2001年ナイジェリア戦における宮本と松田のフォアチェック
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10月の欧州遠征のセネガル戦、ナイジェリア戦2試合はトルシエの実験室と称されたにもかかわらず、どのような成果を上げたのか私にはよく分からない。
宮本の能力については、トルシエは勿論既知であるはずであり、新事実として認識したとは考えられない。戸田然り、広山然りである。トルシエは選手の能力を確認するのに練習で十分としている監督であることを思い起こしたい。(トルシエは五輪壮行試合に置いて第2キーパー都築をまったく起用していない。都築は五輪代表でついに1試合もゴールを守ることなく豪州に出発した。)

むしろ、チームの外の人間にとって現レギュラー選手の能力が世間一般に評価されるよりも低いことが明らかになったというというのであれば、実験の効果は上がったと言うに止まるものに過ぎない。

今回の欧州遠征に置いて、私たちは、久しぶりに宮本が指揮するラインディフェンスを見る機会を得た。この試合での日本のディフェンスでは、従来の宮本のラインディフェンスとは異なりフォアチェックを多用する守備が実践された。
この試合でのフォアチェックの個々の事例を検証してみたいと考える。

前提として、私はディフェンスラインとは、オフサイドラインの前のベルト状の細長い空間と考えている(これは、kei氏の考えに触発され、明確に意識するようになった。)このディフェンスライン内での相手選手へのチェックはフォアチェックとはみなさない。ライン上で相手選手と競り合っているときに他のDFがラインを下げたことにより、ラインからはじき出され結果的にフォアチェック状態になるプレーはフォアチェックとはしない。フォアチェックは最終ラインから完全に飛び出してのプレーとする。その場合相手選手に接触しないでプレスをかけるに止まる場合もこの小稿においてはフォアチェックに含める(釜本氏の用語フォアプレスのほうが良いようにも思われるが敢えて区別しない)。

また、TV観戦であるため、全プレーをカバーしておらず、検証を容易にするため私が、フォアチェックと考えたプレーもすべてを論じているわけではない。

前半29分に宮本がフォアチェックを試みる。ボールホルダーのパスコースは一カ所しかないため、ボールは宮本の足に当たりインターセプトされるが、ルーズボールを取ることはできず、カバーに入った松田のファールに繋がっている。このフォアチェックはボールが取れているので成功ではあるが、ナイジェリアがルーズボールを使って、さらに、効果的に攻めることができたので、プレーの意図は達成されていない。フォアチェックでは、かならず、ボールをマイボールにしなければならないということがわかる事例である。更に注意しなければならないのが、3バックの他の2人の動きである。このとき、ナイジェリアの前線の選手は2人いた。日本左サイドの選手は、日本中盤の選手がカバーにもどっているが、中央のナイジェリア選手は完全にフリーである。結果的にルーズボールを競りあえているのだが、フリーのナイジェリア選手をケアしなかった松田のポジショニングは正しかったとは言えないだろう。また、中田浩二はこのとき、攻め上がっており、ビデオではかなり後に戻ってくるのが判る。宮本がフォアチェックを試みた時点では日本のディフェンスは2バックだった。松田のポジション判断能力を考えても、宮本はそもそもフォアチェックすべきではなかったのではないか。

松田がフリーの選手を作り出しているシーンは上記の一回に止まらない。松田は後半25分にもエドフォーのシュートをブロックしているが、このときは宮本とかぶっており必要なブロックだったか疑問である。よく見ると宮本は、自分のマークする選手を視野におさめているが、松田は自分のマークを振り捨ててフリーの選手を作っている。エドフォーがそれに気づいてパスを出していたら、失点したであろう。松田は、後半41分にも8番のマークを外している。

模式的に考えても、F4で1人がフォアチェックするとしても、3人でF3を形成できるであろう。ところが、F3で1人がフォアチェックするとすれば、ディフェンスは2バックになってしまう。仮にフォアチェックが失敗し、ラストパスが出たときに2バックで守りきるためには、DFに非常に高い守備能力を求めざるを得ないであろう。フォアチェックは、組織での守備を個人対個人の守備にしてしまう効率の悪い選択肢であるが、組織対組織の戦いにおいても、フォアチェックは極めてリスクの大きいプレーなのである。

