サッカーを見る目と将来の日本サッカーの芽
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 私が生でサッカーを見た一番古い記憶は父に連れられた高校選手権でした。当時はまだ阪神間で高校選手権が行われていたのです。試合内容も対戦カードも記憶にないのですが私にとってサッカーとはずっとスタジアムで見るものでした。W杯の好カードでさえNHKが深夜にダイジェストで放映するぐらいしかなかったのですから、当然といえば当然のことです。だから、今もってTVでサッカーを見るのも好きだけど評価は苦手です。私にとってサッカー観戦の基本はスタジアムで見ることですから、TVで見ると不自由でしょうがない。

 私は生まれてこの方、近畿地方の住人です。だから、首都圏開催になってからの高校選手権はスタジアムで見たことはありません。しかし、Jリーグが開幕してからはクラブユースのサッカーをトップの前座後座試合や練習場で見ることができるようになりました。地上波でも観戦できる高校選手権と違って、クラブユースはこれまであまり日の目を見ませんでした。実際、高校選手権に出たくてジュニアユースから強豪校に進学する選手もいます。一部のクラブユースの高い技術と意識に対して正当な評価をするマスコミはまだあまりありません。稲本の「ユース育ちは日陰の身ぃやから」というコメントの実態が分かる方は少ないと思います。

 時代の移ろいとともに変化していくサッカーのスタイル。特に成長期の日本では、急速にサッカーを取り巻く環境が変化しています。選手層の厚みでなく、育成環境の差が劇的に選手の質を変えつつありますが、サポーターのサッカーを見る目もそれに伴って成長しているのでしょうか。CSやBSの普及でサッカーが盛んな国の試合を見ることができるようになりました。W杯なら地上波で(しかもダイジェスト版でない!)見ることができるようになりました。世界のサッカーについて情報は格段に増えました。こうしてインターネットで点在するサポを繋げることもできるようになりました。サポーターを取り巻く環境も格段に進歩しました。しかしながら、私は選手のレベルの成長ほどにサポーターの目は肥えてないのではないかと疑っています。その証拠がクラブユースへの不当な評価だと思っています。

 トルシエ毀誉褒貶というBBSに立てたスレッド「書を捨て、街に出よう」で忸怩たる思いを抱えながら日本で高度なオートマティズムが一番身に付いているのは一部のJ下部組織であると書きました。正直申し上げますとなんでこんな明らかなことをわざわざ書かねばならないのか?と悲しく思いました。カメラの枠に情報が切られる外国の試合を画面で見るのも結構ですが、自国の将来を担う選手の今をご覧になる気はないですか?自国の将来を考えるにはJクラブユースの今とこれからの有り様は極めて重要な要素です。関東でもジェフ市原があります。関西においでにならなくてもJ下部組織生え抜きの技術ならご覧になれるはずです。