「前への意識」
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宮本の最近のテーマのひとつに「前への意識」があるらしい。

そのせいだろうが、宮本がラインを離れて前に出る回数は増えている。むろんこれは出場時間が短い代表戦でのことではなくガンバでの話。昨年のセカンドステージと今年のレッズ戦以降を比較した上での話である。

ただ宮本が機を見て前に上がるのは、何も最近の話ばかりではない。たとえば99年の五輪一次予選ではどの試合も一回はボールを持って前に出ていた。そして同年秋のソウルでの日韓戦でも、同じ事をしてボールをカットされピンチを招いたこともあった。そんなシーンのことをハラハラしながら見ていたのだろうか、上野山部長は「途中で取られるようなへんドリブルはしてほしくない」と言っていた記事があった。宮本が前に出るのは、なぜか無視されがちだったのだが恩師はちゃんと見ていたわけだ。ピンチのその一方ではキリン杯ボリビア戦のスルーパスも見逃されてるわけで、宮本の攻め上がりはピンチもチャンスも一般に無視される傾向にあった。

これとは逆に松田は前に上がることがやたらと注目される選手である。これは低い位置から駆け上がっていく姿が人目を引くからだろうがそのプレーの功罪を分析的に語られる事は少なく、「攻撃的」と無批判に評価されることが多い。そしてこの「攻撃力」こそが松田の長所であり、松田が宮本に優る部分であると認識する人が少なくない。

DFの「攻撃力」とはDF個人が攻め上がることばかりではないのだが、残念ながら現状では包括的な言葉はステレオタイプな使用が多く、前に攻め上がることとセットプレーでのヘディングばかりでDFの「攻撃力」は計られる傾向にある。つまり宮本の攻撃演出力は、黙殺されたままなのだ。

しかもそのDFの「攻撃力」の指標とされるヘディングや前に攻め上がるプレーも、ちゃんとリスク&コストとリターンの吟味は少なく、言った者勝ち状態だから、宮本にはずいぶん気の毒な話だと思うのだ。

さて、今年になってからガンバで宮本は前に出ることが多くなった。と言っても、出る回数が増えたのは2,3回というところだろうが。宮本が前に出るのは主にインターセプトねらいや敵のドリブルによる侵攻を制限するためのフォアチェックである。

本人は意識して取り組んでる課題らしいのだが、私はあいにくと気に入らない課題である。宮本がライン中央から離れるリスクに見合う効果を考えると、積極的に宮本が前に出ることはコストパフォーマンスに疑問がある。だからライン中央に戻れる位置まで「前に出る」のはO.K.だけどポジションの入れ替わりまで引き起こすような前への出方は容認できない。

宮本がライン中央にいることで、敵の選手は相当のプレッシャーがある。Pixyもそうそうパスは出せなくなるし、アマラオも石になる。また、宮本に仕切られることに安心してか木場のプレーもずいぶん良くなるし、都築も宮本との連携プレーでシュートをキャッチできる。逆に宮本が前に出て、ボールホルダーを追い回してしまった場合は、宮本がサイドに釣り出されてしまい、ゴール前がピンチになってしまう。宮本をサイドに釣りだしただけで、敵は得点の確率をアップさせているのだ。

周知のように宮本は99年の五輪最終予選でラインコントロールと中央からのサイドのカヴァーをこともなげに両立するという離れ業をやってのけていたが、左右のCBが抜かれたあとのカヴァーというリアクションでサイドに宮本が出ていくのと、敵に釣り出された形で宮本がサイドに出ていくのでは、話が違うのだ。敵にとって、プレーの主導権をより握れる状態なのは明らかに後者だからだ。リアクションが必ずしも悪いわけではないし、リアクションのプレイも時には主導権を握っていたりするのだ。

どうして賢い宮本が「前への意識」に、こんなにこだわるのだろう。プレーの幅を広げるのは良いことだが、前になんか出て行かなくても、宮本には十分攻撃力がある。個人技のスルーパスのみならずチーム全体に与える攻撃力の双方で。それに対する一般の評価が不十分であることが、宮本になんらかの影響があるのだろうか。だとすると、宮本に「失点の確率を高めるぐらいの前への意識は害がある」と忠告するよりも「攻め上がることだけで短絡的に攻撃的と賞賛するな」と、巷の批評者に文句を付けるべきだということになるのだろうか。そんなことを考えていたものだから、今年2001年のオールスターでの宮本に痛々しさを感じてしまった。どうして宮本が、あんな事をするのだろうか。

花相撲ゆえにリーグ戦ではできない実験を後半は集中的にやったのかもしれない。この推量が正しければJ-WESTの連勝ストップの原因だけだが、同じ事をガンバや代表でやられたら堪らない。プレーをつぶさに見れば分かるが、フォアチェック後はフォアチェック前に比べて、より危険度が増している。ラインをできるだけ維持しつつ、失点の確率を最後まで極力小さくすることが、他の追随を許さない宮本の守備の美点であったのに。「フォアチェック」、「前への意識」という言葉を、無条件に「攻撃的」と褒めそやす人にご褒美を貰いたいにしても、代償にするものがあまりに大きいと思うのだ。

フォアチェックを多用するということはピンチを招く回数が増えるということ。そうすると、やがて宮本はDFリーダーとしての信頼を失ってしまいかねない。そして味方の信頼を失えば、DFリーダーとして味方を統率することに支障が出てくるし、宮本が仕切るチームもポジションバランスを欠くことになってしまう。宮本に対するカヴァーを都築や木場などが意識しはじめたそのときに後悔しても遅いのではないか?

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