灯りを消した部室。
鍵もかけてある。
何回か、ノックされたり…人の気配がしたけれど、僕は眠るように息を殺してる。
ただ1人で座って、彼が帰ってくるのを待っていた。

バレンタインディなんて、どうしてこんなに定着してるのかな?
渡す人、貰う人。渡さない人、貰わない人。いろいろいろいろ。
でも、貰って嬉しくないこともない。貰わないよりは、ずっといい。
でも今日は正直めんどくさい。
貰うけれど…僕はありがたいことにたくさん頂けたけどね。
去年までは素直に「ありがとう」って、ただ貰っていた。だけど、今年はどうしてかな。
1つ貰うたびに嫌な気分。
色々な気持ちの重さには違いがある。軽い。重い。色々。
だけど、女の子が1人、綺麗なラッピングの箱をくれるたびに「まいったな」って思ってた。
「ありがと」っていうたびに、渡される箱に指が触れるたびに、そのたびに別な人の顔が
浮かんでくる。何回も何度でも。
やっぱりさ、これは罪悪感っていうヤツな訳かな?
誰に?
…なんて、1人しかいないけどさ。


僕は手持ち無沙汰で携帯をみていた。
外はもうとっくに暗くっていてて、部員達も皆、帰ってしまっていた。
面倒くさくて、投げ出した足元には頂いた『気持ち』がいっぱいいっぱいの紙袋が2つ。
これを持って帰るのかぁ…
不意に携帯が鳴る。
暗闇で、ラズベリーのライトが点滅する。なんとなく出難くて、みつめていると、7回鳴って
とぎれた。
誰からかなんて、見なくても判ってる。
扉をみていると、すぐに鍵穴がまわり、予想していた通りの彼が現れた。

「すまん。遅くなったな」

こんな日だっていうのに、あの手塚が『手ぶら』で、いつも通りの姿で部室に入ってくる。
手には何もない。本当に学生鞄しかもっていなかった。
『今年は1つも貰わない』そう宣言していたから、そりゃ驚きはしかったけれど…
本当に貰わなかったんだね。
テニスコートのネット脇に群がっていた大群の、かなりのパーセントが君目当てだったこと
くらい知ってる。

「ホントに貰わなかったんだ…。よく貰わないで、戻ってこれたね」
「全部、断ったからな。ひとつ貰うとなし崩しになるだろう?」
「そりゃあ、そうだけど…」
「しかし断るのも、なかなか時間がかかるものなんだな」
「あれだけいればねえ」
「これが不二の今年の収穫か?相変わらずだな」

僕の足元にある紙袋を見ながら、いつも通りの君が笑う。いや、これは予想以上に居心地が
悪いもんだね。
まいったな。

「ね、どうやって断ったのさ?」
「ん。そのままに。もう貰える立場じゃなくなったから、貰えないといった」
「はあっ?!」
「…なんだ?」
「まって!待って、手塚、そんなこと言ったの?!」
「ああ。それが理由だからな」

ああああ。
そこまではさすがに僕も予想していなかったよ。マジで?本気でいっちゃったの?!君。
それは今頃、すごいことになっているんだろうな、女の子たち…。
だって、それって事実上の…いわゆる付き合っている人がいるっていう宣言じゃないか。
あの手塚が…。

「明日、学校に来るのが楽しみだよ…」
「俺の恋人が誰かって話で大騒ぎになるかな」
「判っててやってるんだから…」
「否定しない。本当のことだ。さ、もう帰ろう」

手塚が僕の紙袋を1つ、持とうとする。

「あ、手塚。それは駄目」
「どうした?」
「僕が貰ったものだから、僕が持つよ」
「これを2つと、テニスバックも一緒にもつのはちょっと無理だろう?」
「いや、でも…」
「オレにも持たせろ。不二に、これをくれた人へのささやかな謝罪だ」
「は?」
「彼らには申し訳ないが、貰うだけで気持ちには応えさせる気はないからな。無駄なことを
させてすまないな、ってことだ」
「な」

なにいってるの、って言わなきゃならないところを、軽くキスされて誤魔化される。
どんどんあしらい方がうまくなる君に強引に紙袋ごと抱えられた気分だ。
なんだよ、それって…もう。
手塚に1つ持ってもらい、2人でバス停に向かう。
なんだか気恥ずかしいまま、2人して無言で歩く。何か言わないと駄目な気がするけれど。
バスがくるまで、まだ少し時間が空いていて僕達は、夜空のしたでただ黙って並んでた。
やっぱり手塚は欲しかったのかな。
僕はどうもこういうのは女の子から貰うものだっていう意識があるから…だから手塚が
「今年は貰わない」って言ったとき、とても驚いた。
だって貰っておけばいいじゃない?返すことは無理だけど…。あれだけいたら、無理なこと
なんて渡すほうだって判りきってるじゃない?

