school life*** say the word***
say the word,and lead me there for You
部活後。
ロッカーにちょっとためこんじゃった汚れものを鞄の中に押し込めていたら、先に準備を終えていた手塚が聴いてくる。
「今年は不二も英検受けるんだろう?」
「うん。でも3級だよ?キミからみたら3級なんて簡単すぎてびっくりしちゃうんだろうなぁ…」
「俺だって緊張くらいしたぞ?面接があるからな」
「うそばっか」
キミが緊張してるところなんて、そうそうみたことないよ。
ボクが不審そうに眺めていると、「なんだよ」とちょっと慌てるキミがいる。
「落ちたりしたら、ちょっと恥ずかしいから一発合格したいよね。英二になんていわれるか、わかったもんじゃないもの」
「あいつも、受けろっていったんだがな…」
「仕方ないでしょ?パスもありなんだから」
「…時間があるなら、対策教えようか?オレは1度受けてるし、ああいうのは結構パターンがあるからな」
「時間って…いいの?ボクとしては嬉しいけど…手塚のほうが今、時間ないんじゃない?すごく忙しいでしょ?」
手塚の『学校・部活⇔自宅』の往復生活。元々そうだったけど、最近は行事が重なっていて、益々拍車をかけてる。
そこまでスクールライフを満喫することないんじゃない?過労死寸前のサラリーマンみたいだよ。
「ん…次の日曜の夜しか空きがないんだが…それでもいいなら…」
ボクは言われた途端、ちょっとガラにもなく固まった。ジャージを詰め込んでいた手が自然と止まってしまう。
ちょっと戸惑って、手塚をみると、彼はデスクに座って、ぱらぱらと部活日誌を捲りながら言っていた。特に他意はないみたいだ。
今年の夏を越えて、彼はまた背が伸びた。もてあまし気味の長い足が、デスクの前からはみだしている。
ボクも少しは伸びたけれど、元々の差はどうやっても埋まらない。
「今度の、日曜の夜?」
「ああ、まずいか?昼間はちょっと生徒会の用事ででないとならないからな。でも夕方…夜だったら確実に空いてると思う」
「手塚…キミ、日曜日も学校にきてるの?」
「この時期は仕方がないさ。修学旅行のパンフレットの関係で見本誌っていうか…ゲラ刷りっていうのか?あれがくるんだ」
いつもって訳じゃない!って、そんな顔いっぱいで抵抗しても無駄だよ。もう。
「うん。いいよ。でもね、その日ってうちは皆、旅行にいっていないんだ。だから、ボクしかいないから、晩御飯とかないけどいい?」
「ああ、なんか抵当にコンビニから買っていくさ。それでもいいだろ?」
「ん。たまにはいいよ。じゃ、お願いしちゃおうかな」
その日はそれで終わり。誰もいない部室で、軽くキスをして、そのまま僕達は帰った。
ボクは平静ではなかったけれど、多分、彼はそうじゃない。
多分、そうじゃない。
そうして今、彼はボクの部屋でうたた寝している。
夜7時、ちょっと前にやってきた手塚はたくさんのパンフと、英検のテキスト、辞書、そして先生に貰ったというストロベリーコーンズのピザを2枚も持って現れた。
ボクはイエローの薄手のルームウェアを着ていたけど、手塚は当然ながら制服できていた。
以前置いていったTシャツを渡すと、彼はすぐにそれに着替えた。ハンガーにかけるために、受け取った制服の上着から微かに香るのは煙草の臭い。
手塚の服から香るのはちょっと不釣合いな感じがした。打ち合わせ中に、先生や業者の人が吸っていたらしい。
用意していたLOVE&BOBYをペットボトルごと渡し、2人しかいないリビングでシチリアーノのピザを食べて…。
トッピングのオリーブの実を手塚が器用に箱の中に弾きだすのをみて、笑いを堪えていた。はっきりしない食感が嫌いなんだ、って眼鏡の奥で照れる彼。
それからコーヒーを飲んで…。
もう「目的のこと」を始めた時は8時をとっくに過ぎていた。なんかもう予定通りって感じ。
簡単な自己紹介の英文をつくると、それを何度か手塚先生に聞いて貰ったり…僕達はとても真面目に予定をこなしていた。
「これだけは聴け」っていう、手塚がもってきた英検用のヒアリングCDをパソコンに入れて聴いていた。
そうしたら何度聴いても一箇所だけつっかかる部分があった。何度も繰り返してみたけれどやっぱりダメで…振り返る。助けて、先生。
「ねえ、手塚先生。ごめん、ここやっぱり判らないんだけど……」
そこにある、彼の姿にちょっと呆然とする。
ねえ、手塚…これってどういうこと?
