ながながし夜を
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 日本代表の南アフリカ戦、スロバキア戦の2試合は、宮本不在の日本代表で実に見慣れた光景でありました。このほか男子の試合はアメリカ対カメルーンを見ましたが、走力、持久力と自分たちの技術レベルにマッチした作戦がよく浸透しているという点以外には、アメリカには見るべき点がないのをスタジアムで目の当たりにしたりもしました。しかし、もっと私に示唆を与えてくれた試合は女子のノルウェイ代表とドイツ代表の2チームでした。トルシエという監督を評価するに当たって、徐々に膨らみ始めていた疑問、クレバー・リベロ氏は早くから指摘されていたところですが、昨秋の五輪代表の緻密な論理を背後に隠し持つ優美なラインは果たしてトルシエ自身の戦術であったのか?もしくはトルシエはF3においてどれほど自分の理論体系を確たるものとして持ち得ているのか?という疑問です。

 私自身、かって「ル・モンド・トルシエ」において、昨秋の五輪代表システムを、当然監督トルシエの戦術であるという前提にたって、いろいろな書き込みをしました。しかし、宮本がいないとラインが機能しない、どころかラインディフェンスの志さえも放棄したかのような現代表の体たらくを見て、遅蒔きながらトルシエという監督の能力について懐疑心を持つようになりました。

 しかし昨年後半のガンバ大阪のF3や今年のF4を基調とする、フレキシブルなラインと短時間にガンバでマンマークタイプのDFがラインを構成できるようになったという事実から、私にも昨秋の五輪代表のF3は戦術思想面においても宮本のものであった可能性が高いと思い始め、前出の「ル・モンド・トルシエ」においても「宮本はラインディフェンスの戦術眼においてトルシエの前を歩いている可能性がある」と書いていました。でも、宮本が戦術面で自分よりも優れていることをトルシエが認め、その選手を活かすチーム構成をトルシエがしたのであれば、人事課長としてのトルシエは優秀であり、トルシエは代表監督として優れているといえます。

 けれど、トルシエは宮本流F3を潰してしまいました。術後からの約半年間は、宮本の代表召集はたしかに危険でした。しかし、その間に日本代表はおそらく本来のトルシエの戦術であろう大味な3バックF3風味になってしまいます。実質スイーパーシステムとも言えるトルシエ本来の3バックは、中盤のためにゲームエリアを設定するラインが機能せず、プレーを分析的にみれば一対一で守備をする局面がとても少なく2対1でボール奪取を計っていました。この光景は岡田ジャパンにも見られた事であり、それ故攻撃の選手まで守備に疲れて得点ができないという結果においてもよく似ていました。私はトルシエと岡田における大きな相違点を、少なくとも彼らの戦術面では見つける事はできません。

 そして一部で評価されるトルシエの気迫というかファイティングスピリットについても大きく疑問があります。日本人の気合いは、興奮状態のように外に向かうものではなく、ウチに向かって集中力を高めるのではないかと私は思います。そして、その違いはヨーロッパ人でも努力すれば体得できるものですし、ヨーロッパ人の手による書籍(「日本の弓術」オイゲン・ヘリゲル著:岩波文庫)でも勉強できるものです。たとえば宿舎の手配や遠征先のセッティングでトルシエには日本協会にないノウハウやコネクションが有ることを認めても、日本代表監督としてふさわしい人物であるかどうかは大変疑わしいことです。しかも、日本人のメンタリティを理解してない節があり、それが例えば宮本や小野が試合前にロッカールームで集中する姿に理解がないのならば、私は積極的にトルシエ反対派です。日本人が進化してフランス人になるわけではないのです。サッカー選手に限定しても同じ事。デシャンのようにガンガン怒鳴り散らしても、日本代表の主将にはフランスとは別の功罪が顕れます。真面目な話、トルシエ監督よりも早野監督や副島監督のほうがよほど日本代表監督に向いているのかもしれません。

 さて戦術面ですが、F3が何もトルシエの専売特許である必要はありません。しかし、F3という戦術をどれだけ自分のものとしているか?という点は非常に重要視して評価すべきだと思います。ドイツ女子のF3とノルウェイ女子のF4は、宮本のF3に比べると明らかにプリミティブなラインディフェンスで細かいラインの上下動によるFWとの駆け引きまではありません。ボールの方向と距離によるDFの縦の移動と、オフサイドトラップの援用。しかし3mの距離とディレイは、しっかりとチームの血肉となっていました。体の向きがおかしいDFや機関車バックをやる(しかも大柄)DFが両チームとも存在しました。(付記:ラインを統率してるのは両チームとも背番号5の選手でドイツは小柄なキャプテン。ただし彼女は真ん中ではない。)個人レベルでの問題はありましたが、組織としては宮本不在の日本男子代表よりも、はるかにスモールフィールドの設定意識が高かった。ピッチの広さを男子以上に持て余す女子の、ラインデフェンスに対するヨーロッパの取り組みを私は興味深く見ました。そして、ラインディフェンスが日本の目指すべきスタイルであることを再確認し、そしてラインディフェンスの普及の必要性がヨーロッパにおいて十分認識されているという推測(それゆえウエストハムは宮本に白羽の矢を立てたのではなかろうか?)から、他国がその形状を見ても真似できない組織にまでラインディフェンスを構築しないと、日本は論理的に世界の頂点を目指し得ないという予感を私は持ちました。トルシエが日本に持ち込んだメリットは宮本にF3を体現できる場を与えたということ、これは認めざるを得ないでしょう。しかし、そのメリットを代表の場から、失わせたのもトルシエでした。(問題は多々あってもガンバは優しい早野監督であって良かったと思います。)私は宮本流F3こそが日本がはじめて持ち得た確固たるスタイルであると信じています。「トルシエが日本のスタイルをはじめて提示した」という、麗々しいが実態のない売り出し文句には反対の意見を表明します。CB中央の選手が変われば、システムが変わるのというはチームのフレキシビリティという効用ではなく、単に選手の個性にシステムが依存しているだけです。昨秋の五輪代表F3から宮本を引き算した差「トルシエ」=ゲーム管理者のいないポジショニングバランスの悪いスイーパーシステム。しかし、逆に言うとトルシエが自分の戦術面の不足を、宮本に求めるのであればO.K.だと私は考えていました。ところがトルシエはそうしませんでした。シドニー五輪アメリカ戦、事ここに至って私はようやく、トルシエに対する不信を募らせました。

 シドニー五輪では、いろいろとへこむことが多々ありました。宮本がいないときの稲本の抱える問題が大きく露呈し、しかもその事についての言及が少なかったこと。中田のキラーパスが味方を大きく消耗させていること。宮本のプレーがあまり見ることができなかったこと。トルシエの戦術がたいして優れていないこと、などなどです。でも、Jリーグセカンドステージが再開されると、宮本麾下の稲本を見ることも、キャプテン宮本のラインを見ることもできます。ピッチ上にいなくても、キャプテンマークを巻いていなくても最後まで戦える宮本を見習って、難敵ひしめく今後のガンバの戦いぶりを応援しようと思います。あとどのくらいガンバで宮本の試合が見ることができるのかは分かりませんが、一試合一試合大事に見たいと思います。そして稲本が独り立ちできるように、宮本が矯正してほしいものです。 

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