pray final~ BACK DOOR


約束は違えなかった。僕は最後まで目は逸らさなかった。
…でも何も言葉に出来なかった。
キミの、その潔さがまるで突き刺さるように、胸が痛むけれど…。
だけど、そんなこと、絶対、口になんてしてやれない。

絶対にいってなんてやらない。






病院に寄った後の帰り道。揺れる電車の中で、僕達は何も話さなかった。目もあわせなかった。
治療に時間がかかった為に、遅くなってしまった電車の中には人気もない。
僕と手塚だけだった。
僕達は並んで座ったまま、ただじっと前を向いていた。

残酷なまま続く、この時間の延長を僕はどうしていいのか…。
試合中、ずっと張り詰めた気を緩め、隣でうつむいている手塚。
彼の体温が左肩越しに伝わってくる。
背もたれに身体を預け、目を閉じている手塚の横顔をそっと盗み見た。

今は綺麗に汗のひいた額。
数時間前まで、この額は愚かなほど純粋な汗に濡れていた…。

すべてが終わった時、仰いだ空があまりにも蒼くて…
僕は全ての言葉を失った。
悲しいくらいに清廉な瞳で、ベンチに戻ってきたキミ。
最後まで自分の立場を捨てない手塚。
その、切らした息が少しずつ元に戻っていく、その胸の隆起を見つめながら…
僕が何を思っていたのかなんて…キミは一生知らないだろう。

不意に身体の奥から得体の知れない感情がこみ上げて、僕はつい笑っていた。
どうして?と、いう当たり前の疑問が頭の中をいっぱいにして溢れてくる。
そんな判っていたはずの事実を今更、問いかけようとしている自分が滑稽に思えて…。

この人は…どうしてここまで自分を追い詰めるのかな?
その全身につけた錘の重さに、どうして慣れてしまったのかな?
その慣れからどうして自分を解放したいと思わないのかな?

そう思ったら、不意に笑いがこみ上げてきたんだ。

「不二?」

声もなく、笑いだした僕に、気がつくと手塚がこちらを見ていた。
いつもみるキミとあまり変わらない瞳をしてるね。

「ああ…ごめんね。つい…。気にしないで、手塚」

それ以上は聞こうとしない手塚から目を背け、僕はただ窓の向こうに流れる夜空を見つめた。

あの瞬間。
キミの手から放たれた、最後のボールが永遠に消えた瞬間の青空があまりに眩しくて…
今、この夜の闇の中でも目を閉じれば…今のことのように思い出せてしまう。
ボクの脳裏に…あまりにも青くて、眩しさだけがストロボのように焼きついてる。
あの光はきっといつまでも僕を残酷な気分にさせるだろう。

このpain。
このreal。

握みかけた栄光っていうものは、こんなにもあっさりと掌から零れ落ちていく。
全ての努力が必ず報われるものじゃないっていうことを…
どうしてキミが知らなきゃならないの?


「手塚は後悔していないの?」

「ああ…」

「そう」

自分でも驚く位に平坦な、かすれた声音だと思った。
自分の声じゃないように響いて、僕はちょっと驚いてしまう。

「不二はどう思った?」

「バカみたいって思ったよ」

「はっきり言うな」

「手塚が言って欲しいと思っているから、言うんだよ」

手塚の瞳が少し揺らぐのを僕は見逃さなかった。
僕達は、この時、初めて真っ直ぐにお互いの目を見つめた。
こうして見つめれば判るよ。キミが確かに後悔していないことも…
無鉄砲な行為だったと判っていることも…
それでもやっぱり後悔はしていないんだろうことも何もかも…全部、判る。
だから、僕はもう何も言わない。
僕は僕のやり方があって、キミにはキミのやり方がある。
僕はキミのように、自分の未来を誰かの為に切り取るつもりなんて、さらさらないけれど…
僕が認めてしまったキミは、そういう手塚だったんだから…仕方ない。
自分のことより、全体を優先するなんてバカなキミ。
だから、僕はキミが望む通りにしようと思っている。大丈夫。
僕は痛みを振り切るように、笑って見せた。
キミに言えるような綺麗な言葉がどうしても思い浮かばない。
この胸の中にある言葉は裏腹なものだから。
だから、キミを正面から見つめることが出来るまで、キミをみないと決めていた。
そして、見つめるときには微笑もうと決めていた。
だから、こうして笑うよ。


「本当に仕方がない人だよね…」


ねえ…手塚…。
僕はちゃんと笑えているかな?


