99年ガンバ大阪のジレンマ
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 F3を考える上で極めて重要でありながら、ほとんど誰も語らない99年セカンドステージのガンバ大阪のF3について考えてみたいと思います。F3とは何かについて、最近は、ようやく宮本の率いるラインディフェンスのことを指すという定義に落ち着きそうですが、長い間、何を以てF3とするのか明確な定義が無く、なんとなくトルシエの代表は何でもかんでもF3と考えられていたため、トルシエの関与しない、ガンバF3は軽視されがちでした。

 しかし、トルシエのディフェンスが必ずしもF3ではないこと。宮本がいないとF3が出来ないこと。という現象面。そして、F3というシステムは、むしろ、宮本の考案したシステムではないかという立場に立つとき、宮本の思想が実体を伴って形成された場であったと思われ、トルシエから離れ、すぐれて、宮本の考えが反映されたF3が使用されていたと思われる99年ガンバF3の重要性は、もっと、認識されても良いのではないでしょうか。

 なぜ、99年ガンバのF3がいままで等閑視されていたのか?

1)直接スタジアムで観戦しているガンバサポが代表のF3より下回っていると思いこんでしまっていた。
2)ガンバが99年当時弱いチームだったので、ガンバF3が正当に評価されにくかった。
3)99年セカンドステージでは関東でのガンバの試合は開幕の川崎戦と鹿島戦の2試合しかなく、サッカーマスコミやネット上の寄稿家達の多くが関東在住のため、実はあんまりガンバF3を見たことがなかった。
等の理由が考えられます。

 私は、99年当時ガンバに比べるとフル代表はかなり形が崩れていると漠然と見ていましたし、五輪代表はいつまで経っても上手くならないというイメージを持っていました。

 現在、比較的評価されている中田浩二も宮本にラインをあわせることが出来ないので、いつも半歩前にいることで、オフサイドラインを消してしまわないようにしているというイメージがありました。そして、五輪代表F3はスタジアムの高い位置から見たときのラインのそろい具合が、あまり厳密ではなかった。という印象がありました。平たく言うとまっすぐになっていないし、等間隔でもなかったと思うのです。99年の五輪代表の試合数を考えるとき、なぜ、F3がいつまで経ってもきれいにそろわなかったのか、未だに考えてみる必要があると思っています。(この当時は、むしろ、ラインにこだわることは良くないといった風潮さえ有り、口に出す選手もいましたが、相手FWに走り込むスペースを与えず、細かく駆け引きするためにはラインがそろっている方がよいと思いますし、単純にオフサイドを取るためにもラインがそろっている方が良いと思います。)

 これに対し、99年のガンバF3は私の見たセカンドステージ2戦目平塚戦はダンブリー−宮本−実好のラインが全くそろっていませんでしたが、3戦目京都戦でダンブリーが合い始め、4戦目柏戦で実好が合いはじめました。5戦目の横浜戦は見ることが出来なかったのですが、6戦目の清水戦は、ラインはきれいにそろっており、ハーフウェーラインを越えてあがる最終ラインは見ていて心地よくなるぐらいでした。このとき、後半ダンブリーに代わって出場した斉藤に、ピッチ上で細かくF3のディフェンスをレクチャーしていた宮本の姿が印象的でしたが、五輪代表でなぜこのシーンが見られないのか?そして、この直後の韓国戦で宮本が辻本の背中をどついて、言うことを聞かせているシーンを見たことが、私の五輪代表に対する複雑な思いの源泉になっています。

 ただし、国立の韓国戦でもてはやされた右サイドの酒井をラインに入れ一時的に4バックにするシステムは、とうの昔にガンバ大阪では日常的な風景になっていたことに見られるように、宮本のF3はこの当時ガンバで形成され、代表ではガンバで試して成功した戦術を流用していたと思います。

