「フィジカル」についての二つの疑問 |
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私は、今フィジカルという言葉については、2つの疑問を持っています。 まず、第1にシドニー五輪アメリカ戦に敗れたときサッカー協会関係者やトルシエ監督の口からアメリカはフィジカルが強かったという趣旨の発言があったことに関してです。 私が、キャンベラのスタジアムのほとんどかぶり付きで見た多くのアメリカの選手は、高校生か?と思わせるくらいガリガリで、そんなに大男にも見えませんでした。少なくとも、私の目には、日本五輪代表の方が肉体的にはごつく見えました。体つきで負けているようにはとても思えなかったのです。 確かに、私の見たカメルーン−アメリカ戦においても、アメリカ選手はカメルーン選手に比べて、持久力があるとは思いましたが、特段、アメリカ人はカメルーン人より足が速いとも思いませんでしたし、フィジカルコンタクトに優れているようにも見えませんでした。つまり、私の見る限りでは、アメリカ選手が肉体的に優れているのは、持久力だけに過ぎなかったのです。 日本とアメリカとの比較においても、フィジカルが日本の敗因として真っ先にあげられるほど、大きなウェイトを占めていたのでしょうか? 実際、フィジカルという言葉が指しているものが、肉体的な接触プレーの技術のことではなく、身長・体重・体格・筋肉の量・足の速さ・持久力などであるとするならば、短期的にフィジカルを改善することは不可能でしょう。上記のほとんどの要素は選手をいくら鍛えても改善出来ないように思えます。根本的に修正しようとすれば、選手の総入れ替えしか手がなく、10年20年のスパンでは解決できない問題と言うことになるのではないでしょうか。 そこで、私は、国際試合の敗因にフィジカルがあげられる時は、ホントに協会関係者はそう思っているのか?という疑問を持ってしまうのです。本当の敗因は別にあり、それは、1年〜3年程度で解決できる問題ではあるが、その解決にはすぐに手が着けられないとき、フィジカルを敗因にあげるのではないか?「フィジカル」という言葉は、とりあえず、パブリックコメントとして当たり障りなく発言するときに使われる実体を持たない常套句になっているのではないかという思いが募るばかりです。 私が、フィジカルという言葉のハッキリした定義付けが日本語でなされる必要があると考えるのは上記のような思いが理由の一つです。 第2に宮本のもつフィジカルが弱いというイメージに対する疑問です。私は宮本が、肉体的な接触プレーを苦手にしているとはとても思えませんし、体格も、身体能力が優れているとされる服部や中西永輔に比べて劣っているようには見えません。ただ、先日の柏戦でファン・ソンフォンに追いつけなかったように、足が遅いのは事実です。ただ、厳密に言うならば、これも位置について、よーい、ドン!の100m走のタイムが低いと言うべきもので、サッカーのあらゆる局面で意味を持つ弱点とも思えないのですが、事実は事実です。 私が疑問に思うのは、明確な宮本の弱点としては足の速さ以外には、一般のサポーターには指摘しにくいと思われるにも関わらず、「宮本はフィジカルが弱い」という全否定的なニュアンスの言辞が安易に使用されることです。「宮本は足が速くない」というだけで事足りているように思われるのですが、ダメなのでしょうか。 仮に「足が遅い」=「フィジカルが弱い」であれば「ヘディングが下手」=「フィジカルが弱い」、「1対1に弱い」=「フィジカルが弱い」と言う表現も成り立ちうると思います。そうすると、日本にフィジカルが強い選手なんて1人もいなくなってしまうと思います。 私も含めて、多くの論者は「フィジカル」と言う言葉が持つ曖昧さを利用して、「フィジカル」の構成要素の一部分を捉えて、「フィジカル」全体を指しているように錯覚してしまっているのではないかという疑念が頭から去りません。 |