スポーツとビジネスの時代の趨勢
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 オリンピックが純粋にアマチュアの大会であったのはモスクワ大会が最後だったように思う。オリンピックでは開催国が面子をかけて過去最大の参加国数、参加者数を更新しようとする。また、新しくいろんな地域の競技が採用される。けれどそれは世界の祭典を標榜する以上避けて通れない肥大化でもあった。しかし、回を追うごとにかさむ経費を捻出するため国家予算や地元自治体による開催は限界にきていた。そしてロサンゼルス大会では大会運営には多くの商業主義が積極的に取り入れられた。オフィシャルスポンサー、オフィシャルサプライヤーという言葉が全面的に使用されたのだ。ロサンゼルス大会の組織委員長は、大リーグのやり手ビジネスマンだった。国家予算や自治体の負担によるオリンピックはもう限界に来ていたのだ。変革は時代の必然だった。

 若い人には馴染みがないだろうが「アタックNO.1」という一世を風靡した女子バレーボール漫画があった。いわゆるスポ根(スポーツ根性)ものの元祖としてアニメーションのほうが有名だ。その主人公鮎原こずえが就職の面接に当たってのシーンが興味深い。その企業側が、高校生全日本選手鮎原に「練習時間は確保する。仕事はしなくてもいい」と持ちかけるのだが逆にヒロイン鮎原は「まぁ、私はお給料の分ちゃんと仕事をしますわ!」と声を荒げるのだ。そして同席していた社長が「君のアマチュアリズムは素晴らしい」とヒロインを賞賛するのだ。現実問題、アマチュアリズムをヒステリックに求める姿勢が当時の社会にあった。今のご時世からは信じて貰いにくいだろうが、選手のサインと手型が少年漫画に載っただけ(←取材に対する謝礼はなかったと思われる)で「アマチュアリズムに反する!」と非難された時代があったのだ。「アマチュア=美しい=五輪精神」が当時は日本の常識だった。

 しかし、そのアマチュアリズム全盛時代にも問題は多々あった。社会主義国家による「ステートアマ」と「貧富の差」である。実質的にはプロに近い環境で、国家威信のため強化された社会主義国の選手に比べて、西側の選手は不利な環境だった。また、アマチュアリズムを求める事自体、上流階級の道楽という要素が否定できなかった。資産やパトロンを持たない層は、オリンピックから締め出されていたのだ。「アマチュアリズムは人種差別だ」という意見は突飛な意見ではないのだ。しかし「清く、貧しく、美しく」は多くの日本人の美意識にかなったようで、ロサンゼルス五輪を契機に体協内でアマチュアリズムについて競技別に意見が分かれたが結局は世界的な時代の趨勢どおり商業主義に傾いていった。けれどそのおかげで貧しい階層に生まれた才能の持ち主も、檜舞台にに出てこられるようになったのだ。商業主義による問題も多々あるが、アマチュアリズムの清貧が実は差別を孕んでいたことも証明されてしまった。今のパラダイムでは商業主義のコントロールが問題だろうが、その解決策としてアマチュアリズムが復活することはあり得ない。それは社会構造がかわったからだ。

 サッカーとアメリカンスポーツ(野球やアメフト)はおそらくあらゆるスポーツの中でもっとも商業主義の歴史が古い。今更、フットボールネイションズでのクラブの創立当時の設立趣旨を諳んじてもあまり意味はない。個人がパトロンたりえるぐらいの搾取は社会的に許されないし、ビジネス上の大成功も現代では稀となった。祇園でも、一人で舞妓はんの世話をできる社長はいなくなったという。結局、時代の変化が必然としてクラブの企業化を促したのだ。プロフットボール界でのパラダイムの変化はいち早かった。それを追いかけるかたちでオリンピックを含めてスポーツビジネスのパラダイムが変化した。

 金は出しても口は出さない「パトロン」の時代は、もう今の時代の社会構造上ほぼ不可能である。企業がスポーツのスポンサーを努めるにあたっては、株主に対して費用効果や文化メセナの必要性を説明する責任がある。税金を使って、スポーツを支援するならそのプライオリティと必要性を住民に対して明らかにする必要がある。「金は出せ、口は出すな」は、企業論理や株主と住民へのアカウンタビリティから道義的に許されないのだ。現在はクラブもサポーターも上手に賢く商業主義とつきあうタームにあると、私は考えている。Jリーグがビジネスとして成熟すればスポンサーの顔色をうかがう必要はなくなる。しかしそうなってもスポンサーである企業や自治体、国の面子を潰すようなことはするべきではないと思う。今はまだJリーグはスポンサーの庇護なしにはやっていけない。自立できていないのだから、尚更スポンサーは大事にすべきではないのか?スポンサーを大事にするのはサッカーを大事にするのと一緒だと思う。そしてそれは膝を屈してお願いする事とは違うのだ。

 ガンバのスポンサーが左前になって、ガンバから撤退したら困るのだ。ガンバのスポンサーの利益はガンバの利益でもある。だから私はNational/Panasonic製品を愛用してる。個人でも購入できる商品を作ってる企業がガンバのスポンサーであったのは、私にとっては幸いなことだったかもしれない。それは、私にも可能なスポンサーへの意思表示があるからだ。 

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