誰もいない車内に、線路の振動だけが鼓動のように響く。

手塚はただじっと僕を見つめた。それから…ゆっくりと1度だけ瞬きをすると、固定されていない右手で
そっと僕の頬に触れてくる。グリップを握る、その擦れた親指の腹が、唇の端を辿る。
微笑んでいるはずの唇が震えているのが、手塚の指に伝わる、この震えを…。
何度も強張った頬を暖めるように触れてくる。

「…そんなに怒らないでくれ」

そういって、困ったように、それでもちゃんと微笑んだのは手塚のほうだった。
なんて、なんて強いキミ。
僕は怒りを押さえるのが精一杯だったのに…。


「ひとつだけ、聞いてもいい?」

「ん」

「…悔しいよね?」

「当然だろう?」


間髪いれずに答えた手塚に、僕は右手を握り締めた。痛いかもしれない。
だけど、僕はその手を離せなかった。それはキミが今日、ここで初めてみせた「自分自身」の言葉だったから…。
誰にもみせない姿だった。

もう充分だよ、手塚。
キミの傷ついた腕が、背中がここにあって…
誰にも聞かせない声や気持ちがここにあって…僕を特別な気持ちにする。
誰にも言わないキミの心の中に、1つだけある扉。
そこを開いて、僕にだけもっと、全て吐き出してくれればいい。
僕はその痛みをこの胸の、ここに抱えていくから…。
キミの後悔も、悔しさも、衝動も全て。

キミの荷物なんて、一緒には持っていけない。
キミは自分の荷物を自分で支えていこうとする。
僕達は所詮別々の人間だと判っていても、捨てられない感情がある。暴きたい衝動がある。
だからね、僕はキミに悪魔のように夜毎に囁いてあげる。
胸の奥にある、心を隠したdoorをキミに知られないように、密かに叩いていくよ。
だって、律儀なキミなら条件反射でつい扉を開けてしまうだろ?
僕はその僅かな隙を逃さないように滑り込むよ。
もしキミの邪魔をする扉があるなら、傷ついた手で何度でも割っていこう。
傷つくことを恐がるほど、僕達は大人じゃない。
バカみたいに何度も同じ怪我を繰り返すかもしれないけれど…

いつか傷は治る。

いつか怪我は治る。そうでしょう?


「すまないな…」

「手塚が認めた結果なら仕方がないよ」

僕は誰もいないのをいい事に、そっと手塚の頭を胸に抱えてみた。
熱をもった肩に触れると、泣きたくなるけれど、僕はキミの前では絶対に泣かない。
僕が抱えるには、キミはちょっとおっきすぎる。
だけど、仕方のない人だからね。
そう。
今なら、心からそう言える。

なんて仕方のない人だろうって…。


「ちょっと、この体勢は厳しいな」

「贅沢いわない。滅多に敗者にならないキミが泣くのを慰めてあげてるんだから」

「それは助かる」

「どういたしまして」

胸に触れた手塚の頬が、くす、と笑う。絶対に泣かないキミ。
手塚の髪を撫で付けながら、僕は祈るように目を閉じる。

きっと僕は皆と違って、キミのありがたいまでの愛校心に共感することはできない。
だって僕にとってはそれよりもずっと大切なものがあるから…。
だけど、それがキミの望む勝利なら、勝ってみせるよ。

だからキミが望むように、一緒に勝ち続けていこう。

キミの望むように…

一緒に歩けるように。

祈っているよ。




END


<back door>…裏口、隠れた入口。内緒の扉