 この後、セレッソ戦の大敗を経て、ガンバは次第に勝てなくなります。連敗の原因の一つは、この当時かなり悪化していたと思われる宮本のスポーツヘルニアが2つの韓国戦の負担(ソウルで当初松田が起用されることになっていたのは、宮本の体調が原因だったのではと推測しています。)と、五輪最終予選の影響で、タイトになったリーグ戦日程に耐えきれなかったことと考えています。

 それともう一つ、99年ガンバ大阪最大のジレンマ、F3の採用による守備力強化と裏腹の極端なガンバの得点力不足です。98年のガンバは、よく負けるけれども、得点のとれる楽しいチームでした。しかし、なぜか、F3の採用後は得点がとれなくなります。
(同じ現象は、松田がハーフラインを超えて、もっともラインを高く上げた壮行試合クウェート戦でも起こっていました。この試合で前半点が取れなかったのは当たり前だと思います。やっと、トルシエ日本はガンバ大阪のジレンマに陥いるところまで進化した程度です。この試合が私にトルシエはF3をよく分かっていないんじゃないか?F3は宮本のシステムなのではないか?という疑問に最終的な回答を与えてくれたと思っています。)

 これは、F3でコンパクトにされたスペースでは、相手の攻撃のためのスペースを消すと同時に、中盤や前線で味方の攻撃のためのスペースも消してしまったからだと思うのです。F3放棄後の宮本のコメントにも4バックの方がパスが回るといっていることからも裏付けられると思いますし、従来カウンター攻撃を得意とし、相手DFの後ろの広大なスペースを必要とする、小島にこの当時の宮本のF3は適合していなかったと思われます。

 また、五輪代表で宮本のF3が大勝を導くのと全く逆の現象が起こっていることにも注目する必要があるでしょう。私は、これは、五輪代表と99年当時ガンバのチームとしての攻撃力の差が原因だと思います。五輪代表は98年のアルゼンチンを除いて彼我の力量差が少ないか、圧倒的に日本が勝っている相手と対戦していたのに対し、ガンバは恒常的に相手の方が強いか同等程度の相手と対戦していたことが得点力不足の原因だと思います。評論家達が「強い相手と対戦していない」とトルシエを批判しているのを尻目に、宮本はリーグ戦で強い相手と毎回対戦し、その場合に起こるF3の問題点「相手の攻撃力を削ぐと同時に味方の攻撃力を弱めてしまう」という命題の回答を探していたのだと思うのです。その上で宮本はF3を自らの戦術として採用しているのでしょう。ですから、ブリスベーンのブラジル戦で日本の方向は間違っていないと言ったときの宮本の思いは、私たちが受けた以上に重いものだったのではないでしょうか。

 この当時、宮本が考えていたと思われる味方の攻撃力アップのF3オプションはおそらくこうです。味方の攻撃に流れが変わるとラインを一旦下げ、味方のための攻撃スペースを作ってやり、味方の攻撃終了と同時にまた、ラインを上げるというものです。なんとなく、攻撃時には最終ラインも押し上げているように思えるのですが、スタジアムで見る限り、むしろ逆にガンバの得点シーンではあまりラインは高くなく、注意していると、味方がボールをインターセプトして前を向いて有る程度敵陣に入ると宮本のF3ラインは後退していました。他にもいろいろな戦術の開発があったのかもしれませんが、私の眼力では分かったのはこの一点でした。 

 しかしながら、宮本の戦術、状況に応じて最終ラインを4バックから3バックに切り替える「ガンバの3.5バック」中盤でボールを支配しても、相手の守備が堅くてこじ開けられないとき、逆に相手のカウンターを受け、跳ね返してカウンターに移る「カウンター返し」などは99年から00年にかけて宮本が編み出した戦術なのでしょう。既に宮本はガンバ大阪のジレンマを克服し、強い相手とのF3を駆使しての戦い方を編み出しつつあります。宮本がブラジルともう一度やったら勝てるというコメントは確かな戦術的な裏付けのある言葉だと思うのです。

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