コロンビア戦の失点シーンに見る無理解の数々
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 コロンビア戦の失点についての批評は、日本のサッカー界の現状を良くも悪しくも象徴していた。サッカーマスコミ界でもサッカーファンが集うサッカーネット界でも、多くのものはコロンビア戦の失点の原因を宮本のヒールパスによるミスと断定し、宮本の軽率なミスがコロンビア戦の敗因であり、ひいてはコンフェデ杯グループリーグ敗退の原因としている。

 しかしこれは、明らかな誤認識である。その理由としては

1)宮本が遠藤にバックパスしたのは、ヒールパスでなくアウトサイドではたいたパスである。
2)コロンビア戦での失点において、宮本一人にミスがあったわけではない。また、失点シーンにおいて宮本のミス−−パスミスではなく、遠藤へのコーチングがなかったこと−− が、失点の最大の原因でもない。
3)コンフェデ杯グループリーグ敗退の主因は、ジーコが事前にターンオーヴァー制を準備できなかったこと、また、ブラジル流のショートパスを繋ぎ積極的にオフサイドを取ることをタブーとしたチーム戦術にあること。

などが挙げられる。

 ところが、巷では「宮本のミスパス」は「おしゃれヒール」などという異名を取り、また宮本のプレーがセーフティを優先しなかった、誤ったプレイ選択であったという評価になっている。

 この誤った事象について、当サイトのBBSではCS放送画像のコマ送りと静止画像を検分しながら、いかにもの申す層のサッカーファンとサッカーライターが試合を見ることを怠っているかを指摘したところである。ちなみに、この検証作業には標準的な機能のビデオデッキの3倍モード録画では、能力不足である。それは何度もVTRで確認したというファンの多くがヒールパスでなくアウトサイドではたいたパスでないことに気付かなかったことからも明らかである。

 さて、「ヒールパス」と「アウトサイドではたいたパス」この差について、もう少し考察をしてみよう。なぜならヒールパスもアウトサイドではたいたパスも精度が落ちるもので、あの局面ではタブーなのだという、これまた検証不足の態度を露呈した反論もあるからだ。

 ヒールキック、アウトサイドキック、これらは確かにインサイドキックに比べると精度が落ちるパスである。では、逆になぜこういう精度の落ちるキックが存在し、それが現実にトップレベルの試合でも使われるのだろうか。これは考えれば実に当たり前のことなのだが、インステップキック、インサイドキック、アウトサイドキック、インフロントキック、チップキック、ラボーナそれぞれに特性があり、状況によりそれらを使い分けることがプレーの選択肢を増やすことになるのだ。これは「サッカー上達Book」(上野山信行:成美堂出版)をひもとくと、一目瞭然なのだが、一番正確なボールを蹴ることが出来るのはインサイドキック、ボールを遠くに正確に蹴ることができるインステップキック、ボールを遠くに飛ばせるがインステップキックに比べると若干浮いたボールになるインフロントキックなどというぐあいである。ではこれらのキックをすべてマスターすれば、いついかなる場面でも、蹴りたいキックを蹴ることができるのかと言えばそうではない。例えば、遠くに蹴りたときに用いるインステップキックやインフロントキックでも、遠くに蹴りたければそれにみあう助走が必要になる。インサイドキックではボールを蹴る際の体の向きが重要であり、ボールを受けたときの体の向きと敵が詰めてくる角度の兼ね合いで、クリアボールには使えない局面がある。つまり敵味方の配置と距離など状況によっては、その場面で使うことができないキックは多々あるのだ。また、そうであればこそ意表をつくようなラボーナや、キックやシュートにおけるフェイク動作は有効なのである。

 では「ヒールパス」と「アウトサイドではたいたパス」はどのように異質であろうか。

 「ヒールパス」の効用は何よりも、自分の進行方向と逆向きにボールを出せることにある。これは単に意表をつくパス、ということにとどまらずボールを追い越していくような状況では、走っていてもトラップの為に身体を止める必要がないこともメリットとなる。ボレーに比べればコントロールも容易であり、自分に密着している敵ならば簡単にはがすことができる。しかし、パスの瞬間にはパスの受け手が視界に入らないこと、インサイドキックに比べるとキックの精度が落ちることがデメリットになる。

 では宮本があの場面でセーフティと判断した「アウトサイドではたいたパス」の効用はどうだろう。「アウトサイドではたいたパス」のメリットの第1は、意表をついたパスではない。これは宮本の件のパスを見れば一目瞭然であるが、助走無しにすぐに蹴れるところである。だからこそ、遠藤がボールの捕捉に行くのが遅れているのである。コロンビアの選手が猛スピードでボールに迫ってきていたのは、一般的なVTRでも確認する気になれば簡単に分かることだろう。であるからこそ、宮本はセーフティを優先してあの局面ですぐ蹴ることができるキックを選択しているのだ。デメリットはヒールキックに比べても距離が出ないことである。

 このように見ると、宮本に対する批判の多くがいかにステレオタオプであるかがなお一層に鮮明になる。検証を続けよう。遠藤が宮本にボールを返したシーン67:41であるが、宮本は遠藤からほとんど角度のないボールを受け取っている。67:41で少しコマ送りしてから静止画像を見ると、宮本が右足を挙げかけたところでコロンビア選手が二人異なる角度にボールに向かってきている。そのうち宮本に正対している選手はすでに3mくらいに接近しているし、宮本の左側から迫っている選手もすでに5m程度に詰めている。コロンビア選手の詰めの速さではおそらく0.5秒以内に一人目が、二人目も間違いなく1秒以内にボール奪取のチャージなりスライディングに来るだろう局面である。ドリブルは問題外だし、インサイドキックやインフロントキックインステップキックをするための、足の踏み替えもすでに危険である。選択肢は

ア)ヒールパスで、いったんボールを遠くにいちかばちかのバックパスするか
イ)素早く遠藤にアウトサイドで安全にボールをはたくか
ウ)危険を承知でステップを踏み換えるなりボールを持ち直して大きくクリアするか

の3つである。この中で宮本が選択したのはイ)であった。

 「ヒールパス」と「アウトサイドではたいたパス」。状況をよく検分せずにキックの大まかな性質のひとつふたつから分析するから、かように間違った結論に繋がるのだが、こういう「何々とはこういうものだから〜」からはじまる評価方法の弊害は、−−特に戦術論で頻出する−−、自己完結している理論体系を無意識化にせよ守るためにピッチ上の事実を偽りにすり替えることにある。たとえば宮本の身長が松田森岡よりも低いことをもって、宮本のヘディングが松田森岡に劣るという陳腐な定説が蔓延していた事実、稲本がフィジカルコンタクトに強いことから、フィジカルが強いなどという誤解が今なお根強い。これはまた、批評の俎上にのせた選手とそのプレイを批評者がじつはよく見ていないことを自覚していないことからはじまる。またそういう大まかなカテゴライズ(いわゆるステレオタイプなレッテル張り)をすると、BBSにおけるサッカー談義は−−内容に誤りがあったままでも−−誰でも楽に手抜きしたまま繋がりやすいのだ。

 大上段に「何々とはこういうものだから〜」というようなところから始まる批評に、実のところ、サッカーの現実を正確かつ有用に分析し得えたものは希である。今回のケースでは「アウトサイドではたいたパス」に対する理解の未熟も指摘できるが、宮本のプレイに対する批判のうち、誤った批判の多くは大上段に「何々とはこういうものだから〜」という体をなしているので、そのうちの一つの事例としてあげておこう。

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