「フィジカル」&「身体能力」の定義の揺らぎ |
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私自身も定義が曖昧なまま「フィジカル」&「身体能力」という言葉を何度も使っています。このWEBでもそうです。そして安易に「フィジカル」&「身体能力」という言葉を使ったかな?と反省することがあります。 私は「フィジカル」=「身体能力」なのか「フィジカル」≠「身体能力」なのかも知りません。そのくせに私が「フィジカル」&「身体能力」という言葉を使うときは、「体格」+「筋力」+「スピード(ダッシュ)」というようなイメージを持っています。この3要素は、いずれも、物差しで測ることが可能です。ですから、数値化は理論上可能です。数字を客観的資料として尊ぶ人には、人によって見方の変わらない部分として重要視することでしょう。しかし、「フィジカル」&「身体能力」という言葉の実態は大変曖昧なものです。そして曖昧なまま、サッカーネット界でこの言葉が多用されるために、かみ合わない議論があったり、おろそかにされている価値観(技術や意識)があると、私は考えています。 人によっては「フィジカル」&「身体能力」という言葉の要素に、「体格」+「筋力」+「スピード(ダッシュ)」以外にも「持久力」を加える場合があるだろうし、逆に「フィジカル」&「身体能力」とは単に「身長」と「体重」であると思う人もいるようです。言葉の定義が違うのに、「フィジカル」&「身体能力」という言葉を使っても、議論がかみ合わないのは当たり前のことです。また選手年鑑各種を見ると、発行年が同じでも資料によって選手の身長が違っていたりします。おそらく、古い資料を安易に使い回ししたり、選手の新しい測定値を公表してなかったりしているのだと思います。また、川口選手が身長を2cm偽っていたというエピソオドを、金子達仁が書いていました。それが事実なら選手名鑑などでファンが知り得る数値は、身長体重でさえ実態とは違う可能性があります。ましてや、他の要素「筋力」+「スピード(ダッシュ)」などの数値を一般のファンはどうやって知り得るというのでしょうか? トルシエは代表選手の体力測定を実施しました。その測定に参加した選手のデータなら関係者の一部が把握していることでしょう。数値として客観的に把握しているのは、彼ら関係者ぐらいで、私たちサポーターは精度に欠ける選手名鑑の身長体重の数値や、試合中のプレーや選手の体つきぐらいでしか「フィジカル」&「身体能力」を判断できません。また、筋力にしても瞬発力、持久力、などいろいろな要素があります。どの筋力をサッカーではどれぐらい重要視するのかどれくらいの人が知っているのでしょうか。理論上は、数値による比較が可能なため、揺るぎがない客観的な事実としてサッカーネット界で使用されている「身長」や「体重」ですら信用できないのですから、まして「フィジカル」&「身体能力」は、プレーの評価や試合の戦評と同じで、その言葉を使う人それぞれの主観の産物にすぎません。 言葉の定義を厳密にすることで、議論がしにくくなるとか、冗長になるという問題はあります。でもお互いに分かったようでも、実はみんな各々が違うイメージを持ってるという状況を常に念頭に置くことで、目から鱗を落とすことだってあります。 韓国に日本がなかなか勝てなかった時期、一般に認知されている敗因は「フィジカル」&「身体能力」において、韓国が日本を上回っているからと、歴史的背景によるモチベーションの差でした。しかし技術では日本が上回っているとか、戦術思想は日本が進んでいると90年代後半からは言われてました。本当にそうでしょうか? 例えばノ・ジュンユンやユン・ジョンファンそれにハ・ソッチュ、チェ・ソンヨンあたりはそんなに背も高くありません。ホン・ミョンボは大柄ですが井原と比べてもそんなに大男でしょうか。あと、韓国人と日本人の筋力や走力スピードはサッカーのプレーにおいてどれほどの差があったのでしょうか。持久力に大きな差があったということなのでしょうか。私見ですが、毎回敗因になるくらい大きな「フィジカル」&「身体能力」の差はなかったと思います。 日本が韓国に負けていたのは、むしろ「技術」です。日本は組織としての「戦術」に勝っていても、個人の「技術」で負けていたということが、ことの本質ではなかったのか。日本人は技術的に何でも優れているという思いこみと、日本人は体が貧相であるというすり込みがまず最初にあって、敗因をステロタイプに分析していたのではないかと思います。今年の1stステージ2位のセレッソでFKを主に担当するのはノ・ジュンユンやユン・ジョンファンです。この他、ハ・ソッチュ、ユ・サンチェルなどもFKを担当します。日本で技術を語るときにしばしば引き合いに出されるFKに限ってみても、日本が韓国を大きく上回っていると胸を張っていうことができるのでしょうか。ましてや伝統的に接触プレーを厭わない韓国では、体の当て方において日本を上回る技術があるのではないだろうか?と私は考えます。「身体能力の問題」で思考停止して、問題の本質が理解されていない例はきっと他にもあると思います。 サッカーを語るときに定義が曖昧だからと「フィジカル」&「身体能力」という要素を避けて通れというつもりもありません。「フィジカル」&「身体能力」の定義が曖昧なままでも、可能な議論もあるだろうし、テキストの内容で文中の「フィジカル」&「身体能力」が具体的にどういう内容であるかが分かる場合や、あるいは「フィジカル」&「身体能力」という言葉について共通の定義がなされた場でなら議論も可能だと思います。しかし、自分がサッカーを語るときに使う「フィジカル」&「身体能力」に果たして実体があるのかどうか常に自問してみる必要があると思います。 |