「僕も貰わないほうがよかったかな?」
「ん?」
「いや…なんかさ…気になるかなーって」
「誰が?」
「いやその、君がその、そんなにひとつも貰ってないのにね。僕だけ、こんなに貰ってさ」
「別にいいじゃないか。不二は貰っても使い道があるからいいが…オレはどうにもならん。
ああいうものは食べるにも限界がある」
「まあね…」

行き先の違うバスのライトが僕たちを照らして、とまらずに過ぎていく。
パァァーン…っていうバスのクラクションが空に響くのが、やけに大きく感じた。
どうせ廻りに誰がいる訳じゃないし…と自分に納得させて思い切って確認。

「…もしかして、欲しかった?」

手塚は眼鏡の奥で、僕に判るだけの驚き方をした。そんなことを僕がちょっとでも気に
していたと思わなかったみたいだ。

「…?いや。これは女の子のイベントだろう?」
「そうだけどさ…だけどさ、こういう…ありきたりだったイベントごとすら僕の存在でねじ曲がっ
たみたいで、ちょっと居心地悪いよ」

自分ではとても勇気をもっていったつもりだよ。
だってホントのことだから。
去年まで手塚が僕よりチョコレートを貰いまくっていたこと位、知っている。誕生日だって。
色々と、イベントごとに騒ぎがある。でも去年から君がことごとく、それらを避けてきたのを
みていて、ずっと気になってた。これで、よかったのかな?って…。

手塚は手にしたぎゅうぎゅうチョコの入った紙袋に目をやって、黙った。そして、僕の持って
いた、もう1つの紙袋をも取り上げた。

「そんなことをいわれるとオレは調子にのるぞ?」
「え?」
「だってそうだろう?そんなに俺を好きなのか?と思えてくる。この全部をくれた数の誰より
俺のことを選んでいるって思えるが…」
「手塚っ…」

冗談でもいってるみたいな言い方してる。
だけど、彼の顔はとても真面目で誤魔化したいけど、どうしても笑顔がつくれない。

「そんなことは気にすることはない。『彼女』がいるか、どうかなんて…俺にとって大事なことは
そんなことじゃない。俺にとって重要なのは、それを不二が気にしないかどうか、ってことだ」
「そうかな」
「そうだ。不二は俺でよかったか?付き合っているのが、誰でもなくて…女じゃなくて…俺で
よかったか?」

露骨にそう言われ、慌てて周囲をみる。

「びっくりした」
「しかし、そういう意味なんだろう?」
「そう、だけど…」
「じゃ、気にしないでくれ。それを気にしないでいてくれることが俺には一番大切だから。
俺はお前が好きだ。他にはなんの理由もない。だから、そんなことは気にしないでくれ」

そういって、手塚は照れたように笑った。
気持ちの重さには違いがある。軽い。重い。色々。僕たちも他とは違う。色々。
でも気にしないでいるというなら、君がいうなら、やっぱりそれでいいのかな。
だって重要なのは君がどうおもっているかってことで…
それはやっぱりいわれたことと、同じ事だよね。

「バスがきたぞ」

遠くからライトが近づいてくるのがみえる。カウントダウンのような距離。

「ね、手塚。来年のバレンタインにね、花をあげていい?」
「花?」
「うん。その時に君に一番あげたいと思う花をあげる。君は花なんて貰ってくれる?なんか
人にあげたい気分っていうのが判った感じなんだ。不思議だね」
「なんだ。今年はくれないのか?」
「今年は期限切れ。来年ね」
「妙なバレンタインだな。来年の約束がプレゼントか」
「そうだ。近いうちに姉さんの焼いたチョコレートケーキを食べにおいでよ」
「ああ」
「手塚にも責任とってもらわないとね」
「せっかく必死に断ったのに」
「ふふ…だって僕は君みたいなチャレンジャーじゃないからね。明日、せいぜい頑張ってね」
「なんだ、隣にいないのか?」
「冗談でしょ」

途中まで同じバス。僕たちはタラップを上る。
数人しか乗っていないバスの一番後ろの座席に座った。足元に紙袋を並べて置いてくれた。
ずっと持ってくれていた右手を握ると、手塚の瞳が優しく瞬く。
暗闇でも確かな暖かさだった。
すべて確かなことなんて何もないけど、今の僕に大切なことは君が教えてくれた。
だけど、僕は君のように何も誓えるものはない。それでも精一杯のなにかを返せるように…。

来年。贈る花を決めた。
僕が君に感じたことはもうそれが全てだから。
だから赤い花をあげよう。君に似合う真っ赤な薔薇をあげたい。
真っ赤な、真っ赤な薔薇を1本だけ、あげる。

心をこめて渡せる1年を過ごせるように。

ありがとう、って渡せるように。