかり合う不協和音さえ、新しい味わいを産み出す効果音として逆用する。しかし、彼の歌にはどこか虚無感、脱力感が漂う。
「妖艶」と評される彼の代表作の一つを紹介しよう。定家、三十七歳の作。
 

  春の夜の 夢の浮き橋 とだえして
          峰に別るる 横雲の空  

【訳】春の夜、まるで、ゆらゆらと頼りない浮き橋が途切れて、向こう岸まで渡れなかったように、夢は途切れ、夜明けの空、見渡せば、遠く山の頂から横雲がはなれてゆく。

 「浮き橋」は、舟を並べ、その上に板を渡して作る仮の橋であり、夢の儚 さをたとえる。また、「夢の浮き橋」は、『源氏物語』の最後の巻名でもある。華美壮大な物語の結末は、尼となり、つながりの途切れた浮舟を想う薫大将の悲恋の物語で終わる。「浮き」には「憂き」 の意もかけられている。
さらに、「横雲の空」は、中国の『文選』「高唐賦」の故事を連想させる。楚の国の襄王が夢で神女と逢い、別れ際に、彼女は「朝に巫山(ふざん)の雲、夕に雨となる」と告げ、王は目覚めて、朝、巫山の雲を見て、彼女を偲ぶ。
これらの故事を知らなくても、「春の夜の夢」は、華やかさを連想させる。読者は、春の曙の夢のように美しい情景を想い描くかも知れない。
だが、前述の華やかな二つの故事の結末は共に悲劇である。そこには失望がある。儚い「夢」、それが更に頼りない「浮き橋」にたとえられ、しかも、それは「とだえる」のである。
 
 
夢の世界、歌の世界において、「有心体」を唱えた定家は、非現実の創作の世界に心と命を吹き込み、現実世界以上に存在感のあるものとする道を歩む。しかしその道を極め得ず、「浮き橋」の途絶えることを彼は予感していたのかも知れない。
そして、夢より覚めて見た現実も、まさしく雲散霧消、移ろいやすい「雲」であった。しかも、それは峰より「別れ」ゆくのである。さらに、和歌の常套手法、「雲」は、群がり咲く桜の花を遠くから眺め見る時の比喩。ならば、「峰に別るる横雲」は、高嶺に咲く桜の花が風に散りゆくさまをたとえたものとなる。そして、すべては空虚の象徴である「空」へと収束する。
 華やかな春の夜の夢も、紫だちたる春の曙の雲も、桜の花も、途絶え、別れ、散り、消えゆくのである。そこに、『源氏物語』や『文選』の故事の華やかな悲恋の幻影が、ひらめいて消える。私はこの歌に「妖艶」ではなく、「華やかな淋しさ」を見る。

定家の歌を、作り物として、退ける人もいる。しかし、彼の歌には、単に花鳥風月を玩(もてあそ)ぶ風流人の歌よりも、もっと真実がある。まるで供花(くげ)に埋もれた墓石のように、華やかな言葉の奥には、深い心の暗闇がある。言葉の技巧の限界、人の世の無常を見た者の魂の叫びがある。
定家は歌う。

 明けぬとていでつる人の あともなし
       ただ時のまに つもる白雪

【訳】 「夜が明けたから」と言って、その人は帰って行った。その足跡も、もう跡形もなく、ただ真白な雪が全てを包み降り続けている。

 研究者もほとんど取り上げることのない、定家五十五歳の隠れた名歌である。後朝 きぬぎぬ の別れの悲しみも、時の流れに埋もれ、真白な忘却にすべて包まれてゆく。

 晩年、定家は世を捨て、出家の道に入る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大学時代、私は定家の歌に非常な共感を覚えた。そして、こんな句を作っている。

粉飾(ふんしょく)を流して淋(さび)
蛾の溺
(おぼ)れ 

 妖しいほど美しく青白い蛾が水溜りに溺れていた。鮮やかな鱗粉が流れ落ちた羽は痛々しいほど透き通っていた。外面の飾りを剥ぎ取られたものの憐れさ。その姿に、私は自分の分身を見る思いであった。すべてを剥ぎ取られてもなお残る確かなものが欲しかった……。
 浮き橋は途絶え、すべては夢と消える。それでも、人は夢を求め、夢を歌う。

「空の空。すべては空。……神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた」
                           聖書

 Illustration by Chikahiro Miyamoto