29分のプレーにおいても、個人能力で競り合う局地戦に持ち込まれ結果的に松田のファールという形で日本は負けている。しかし、仮にナイジェリアが中央のフリーの選手を活かす組織攻撃を図っていれば、失点という形で日本は負けた可能性も高いのだ。

後半18分にも宮本がフォアチェックから相手のボールホルダーを追いかけ回して、中盤を進むが、この時もディフェンスは2バックである。ガンバでもみられるこのタイプの宮本のプレーは最終ラインで最も高い守備力を持つ宮本のつりだしになってピンチに繋がることが多いのは、ガンバファンには既知と思われる。宮本は自身と他のDFの埋めがたい能力差を判っていないのだろうか。

後半41分宮本のフォアチェック。事実、この試合でのフォアチェックはほとんど5バック以上の時に行われており、残った4人で空いたスペースを埋めて守備ラインは再構成できるはずなのだが、現実はそうではない。後半41分は、6バックになっていたにもかかわらず、宮本のフォアチェックがピンチを招いている。宮本は17番にフォアチェックし17番はオコチャにパス。オコチャは、宮本がいなくなったところにぽっかり空いたスペース にパスを出している。この時は、宮本がパスに反応し、17番について走ったため失点していないが、宮本以外のDFの危機察知能力の低さは目を覆うばかりである。この時は、6バックでライン上には5人のこり、中田浩二は余っていたのだから、彼が数歩日本右サイドに移動するだけでスペースは埋まったはずなのだが、空けたままである。更に、松田がカバーに走りナイジェリア8番をフリーにしたため、最後には8番に走り込まれている。スペースが埋まっていれば、オコチャはパスの出し所を失い、後半41分は淡々と経過したことであろう。所謂ブレイクとは、危機の創出という一面を持っていることを忘れてはならない。一見華やかに見える日本の守備はかくも杜撰である。宮本の最大の失敗は他のDFの能力を高く評価しすぎていることにあると言えよう。

後半15分5バックのシーンでの宮本のチェックのシーンにおいても宮本のいたスペースは空いたままである。後半25分も5バックでの宮本のフォアチェックにおいては、松田がスペースを埋めに来るものの自分のマークする選手を持ったままであるためか、緩慢な動きとなっており、スペースは完全に埋まっていない。ただし、後半15分と25分はビデオで見る限り、ナイジェリアに宮本がいなくなったスペースを使える選手はいないため、ピンチは発生していない。

このように、フォアチェックとは、フォアチェックを行う選手がいたスペースが空くため、危機の創出を伴うプレーであり、確実にマイボールになる見込みがなければ、少なくとも4バック以上で行わなければ、危険であり、4バック
以上であったとしても、ライン上に残る選手のスペース把握能力が低くスペースが埋められないのであれば、危機を創出してしまうリスクの高いプレーであると言ってよいだろう。

最後に、フォアチェックの成功例をあげる。後半10分松田のフォアチェック。松田は最初フィニディ・ジョージにフォアチェックを試み、フィニディ・ジョージはフリーのオコチャにパス。この時松田のいたスペースに、ナイジェリア選手が走り込んでいるが、宮本が同じくスペースに走り込んでいるため、ラストパスが出せなかったものである。再度、松田はフィニディ・ジョージにフォアチェックを試み、パスをインターセプトしている。この時は、5バックであったこと。パスコースが限定されており、パスが弱く、松田がマイボールにできたためフォアチェックは成功する。ところが、この時も、松田の後ろにスペースがありオコチャともう一人のナイジェリア選手が走り込んでいる。宮本はマークを外さずスペースに走り込んでいるが、オコチャには日本の14番が付いているが動きが遅く危険である。この、後半10分のプレーは、ラインに残った宮本のスペースを埋める動きが誉められるべきものであることは明らかであろう。

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