すくーるらいふ3時限後
「んじゃ不二みててね」
昼休みにはあと一歩足りないところで、ついに耐えかねた英二がコンビ二に突進していった。
特に答えないうちに、ぶんぶんと手を振り回しながら、英二はひょいと窓枠を飛び越える。俊敏な体が跳ねるように校庭を左に走っていく
後姿を眺めながら、つい笑ってしまう。
1階の非常階段に面した窓は、校外への脱出経路としてはノーチェックな場所だから、大して人目を気にすることも
ないし…。せいぜい職員室から購買部にでも行く生徒がたまにいるかな?
まあ、一応授業中じゃないにしても、コンビニに行くのは許可されていない。けれど、きちんと守る奴もそういないのが校則ってものだろう?
「ね?手塚」
「あいつ…また逃げ出したのか…」
ふりむくと、テニス部の部活用に使用しているノートを片手に、やっぱり手塚がいた。なんか君、気配っていうか、そういうの感じるんだよね。
足音とかさ。
苦々しい顔の、手塚の視線の先にはもう米粒になってしまった英二がいるはずだ。
「いいじゃない?別に誰もみてないよ」
「お前はみてただろ?」
「ん?僕は桜をみてただけだけど?」
君の舌打ちが聞こえてくる。
今年は随分と早めに咲き始めた桜が、校庭にぽつぽつと並んでいる。緑の多い学校だから、こうした季節も感じとりやすい。
「職員室?」
「ん…竜崎先生とちょっと打ち合わせだ」
「そう。もうすぐだもんね」
「そうだな…」
「この桜、新入生の入学式まで持つのかなぁ…」
「散り際になるかもな。後2週間はあるだろう?」
「んーもったいない!入学式には桜がなきゃ駄目だよね。春って、気分にならないなぁ」
手塚は『そうなのか??』って顔をしてるけど、特には追求してこない。
もうすぐ新入生が入ってきて、テニス部はまた騒がしくなってくる。一癖もふた癖もある奴らが揃って、これがまた更に面白みを増すと
いいんだけれど…退屈を払拭するような、ね。
「新入生に面白そうな奴がいるといいね」
「お前の闘争心を煽るような奴はそういないだろう?」
「君が本気を出せる相手よりはいると思うよ?」
眼鏡の奥から、いつも感情をみせないって言われる黒い瞳が瞬く。
別に僕は、嘘を言ってはいないよ、手塚。ああ、早く君の肘が治ればいいのに。そうすれば僕の、この退屈も少しは和らぐのに…。
「お前はそんなに易しい奴じゃないだろう?」
「…ああ…最後の1年が始まるんだなぁ」
返答をはぐらかすと、手塚は露骨に眉を寄せた。君、その癖、直した方がいいと思うよ。
それだから顧問の先生とかに間違えられるんだから…。
僕はそんなことには答えないよ。誰にも何もみせない。何も教えない。自分の事は誰にも見せない。
たとえばずっと僕達を見続けている乾でさえも、本当の僕をデータブックに載せられないように、僕は僕にも教えない。たとえそれが…
「ねえ…手塚。あっちの校庭にある桜の話って、しってる?」
「は?どの木のことだ?」
「ほら、あっちの校庭から少し外れた…向こうの木だよ。君、呼び出されたりしてるだろ?」
手塚の肩を窓から右手の方に、そっと押して傾けてやる。
素直に向こうをむいた手塚の背中を眺めながら、笑う。
「さーんきゅ♪」
突然、窓枠越しにカップラーメンを2つ持たされた。と思うと、振り向く手塚より早く、ひょい♪と英二が窓枠から
飛び込んできた。
「にゃ?手塚ぶちょー何してんの?」
「お前らなあ…」
呆れ顔の手塚に、僕達はただ微笑みを返す。
「だって、君、今みてなかったでしょ?ね?」
英二も一緒に「ね?」と繰り返す。大きな手塚のため息が廊下に響いた。
「んじゃ不二にはこれねっ!もうとっくに3分たってるから、GO!」
「え?僕の分もあるの?」
「そ。これはもう不二は食べなきゃ駄目でしょう!ほらっ!」
英二が指差した僕の左手にあるカップラーメン。
そこには真っ赤なチリペッパー色のカップで、『とんがらし麺/ユッケジャンクッパ味』と書かれていた。激辛唐辛子パウダー付。
「わーありがとう。これはまだ食べてないよ」
「よかった♪食べないっていわれたらどうしようかと思った」
英二と2人で、非常階段に座ると、御箸をパンと割る。
「ねえ手塚も食べない?」
唐辛子パウダーをきっちり全部入れて、混ぜて、綺麗な真っ赤にしてから、差し出す。
「けっこう!」
あ、やっぱり?
既に英二は階段中にチーズの匂いを撒き散らしながら、はふはふと麺をかきこんでいる。
「…このにおい…。みつからないうちに片付けろよ」
「はぁーい♪」
元気よい英二の返事に、手塚は去っていく。
「手塚」
「ん?」
「君は知らなさそうだから、教えておいたげる。いい?あの桜の下に呼ばれたらいくんじゃないよ」
「は?あの木か?」
「そう。余計な忠告だけどね」
「ふーん、よくわからんが…まあ、忠告聞いておく」
「ん。じゃ、部活でね」
「ああ」
「じゃ部活でね♪チーズ星人♪」
「はあ?!」
英二が僕の真似をして掛けた台詞に、ちょっとうわずっと声をあげる手塚。僕達は無言でにこやかに、ひらひらと、片手を振った。
頭を『チーズ星人』でいっぱいにしたままの手塚の後姿に、疑問符が被ってて笑える。きっと教室に帰ったら、大石に聞くんだろう。
春めいた陽気に不釣合いなにおいを漂わせた廊下から、外を眺める。
チーズな風に、笑いながら僕も真っ赤なスープを一口飲むと興味ありげに英二が見つめている。
「平気なの?」
「うん。すごく美味しいけど?食べてみる?」
「うにゃ!その匂いとー色だけでいいっ!」
「?そう?美味しいのに」
僕らは食べることに専念した。次は地理。
教室内に、チーズと葫の香りが漂うことを覚悟しながら、僕は真っ赤なラーメンを食べ尽くすよう努力する。
始業まで、あと5分だ。
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