ガンバ大阪史観 |
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アントネッティ時代は空軍。攻撃力は抜群で点はたくさん取れる。まるで、綺羅星のようにエースがひしめくドイツ空軍のよう。けれど、バトルオブブリテンのメッサーシュミット、終盤必ず燃料切れをおこす。運動量は現監督時代よりもずいぶん多かった。飛び続けてないと無力という意味では、フカに近いとも言える。また、空軍だけあって、陣地取りは不可能。しかし、稲本サイドチェンジからスペース出されたボールを小島や播戸が俊足をとばしてカウンターを決めるところは実に楽しかった。航続距離が短いので後半沈没することが多く、リーグ順位は低迷していた。けれど、「世界の一部リーグでもっとも若いチーム(BYアントネッティ)」は、それはそれで魅力的なチームだった。 早野監督就任直後F3時代は陸軍。F3という絶対国防圏を盾に、戦場を限定することで、燃料の節約を図り、試合終盤の失点を劇的に減らす。絶対国防圏のデキは出色だが、狭い戦場の中でボールが回せる技術が不足していたこともあって、アントネッティ時代の伝家の宝刀をふるうスペースがなくなってしまう。ちなみに某カフェでサンガ戦の敗戦後、ダイレクトパスの必要性から大黒、二川のサイドハーフ起用を書き込んだら、次の試合で本当に大黒がサイドハーフで起用された。以来、なぜか早野監督の采配は、たぶんこう考えたんだろうとプロセスが推測できてしまう(汗)。攻撃力不足には二川大黒の成長を待たざるを得なかったため、天皇杯横浜戦をもってこの作戦は放棄される。なまじ横浜戦がそこそこの試合内容だったため、4バック転向を支持したサポが多く、ガンバサポにも不評だったシステムではあるがH-ICHIJYO家では評価がとても高い。前監督時代に比べたら極端に運動量が減った。 99年末天皇杯Fマリノス戦以降の4バック以降は海軍。 1.初期 陸軍時代の戦場の限定による攻撃力低下を救うためとF3を担う人材に予備がないためのシステム変更だと思われる。両サイドの駆逐艦から砲撃するも攻撃目標までの距離が長く、援護射撃には不適であった。また、前線の上陸用舟艇が上陸作戦に再三失敗。艦隊陣形の配置ミスや大本営が不明確な作戦目標をたてたことにより戦場は混乱(このあたりは捷一号作戦に近い)。しかし、戦闘員の練度不足も否めない。そしてF3がなくなれば、運動量が増えることが分かった。 2.中期 2000年1stステージ後半 艦船の配置を修正することによって援護射撃に必要な射程距離を短縮する。また戦闘時間を短くすることで防衛力を高めたため、自滅する傾向に歯止めがかかった。戦闘部隊の裁量の範囲内かどうかは不明だが、実質的には3.5バックにフォーメーションの変更があった。初期に比べて運動量は微減する。 3.後期 2000年2ndステージ 大本営も翻意。4バックに対するこだわりがなくなり、3.5バックが公式フォーメーションとなる。このため、攻守の切り替え時の無駄な移動距離が減少する。海軍時代初期の難局を堪え忍んだ甲斐あって、戦闘員の練度が増し、戦局によってはかなり渡り合えるようになった。また両サイドの射程距離が伸びたため、アウトレンジされることがなくなった。また上陸用舟艇も盟邦クロアチアの新兵器を搭載。戦闘員の練度とモチベーションのアップもあり、思いの外の好戦果をあげるも、まだまだ制海権を握るに至っていない。 |