後藤氏の新著「トゥルシエとその時代」についての幾つかの意見
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 後藤氏が表題の新著をモノされた。内容は基本的にはシドニーオリンピックの観戦記がメインだが、トルシエの戦術についての意見もいくらか含んでいる。シドニーオリンピックの中村はサイドバックだったとか、私と同意見の部分もあるのだが、氏のF3論には幾つかの疑問も感じる。それを以下に書いてみよう。

 まず、第一に感じるのが、真ん中のDFの役割を意識的に無視している。F3を担うDFとして、両サイドの中田、森岡について、パスを供給する能力によってえらばれたという解釈を展開されている。それはそれで正しいと仮定しても、中央の選手の戦術的な役割について一切触れないのはどうしたことだろうか。オリンピックで、当初、松田・宮本が使われなかったことについては、自己の解釈を全く述べられていない。唐突に、松田と宮本が使えない誤算があったと言う記述が出てきて面食らうし、松田は本調子でないという伝聞が記載されるにとどまり、(にもかかわらず、別のところで負傷の後なかなか立ち直れなかったと書いてみたり、アメリカ戦には宮本投入という戦術があったと書いていたりする。)宮本について触れないのはいかにも奇妙だ。そもそも、初戦の南アフリカ戦から、松田も宮本もアップしていたことはどう解釈するのだろうか。(たしかに、松田はただ一人アップをせずに試合を見ていたのだが。)

 仮に、戦術的なパスに秀でるので宮本を使うのだと説明するならば、明らかにパス出しのタイミングと方向を見抜かれやすい松田についての説明が付かない。

 第二に一般的にF3のラインコントロールを中心的に担っていたとされる宮本、松田に付いての記述がほとんどない。オリンピック代表の強化の2年間を振り返る章で宮本の役割を記述しないのは何故なのか。カールスバーグカップで松田がチャンスを掴みとったようにみえたと記述されるのだが、なぜ、そう思うのか書かれていない。神戸での中国戦のDFは完璧だったと書かれているにも関わらず、記述内容はF3の弱点が露呈したと書いている。松田と宮本という2人のDFについての後藤氏の意見が、全く分からないのだ。

 第三に、現在のA代表はF3ではない。F3を習熟すると、フラットである必要も、三人である必要もない。とされるのだが、ここが最も分からない。

 かつて、後藤氏はJリーグで最も優れたF3をやっているのはFマリノスと述べられていたと記憶しているが(しかも何の説明もなく唐突に)、この発言との整合性はどうとるのか。

 では、現在の代表のスリーバックはなにかというと、最初から中央のストッパーが引き気味に構えているとし、相手の攻めに応じて、自由にラインを崩して守るとする。これは、スイーパーシステムではないのか。F3を習熟するとスイーパーシステムになるのか。また、ゾーンディフェンスを極めるとマンマークに行き着くという事なのか。それなら、最初からラインなど形成する必要がないではないか。

 三人である必要がないということについては、F3をまず最初に、F2からF5にディフェンスラインの人数を自由に入れ替えて見せたのは、トルシエの代表ではなく、宮本のガンバ大阪であることをご存じないのだろうか。三人で守らなくても良いことを実戦で証明して見せたのは、ガンバ大阪である。この、事実は、F3がトルシエの戦術ではなく、むしろ宮本の戦術であることを証明していると思えるのだが。

 最近は、ガンバ大阪と代表の戦術が似ていることが共通認識として定着してきた観があるが、ガンバ大阪を普段見ている者の言い分としては、代表がガンバに似ているのであって、ガンバが代表に似ているのでは断じてない。

 私は、この著作は図らずも、後藤氏の内心の葛藤が出てしまったものと思わずにいられない。どうも、文章に書いておられることと、心で思っておられることが違うように思う。特に第8章のフォーメーションを見ていると、そう感じるのだが。深読みのしすぎだろうか。

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