「山月記」幾つかの視点(生徒感想より)
生徒の感想文の中から、疑問点、視点のいいものなどをピックアップしてみた。いずれも授業の中では十分にとりあげられなかった点である。「人虎伝」のことなども時間の関係で触れなかったが、そのおかげ?で幾つかの視点を引き出す結果になったのではないかと思っている。生徒にはテスト返却時にプリントを渡し解説した.
生徒感想 教師のコメント
◎なぜ虎?
李徴をなぜ虎にしたのか知りたい。別にイノシシとかでもいいと思う。中島さんはちょっと自分の世界に入りすぎてると思った。でもおもしろい話だったから興味を持った。
★動物にはそれぞれイメージがありますね。同じように残虐で危害を加える獣でもイノシシと虎はイメージが異なります。虎のほうがかっこよくないですか?孤独感、志の高さ、純粋さなどを感じさせませんか?この様に一種の気高さ、孤高というある意味で肯定的なイメージを持つ「虎」に変身させたということは、作者は李徴を全面的に否定、批判するという立場ではなく、彼に寄り添っているのではないでしょうか。
◎なぜ自殺しなかったか?
人間の気持ちに戻って自分が虎の時にした行いを見たとき、私ならすぐ死んでしまうと思うけど、李徴は生きた。それはとても強いと思った。すごくつらくて寂しかったと思う。…虎と人間、両方の気持ちがある今が一番しんどくてつらくて寂しくて死にたいんだと思う。でも頑張って生きたのは李徴の「詩」に対する執着が現れていると思った。…私はそこまで打ち込めるものを持っている李徴はすごいと思うし、少しうらやましくも思った。
★ その後もいつでも自殺する機会はあったのになぜ苦しいまま生き続けてきたのか?それに対する一つの解釈ですね。
◎ 詩への執着
李徴が虎になっても詩を忘れてなかった事はすごいと思った。でも、別に死んだ後に名前を残しても、自分は死んでいるのに何の意味があるんだろうとも思った。
★ こういう強い思いが人を突き動かしてすぐれたものを生むのかもしれませんね。
★ 本文を見ると虎になる前の李徴は「詩家としての名を死後百年に残そうとした」とありますね。ところが虎となって袁さんに語る場面では「〜執着した所のものを一篇なりとも伝えなくては〜」となっています。この変化をどう思いますか?李徴は名声のために、ではなく自分の生きた証を残したかったのではないでしょうか。自分の生きたことが無意味ではなかったということを信じたかったのではないでしょうか?
◎ 李徴の孤独
もし虎になってなかったら、きっと李徴はずっと孤独だったと思う。
★ 虎となってからの李徴はもちろん孤独だけれど、人間であった時もやはり孤独だったのでしょうね。
◎ 袁さんへの友情
袁さんに襲いかかったときは虎としての李徴だったはずなのに、一瞬で人間としての李徴に戻り、叢の中に隠れたのはすごいと思った。今まで虎になってから人を食べてきたのに友達に気付くことができたのは、それはまだ人間の心が残っていたからだと思う。
李徴は虎になってから、本当の人間の心が目覚めたんだと思う。「袁さんが嶺南からの帰途には決してこの道を通らないでほしい。」この李徴の頼みが印象的だった。この頼みはとても辛いものだと思う。…やっと会えた人に、もう道を通らないでほしいというと言葉を言う時にかなり勇気がいると思う。もう一生会うことはないのだろうなと思った。・・・最後の場面でこれから李徴は一生一人で生きていくのだろうと思って悲しくなった。
袁さんの性格が穏和だといっても彼以外にも穏和な人なんていると思う。だから、袁さんには特別なものがあると思った。その特別なものとは何かなぁーと思った。そういえば袁さんは虎になった李徴と草むらを間にして話していた。いつ襲いかかってくるかもしれないのに袁さんは李徴と話して願いを聞いてあげて、本当の友達だと思っていたんだなと思った。
★なるほど。人間の心が残っていたのはもちろん、その中でも特に袁さんへの友情が強かったのかもしれませんね。人は突発的な出来事に際しては、強い感情の部分がパッと出ると思います。虎になってからも李徴は袁さんのことをよく思いだしていたのかもしれませんね。

★ いい点を指摘しています。李徴は自分の寂しさに耐えて友人を守る道を選んだのですね。



★袁さんの事はあまり書かれていないけど、「特別なもの」とは何だったと思いますか?二人が同時に進士になったという辺りから考えると、立場が似ていることも一因でしょう。
◎ その後の李徴
最後の場面で虎になった李徴が二声三声咆哮したのは、話を聞いてくれた袁さんへの感謝とさよならを言っているように感じました。それと同時に李徴はこれからどうやって生きていくのだろうと思った。李徴は苦しいと思うけど、虎になってよかったのかもしれないと思います。…人間らしさを人間のままで失うよりも虎になっていても人間らしさを取り戻す方がいいと思います。李徴は少しずつ人間の心を失って本当に虎になっていってるけど、私は李徴が人間に戻りたいという気持ちが強ければ人間に戻れると思う。李徴は心を打明けて人に話せたのだから、・・・新しい何かを見つけて人間に戻れると思う。
★「その後の李徴」という話を考えてみると面白いですね。また人間に戻れるというのは救いがあって面白い考えですね。それはいつでしょう?「人間に戻りたい」という気持ちは、虎に変身したばかりの時のほうがむしろ強いかもしれない。いまは自分を振り返ってつらいけれど自業自得でしかたがないとあきらめているかもしれない。そういう悟りのような気持ちが本当にえられたときが人間に戻るチャンスかもしれないですね。
◎ 非現実的な話
世の中にも李徴のように別の生き物になってしまった人もいるんじゃないかなと思った。本来ならありえないけど「山月記」を読んだらもしかしたらと思うようになった。
何か声が聞こえてきて無我夢中に走っていると虎になったという非現実的なところが面白かった。もし自分がこうなったらどうしようと思った。本当にあればものすごく恐い話だが、なんだか読んでいるととても作り話だとは思えなくなってきた。すごくリアルに描けていると思う。李徴の人物像がすごくよくわかって、こんな人は今でもこの世の中にたくさんいると思った。
★ これが小説の楽しみの一つですね。小説には内容以外にも描写を味わう楽しみもありますね。この、文章の力。そのおかげでこんな荒唐無稽な話なのにリアルさが出ているのだと思います。また、それはこの小説が「事実」は書いてないけど「人間の真実」を描いているからかもしれませんね。
◎ 中島敦
この山月記を書いた中島敦は、自分の才能をいっぱい磨いた人なんだと思います。でないとこんな奥の深い話を考える事なんて無理だから。私にはまるっきり無理だからちょっと尊敬します。少し他の人より短い人生でこんなにたくさんの人に知ってもらえるなんて、本当にすごいと思いました。
★ 李徴は作者の分身かもしれませんね。こういう話を書けるということは作者は李徴と違って自分を客観的に見ることが出来たので、やっていけたのかもしれません。しかし、創作をするものとしての苦しい気持ちは同じだったのではないでしょうか?
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