センター宮本という基準
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 かつて、落日を迎えかけた日本の女子バレーボール界に、稀代の名センター旧姓江上由美(現姓:丸山)という選手がいた。バレーボールの世界3大タイトルといえば、五輪、世界選手権、W杯であり、最強時代の日本女子は故山田重雄の下に世界ではじめて三大タイトルを制覇した。江上はその三大タイトル制覇の最後にぎりぎり間に合った選手であり、彼女の選手としての最高の時期は、むしろロサンゼルス五輪であった。ロサンゼルス五輪での日本女子はかつての力はなく銅メダルに終わるのだが、それでも当時の江上には「世界最高の名センター」あるいは「もしもバレーボールが個人競技なら間違いなく金メダル」という賛辞がおくられた。

 江上が活躍した時代は、東洋の魔女が回転レシーブでボールを拾った時代はとうに過ぎており、相手のスパイクをくい止めるには、まずブロックの時代だった。そして江上自身が「ブロックはセンターの勲章」というとおり、近代バレーではセンターに何よりもブロック力が求められたのである。このため、サッカーとは違い、敵とのボディコンタクトがあり得ないバレーボールでは、身長の高さはサッカーに比べてはるかに、プレーの有効性に直結する。身長差10cmは指高(まっすぐ立って腕を上に伸ばした指の先の高さ)差にすると15cm近くになり、助走を加えた最高到達点は20cmくらいの差になってしまう。ところが、江上由美の身長は175cm。ロサンゼルス五輪当時、日本女子のレギュラー6人の中では旧姓:森田貴美枝の173cmについで2番目に低かった。にもかかわらず、アメリカの故フロー・ハイマン190cmや中国の世界的なエース郎平183cm相手にも江上175cmは最も渡り合えた日本人センターだったのだ。

 バレーボールにおいて、スパイクをブロックするのに極めて重要なのは読みとタイミングだ。なぜなら、190cmの選手が最高到達点で捉えたスパイクも、力を入れるとボールの軌跡は上から下になるため、ネット上を通過するときには175cmの選手がブロックできる高さになっていることが多く、175cmの選手がジャンプのタイミングを誤らず、相手の攻撃を読むことが出来るのなら、相手のスパイクは防ぎうるのだ。江上は相手の攻撃を読む力と、ブロックの姿勢、そしてブロックするタイミングがとても優れていた。彼女は日本リーグ時代の日立の選手で、何度かブロック率No.1でブロック賞を受賞していた。当時の日本リーグでは無敵の日立の同僚には三屋祐子という身長で2cm江上を上回り、最高到達点で江上を10cm近く上回るセンターの全日本選手がいた。その三屋もブロックに関しては江上に及ばなかった。

 江上が傑出していたのは実はこれだけではない。部分情報から敵味方の全体像を正確に想像しうる「バレー頭」の持ち主だったのだ。彼女が阿部勇樹のように頻繁に首振りをしていたかどうかを、私はすでに覚えていないが、他の選手に比べたらキョロキョロあちこちに目を配らせていたような気はする。そして「後ろにも目がついてる」だの「360°の視野」というのが当時の江上の形容詞で、彼女はたとえネットに背を向けても、敵の穴を見抜いて突くことが可能だった。だからスパイクにおいても江上は高い決定率を残していたし、守備でも味方のピンチを何度も救っている。

 けれど江上には個人のプレーを上回るチームへの貢献が彼女にはあった。それが「江上由美という基準」であった。読みとタイミングが大事なブロックにおいて、いつ、どこで、飛ぶかという基準に江上がなることで、江上の状況判断力をチーム全体が共有することができ、全日本は守備力を誇ることができたのだ。江上はロサンゼルス五輪後、いっとき現役選手を退いた。そして世代交代により江上よりも身長の高い選手が全日本でも日立でもレギュラーになった。ところが、逆にブロック率は落ちてしまい、守備においても敵に穴を突かれることとなった。バレーボールという競技では高さとパワーの差はサッカーに比べて、遙かに決定的な意味を持つ。にもかかわらず、広い視野とたぐいまれな状況判断力によって江上は身長差を超越してしまったのだ。

 身長とパワーに劣る全日本女子は組織と技術で戦わざるを得ず、その最大の武器は、江上という天才の標準を組織全体が共有することだった。


 チームに基準として君臨するために、コート上で主将江上は穏やかな表情で、センターで腕をまっすぐ水平に伸ばしてチームメイトによく指示を出していた。ピッチ上の宮本は阿修羅のごとき三面六臂の異形の鬼の風情で、腕をときには振り回し、ときに檄を飛ばしているというのに、不思議と江上に似ているように私には思えるのだ。サッカーにはバレーボールと違って作戦タイムはないし、大歓声のスタジアムでは監督の指示がピッチ全体に行き渡ることもないだろう。宮本には江上以上になすべきことが多いのだ。だからピッチを出れば落ち着いた物腰で穏やかな宮本も、ピッチ上では阿修羅のごとき様相を呈するのだろうか。私が江上と宮本に感じる共通点は、「基準となるセンター」という形而上の本質なのだろう。


 宮本も江上と同じく、チームへの最大の貢献はタイミングの良い攻め上がりでも、正確なフィードなどという個人プレーではなく、守備、とりわけF3の基準となることだ。宮本という基準を得てはじめてF3は機能する。ラインの高さ、オフサイド仮想ラインの設定、相手ボールホルダーが決定的なパスを出すことが出来ないようにコンパクトフィールドを設定し、自軍が攻撃するときは、その設定を自在に解除する。


 宮本は基準である。宮本という基準がないとF3のダンスステップが踏めない選手、宮本という基準がないと正しいポジションをとれない選手が代表にもいる。リベロという言葉に「攻撃するDF」という意味を求めて、F3のCB三人を「3人が3人ともリベロ」という怪しげな概念を吹聴する人には特にトルシエジャパンの守備の実体をつぶさに見ることをお勧めしたいのだが、F3における基本動作のステップでさえ宮本がいなければいまだに全うできないシドニー五輪世代の選手がいるのだ。宮本という基準でF3を体現しようとする意思がなければ、いつでも他のDFはスイーパーシステムやマンマークに先祖帰りしてしまうのだ。この状態で3人があ・うんの呼吸で複雑な判断を同時に下すことなど、絵空事でしかない。ましてや3人が3人とも「自由人」などを志されては、始末が悪いにもほどがある。基準のないF3は成り立たないのだ。

 実際「3人が3人ともリベロ」という言葉をインタビューで使った中田浩二などは、00年の五輪代表では自己の判断でセンターの宮本よりも少し低い位置で、さらに中央に寄りすぎでしまうというポジショニングの愚を犯していた。そしてこのポジショニングの悪さを修正しようとする宮本の苦労は、哲学めいたキャッチコピーで選手を分類して批評する者には見てとることはできないだろう。00年五輪代表の日本対モロッコ戦で、中田浩二は自分のポジションをかなりセンターに寄せて、空いた左サイドには本山を手招きしてケアさせた。この後、中田浩二をベンチに下げたトルシエの交替は正しい。サイドスペースのケアをさせるくらいなら、はじめから本山ではなく別の選手が入っているはずだ。首振りという外見上の動作が、戦術理解力と状況判断力の裏打ちがないと、意味をなさないように、大きなジェスチャーでの味方への指示も、指示内容が的確でなければかえって有害である。

 その意味で、宮本という基準を失い、なかんずく、キャプテンマークを宮本からはぎ取ってしまった時点でオリンピック日本代表は敗れていたのだ。

 2002年までに日本がしなければならないこと、それは、宮本という基準の回復なのだ。

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