ついさっきまで、ベッドに座って僕と一緒に聞いていたくせに…!
振り返ってみれば、手塚先生はベッドに座ったまま、上手に船をこいでいた。
「手塚」
もう一度、名前を呼ぶ。
「国光?」
…起きないや。ダメだ、これ。
ボクはCDの音を切ると、静かにパソコンの電源を落とした。
仕方ないよね?って思うべきなんだろうね?ボクは。だけど、ちょっと不満だよ。キミの、その気持ちって…。
なんか、やっぱりかあ…って感じ。
少しずつ傾いでくる手塚の身体を支えながら、ベッドに横にさせてあげよう…と思ったら、ちょっと手塚の上背はありすぎたみたいだ。
半分抱え込まれた格好になって僕の左腕は、すっかり眠り込んだ手塚の下敷きになった。これじゃ、困るって…。
起こさないように、少しずつ腕を抜き取ろうと必死になる。
ちょっと強引にひくと、手塚の神経質そうにみえる眉が動くから、もうその度にこっちは固まる。
抱き込まれた腕が、なんとか解放されたときは既に時計は11時に近くなっていた。
疲れてる事は、そりゃあ、判ってたけれど、それでも、この時に会えることが…きっかけは何だったとしても、やっぱり嬉しかったりしたのになぁ。
なんか切ないね。どうしてやろうか…これ…。
眼鏡をかけたままで、ベッドカバーに片頬をつけて、ひどく器用な姿勢で眠る手塚の顔を、この時とばかりにじっと見つめてみる。
ボールを追う時の強い視線。
綺麗な流線を描くボレーを打つ腕。そのラケットを握る手。すべてが、今、ボクの前に無防備に投げ出されている。
ボク1人の慣れた空気に、慣れた室内に、満ちてくる温度。
それは間違いなく、ボク1人のものだけじゃなくて、目の前で1人で夢の中に入ってる彼のものだった。
この部屋の中、一杯に手塚の体温が満ちているのが判る。
ボクとは違う、香り。
ボクだけがいる時とは違う暖かさと、匂い。ランプシェードの光さえ、いつもと違って見える。
ねえ…手塚。キミが先にいいだしたんだよ?覚えてる?
手塚の規則正しい寝息を聞きながら、ボクはどれくらいの間、そうしていたのだろうか。
不意に聞こえた時計のアラームに、肩が思わず震えてしまった。いつもなら聞こえることのない、15分ごとにチャイムを鳴らすリビングの時計。
その音が、静か過ぎる家の中で、ことさら大きく耳に響いた気がした。
11時15分か…。.
こうしているのも、タイムリミットかな。
このまま寝ている手塚をみつめていたい気もするけれど、それじゃあ、今日、手塚に会っている意味がなくなってしまう。
乱れた前髪を撫でつけながら、仕方なし声をかける。
「手塚、起きて。そのまま寝ていたら12時になっちゃうよ?」
「…ん……」
そっと手塚の左肩を揺すってみる。ちょっとだけ、ずれてしまった眼鏡の奥で、瞼がかすかに痙攣している。
「手塚?いいの?明日になっちゃうよ?」
不意打ちみたいに唐突に眼を開いた。
いきなりがバッと起き上がるから、ボクは驚いて後ろに尻餅をついてしまう。
「わっ!ちょっと突然起きないでよーびっくりした」
「あ…、すまん」
一瞬、自分がどういう立場になっているのか判らないらしい。
茫然としている手塚はちょっとずれた眼鏡をかけ直しながら、頭の中で体制を立て直している。
「オレは寝てたのか…?」
「うん…。たぶん1時間くらいじゃないかな?」
「すまない」
「教えてもらおうと思って、振り返ったら傾いてるんだもの。ベットに横にするの、大変だったよ」
「悪かった」
「だからさ、昨日も言ったじゃない?キミは疲れてるよって。少しは休んでよ。これじゃ、なんかこっちが心配になる」
「それほど気にはしていなかったんだが…」
「疲れてるんだって認めなさい」
性懲りもなく、平気な顔をしたがる手塚の眉間にびし!と指を差してやる。
あれだけ爆睡しておいて、疲れていないなんていわせないよ?
