introduction
connect on the wave
“ばあちゃんが千葉県九十九里浜・片貝出身”
 ……これだけで波乗りの動機としては、申しぶんないとおもいます

'98年のことです。連休を利用してほんのちょっと遠出をしてみたいとおもい、かるい気分で千葉の九十九里浜へいってみました。祖母が九十九里・片貝の出身だったからです。

たいへんよい天候にめぐまれました。はやいところでは田んぼの稲刈りがすでにはじまっていた、すがすがしい初秋。海岸道路を走っていると、にわかにぱあっとあらわれた大平洋、水平線、砂浜。

第一印象っていうのは、その後に大きな影響をあたえるんですよね。さびにおかされた家屋。漁村の潮くささ。しずかな波音。海の家は……、すでに盛夏のにぎわいを終えて、がらんとした食堂がひっそりと開け放たれている。そして浜辺では多々の色彩が波のうえをすべる。「これが九十九里か……」。

とっさにわたしは、地元のホームセンターをさがしました。じっとしていられなくなったのです。海パンとバスタオルは用意してましたが。5000円程度の黄色のボディーボードを購入しました。

きもちよかったですねぇ。なにも予備知識のない初心者のことですから情景は説明するまでもないでしょう。まったくの見よう見まね。それでも「波がくだけたあとの泡ぶく」にのって岸のほうへすーっとすべってくる感覚に、以来すっかりとりこになってしまったのです。


それから、海かよいが始まりました。
つぎの週末は福島の小名浜です。その日もいい天気でした。

透き徹るようにあおい海をみました。海岸沿いに車が駐車してあります。水中にはいって気がついたのですが、おとずれた海岸の底はすぐに岩盤でした。ああ、こういう海岸もあるんだと、ちょっとした緊張感を足の裏におぼえながら、あいかわらずスープにのってたのしんでいました。

次の週からは仙台、七ヶ浜・菖蒲田でした。
ここへは4、5回ほどかよったでしょうか。くわしい説明は必要ないでしょうが、海へはいると場所によって海草が足をなでまわしたり岩盤の感触がつたわってきます。そしてまもなく、足が海底からはなれてしまいます。

この浜で、ある程度沖へでて波待ちできるようになりました。階段状のコンクリの堤防の上で腹ごしらえをしたり、公園には駐車場とトイレもあって好きなポイントでした。


わたしは現在、天童市(山形)在住です。
波乗りなら、日本海・庄内浜へいくこともできるのでしょうが、なぜか大平洋へ足が向いてしまいます。天童からだと日本海まで車で2時間、大平洋まで1時間半という交通の便もあるでしょう。

子どものころの記憶ですが、8月すぎに庄内へ海水浴にいった友だちが、うようよいたクラゲに刺されて帰ってきたというはなしがいまなお日本海へのイメージになっているのかもしれません。

季節による波のコンディションということもあるでしょう。冬期、大平洋岸がないでいるときでも、日本海岸はかなりの波があるようです。けれども、やはり寒さは半端じゃなさそうですよね。夏から秋にかけて台風のうねりをたのしめる大平洋岸へと、どうしてもかよってしまうんですね。


菖蒲田もよかったのですが、自宅からだと片道2時間ほどかかりました。同じ大平洋岸でももうちょっと近いポイントをと思い、つぎに行ったのが閖上でした。

この海岸が好きなかたもたくさんいらっしゃるでしょうし、こんなふうに書いては気分を害されるかたもいらっしゃるかもしれませんが、「なんか……、こわい」というのがわたしの偽りのない第一印象でした(あくまで、わたし個人のそのときの感覚です)。その日も良い天気でした。

駐車場からは海岸が見えず、ちょっと歩く必要がありました。すこし汗ばむくらいの日ざし。そして目の前に広がる海は……

テトラポットのすがたも全くなく、海岸の右にも左にもさえぎるものがなにもない。吸い込まれてしまいそうな海原と水平線のみ。

きりこむように波にのる幾人かのサーファー。決定的だったのは「水難事故あり。注意」の立て札だったでしょう。まだ、ビギナーの域をでていないことを充分に自覚していたわたしは、海水に足をひたすことなくこの海岸をさりました。


そしてようやくたどり着いたのが、仙台新港。

通常ならもっと早くこのポイントへたどりつくのでしょうが、わたしのばあいみじかな経験者やショップの人という情報源がありませんでしたし、基礎知識もまったくありませんでした。波乗り関係の雑誌や本をかたっぱしから読みあさり、そこで“仙台新港”という国内でも有数の波乗りポイントの存在をようやく知ったのでした。

「仙台新港」という交通標識がちかくにどこにも見当たらないため、ここが仙台新港なのだろうかというとぼけた疑問をしばらく持ったりしましたね。

感動でした。毎週末、数百人がここへつどってあざやかに波の上にのる。ビギナーのわたしは純粋に感動し、目の前でそれを見られることにたいへん喜びました。ウエットスーツなしに11月の新港へいどんだ記憶があります。


   公開 2001.9.11.
   修正 2002.7.12.

   PoorBook G3'99