「判った。気をつける。あーところで…不二。今、何時なんだ?」
「ん。11時15分過ぎたところだと思うよ」
「え?そんな時間か!まずい!後10分で終電がでる!」
時間を聞いた途端、手塚は慌てて立ち上がると、鞄に持ってきた荷物を詰め始めた。刷りたてインクの匂いがするパンフレットや、ボクには判らない洋書などを
無造作に鞄の中に叩き込んでいる。いつもの手塚らしくない慌て方に、ボクは「あーあー、やっぱ負けたかぁー」と思ってしまう。
言った人ほど、気にしていないってね。そんなことになっちゃう結末が、ちらちらしてきたじゃない?
「泊まって行けばいいのに」
ボクは相当、手塚に甘い。本当に大サービスな、最後の言葉を口にしてみた。これでダメならもう立派な天然モノだよ。
いくらなんでも、それはないだろう?と思っていたら、それでも手塚はあっさりと「いや」と首をふってしまった。
「明日が月曜じゃなければ泊まらせて貰いたいくらいだが…明日から学校だからな。それはお互いまずいだろう?」
「別に、いいじゃない?月曜だってなんだって…」
最後の駄目押ししてやったっていうのに、そっちも最後の駄目押しする気なの?
「ダメだろう?不二だって、週明けからキツイだろう?お前のほうが大切だから、やっぱり今日は大人しく帰るよ」
「ふうーん。オトナだね、手塚」
慌てて部屋から出て行く手塚を、見送って玄関まで行く。
「送る?」
「まさか。いいよ。なんかバタバタしてしまって、すまなかった」
「別にいいよ。気にしないで」
どうしようかな。
シューズを履いている手塚の背中をみながら、喉の途中で痞えたままの言葉をいってしまおうか、考える。
別にいってもいいんだよね。本当なら、ボクからいうのが普通ってものだろうけれど、ボクはいいたくて、いいたくなかった。
でもいってしまおうかな。どうしようかな?
ボクが自分の中にある、微かな羞恥とプライドを天秤にして、床に座る。
そのまま、手塚の影が揺れる床に視線を落とした途端、不意打ちのように手塚が口付けてきた。
救い上げられた唇は、やっぱり温かくて…それは、去年の夏に、ここで与えられたものと同じなようで、でもやっぱり少し違う感触だった。
その手塚の温かみを受けとめながら、ボクは『ああ、もういいや…』と思った。
手塚は本当に気がついていないんだ。
彼は明日が自分の誕生日だってことにすら、気づいていないんだろう…。
そうじゃなければ、ここまでお膳立てしてあるっていうのに、「帰るよ」っていえるキミの気がしれないもの。
そこまでキミが忍耐強くないことは、ボクはもう身に染みて知ってる。
ってことは、つまりキミは今、こうしている時間にさえもボクがどんな気持ちでキミのことを思っているか……判っていないんだ。
つまりそういうこと。
去年の今よりもこだわりが強かったのはボクの方で、ボクはその思いの分だけ、去年とは違っているんだろう。
仕方ないことだよね。
確かに変わったもの。去年より前のボクには戻らない。キミのことを知らなかった頃のボクには戻れない。
「じゃ、明日、また学校で…」
今までボクに口付けていた唇で、そんなバカなことだけあっさりいって、帰っていこうとする。
ねえ、手塚。これがテニスの試合ならキミはどうしたいの?勝つ気はあるの?ないの?
これじゃあ、まるで戦略のないストロークに翻弄されて、ただ体力だけを消耗させられたワンサイドゲームみたいだ。
ボクは勝手に左右に振り回されて、疲れただけ。
「ね、手塚…」
「ん?」
「キミが今夜、ここで会おうって、いってくれた時……正直、驚いたけど…嬉しかった。……結果は期待通りじゃなかったけどね」
「すまなかったな」
教えている途中で寝てしまったことに対して、謝っているのだろう。
なんて的外れな、キミ。
あの正確無比なスマッシュ打つくらいに、きちんと的に当ててくれればいいのに。
そんなところまで、許してしまっているボクも大概、キミに毒されてるよね。
「明日は大きな紙袋もってきたほうがいいよ」
「?…なんでだ?」
やっぱりね。ほら、不思議そうな顔で見ない、見ない。だって明日になれば自然判ることなんだから。
校門前から部室からずらずらと、アイドルのサイン会みたいに女子が並んでるに決まってる。毎年そうなんだからね。
「…ねえ、もう30分過ぎてるけどいいのかい?」
「ああ。オヤスミ」
「ん。気をつけてね」
何か聞きたそうな顔を手塚はしていたけれど、問う隙を与えなかった。
諦めたのだろう手塚がそのまま走っていくのを見送った。
ホント、思い通りの毎日なんてないよ。キミと会ってから、ボクの周りには意外なことだらけだ。
手塚がいなくなってしまった家の中には、たった1人だけの足音が響く。
それは、なんて静かな夜なんだろうか…。
玄関から階段をあがってボクの部屋に行く途中に1度リビングのチャイムが鳴った。
後15分でちょっとだけ期待してた「明日」がやってくる。
でも、たった1人で迎える明日になったちゃったか…。
自室に戻ってみれば、それまで満ちていた空気がまだちゃんと気配を残している。
その残滓は確かにまだボクの部屋の中に存在していて、手塚のいた感覚をリアルに感じさせた。ボク1人のものだけじゃなかった空気だ。
その暖かみが、急速に薄れていくのはちょっと寂しいよ。
人が帰った後の部屋の温度の低下が辛いなんて、少し前までは知らなかったことだったのに……。
そんな余計なことだけをボクに教えてくれるなんて…
「手塚ってなんであんなに鈍いんだろう…」
ベッドサイドに座ると、今までそこにあった温もりを背に感じながら、何もない床にむかって、つい溜息をついてしまう。
ちょっとこんなのって、情けないね。
自分から、自分の誕生日の「前の晩」に行くっていったくせに。
そういって誘ったくせに…。
その言葉にボクがなんの反応もしないはずがないのに。
そんなことすら…自分の誕生日なんてことすら、覚えていない…何処か大雑把な手塚に、振り回されるなんて、なんてありえない話なんだろう。
今日はボクにとっては特別な日になっていたのに、これじゃあ…
「バカみたいだね…」
「すまない」
その声に、ボクは顔をあげることはしなかった。
だって判ってる。この声を、この気配をボクが間違えるはずがない。
でも顔はあげなかった。
「不二…。何か言いたいことがあるだろう?」
そうだよ。あるに決まっている。
「いってくれないか?」
簡単な言葉。誰でも知ってる、ありふれた言葉。今時、3歳だって知ってそうな言葉だよ。
でもボクにとってはとても重要で、大切な言葉になったんだ。
「今年一番最初に不二からもう聴けたら、それでいいんだ」
「今、何時……?」
「11時55分だ」
「すごい…よく間にあったね」
「部活で走っていて良かったな…。こんなところで役立つとは…」
「そうみたいだね」
これでやっとボクが誰よりも先に、キミに言えるんだよ。
去年は一緒にいたばかりに女の子の群れに囲まれてイヤな思いをしたけど、ここにはもうボクとキミしか、いない。
ボクたち2人だけだ。なんて静かな、なんて幸せな夜なんだろう。
リビングの時計が、ことさら耳に残るように0時のメロディを奏で始める。鳴り響く音楽は「パッヘルベルのカノン」。
いつも聞きなれている曲なのに慎ましいファンファーレみたいに聞こえる。
ああ、やっときたね。
この瞬間こそが、ボクがずっと独占したいと思っていた瞬間なんだ。
ありふれた言葉でもいいでしょう?だけど、これが一番大切な言葉。
流れる調べを聞きながら、ボクは手塚の耳元にそっと唇を寄せて、囁いた。その言葉を口にした途端、後に続くはずだった言葉を、端から全て手塚に飲み込まれてしまった。
さっきまで1人の温もりを抱いていたベッド。
そこに2人して倒れこめば、後はもうどうしようもない。
ただ、2人でいたいだけだ。気配しか感じられなかった気配を、もっと確かなものにしようよ。
その為の、昨日だっただろう?ねえ。その為の今日の、あの時間なんだよ……
「手塚、誕生日おめでとう」
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