夏の思い出(さよならじゅん)

文 村上義明

 あれは、去年の夏のことである。去年の夏と言えば、忘れもしない。わしは、酒を飲んでワールドカップで熱くなった後、自転車で転んで、右手親指の靭帯を切った夏である。

 カレーを作れなくなったわしのフォローで、ケン、キンゾー、じゅんは、鬼の様に働いてくれたのである。しかも、その夏は湿度が以上に高く、体力の消耗を誘う夏であった。

 その日の前の週の金曜日に、わしは靭帯の手術を施してもらい、右手は、大きな包帯で巻かれていた。それまでは、小さ目の包帯だったので、色々と工夫して右手で包丁を持ったり出来たが、包帯が大きくなりすぎて、右手で物をつかむのはほぼ困難な状態だった。仕方が無いので、左手で仕込み作業をする事にした。

 カレーを作れなくなったわしは、ランチタイムは炒め方として、かろうじて働くことが出来た。朝から始める基本のカレースープは、何とか作る事が出来たが、右手が使えないため、具材をつかむ事が出来ずカレー作りは、ケンかキンゾーにやってもらうことになった。

 その日は、じゅんが遅番で、朝10時半にやってきて、玉葱の皮をむくことになっていたのである。10時半になって、じゅんが出勤してきた。

じゅん「マスター、今日は何キロですか?」

 わしの体調を心配して、体重は何キロと聞いてきたわけではない。正しく言うと「マスター、今日は何キロの玉葱を剥きますか?」の省略形である。

 わしの右手が使えないとなると、お客さんは益々弱い所を突いてくるもので、カレーが売れに売れて、玉葱が足りなくなってきていたのである。しかし実は、じゅんは玉葱を剥くのが苦手だったのである。その数ヶ月前、玉葱の皮をむいている最中に、手を切って数針縫っているのである。その性も有り、じゅんが玉葱を剥くときには、少なめに剥いてもらっていたのであるが、事体は深刻である。次の日に使う玉葱が足りないのである。

 その当時、週2回、玉葱の仕込を行っていたのであるが1回に剥く玉葱の量は、20キロから25キロであったが、玉葱はカレーのベースである。足りなくなってはならないのである。

 わしは、しばらく考えてじゅんに言った。

「27キロ」

 店の中に、一瞬沈黙が走った。

 そう、その当時の玉葱の一回の仕込み量が最高25キロだったので、27キロという数時は始めてだったのである。しかも、玉葱を剥くのは「じゅん」である。

じゅん「多いですね。」

わし「うん、明日の分が全然足りないんだよね。いつもより2キロ多いけど、頼んだよ。」

 じゅんは、颯爽と店の裏のスペースに計りを持って行ったのである。

 じゅんが、玉葱を剥いている間に、わしはカレーの味付けを終わらせ、チキンレックをスープで温め、キンゾーは挽肉の仕込みを終わらせ、ケンは他の具材の準備を終わらせ、ホールの片付けを終わらせた。お母さんは、未だ洗い物と格闘している。

 あわただしい作業の中、FMノースウェーブが、11時を告げる。開店時間である。わしの「開けマーす」の声と供にケンが「OPEN」の看板を下げに行く。わしは、ラジオからCDに切り替えレゲエが店内に響き渡る「村上カレー店・プルプル」の開店である。

 開店してすぐにお客さんが入る。厨房の中は未だスタンバイが出来ていない。

「いらっしゃいませー」

お母さん「もう、来たのかい?」

わし「ったく、仕事しろよ、飯ばっかり食いやがって。」

ケン、キンゾー「・・・・・」

 急いで、ケンとわしで厨房の中をカレーが作れる状態に組みなおして行く。店の厨房は、かなり狭い。ランチタイムは急いでカレーを作る必要があるので、厨房の中は、カレーを大量生産出来る状態にカスタマイズするのである。ランチタイムが終了すると今度は仕込み作業がスムーズに行えるように、ガス台を確保するのである。

 キンゾーがオーダーを取りにお客さんの席に行く。わしは、字が書けない状態なので、オーダーを取りに行くことが出来ないのである。キンゾーがオーダーをケンに伝える。ケンがカレーを作る。わしは、状況に応じて炒め物をしたり客席をかたずけたりする。

 じゅんは、その頃黙々と店の裏のスペースで玉葱の皮をむいていた。

 店が開店してから、客足は途絶えることなく、ホールを担当していたキンゾーは、忙しい思いをしていた。11時40分を回っていた。いつもなら、そろそろじゅんが、玉葱の皮むきを終えて、ホールに戻って来るはずである。しかし、じゅんは戻ってこない。もうすぐ、地獄の12時である。12時代は、周辺のサラリーマンが昼飯を求めて殺到する時間である。

 わしと、ケンとキンゾーは、願った「じゅん、早く帰って来てくれ。」

 その時、じゅんが手ぶらで戻ってきた。「未だかかります。ちょっとトイレに。」と言ってトイレに行ってから、再び裏のスペースに戻って行ってしまった。

 わしらは、一瞬期待したのだが、意味が無かった。

 客は入る、じゅんはいない。

 12時前に、ケンが言った「今日、何キロ?」

 わし「27キロ、2キロ多いだけなんだけどね。遅いね。」

 お母さん「じゅんちゃん遅いねー。」

 ついに12時を回った。ホールをこなすのは、キンゾーひとり。お客さんを席に案内して、オーダーを取り、カレーを運ぶ。一人では到底無理な作業である。ついに、お母さんがカレー運びに借り出される。

 わしは、カレーも運べないのである。

 入り口に、お客さんが並んでいるが、遅々として進まない。働ける人間が3人しかいないので、カレーを出すスピードも、お客さんをさばくスピードも上がらないのである。

 わしは、役立たずである。

 こうなったら、じゅんが帰ってくるまでやるしかないのである。と言うか、気がついたら12時半を回っていたのである。

 「終わりましたー。」じゅんが戻ってきた。

 早速ホールに入ってもらうと、あっという間にいつもの状態に戻った、カレーのオーダーもするすると通る。客席も入れ替わり立ち代り、驚く程よく回るのである。

 じゅんが、神様に見えた一瞬である。

 ランチタイムを何とかこなし、いよいよ仕込みの時間である。

 じゅんの剥いた玉葱を刻んで、フードプロセッサーですりおろすのは、ケンの仕事である。ケンは、まず今日のうちに仕込む玉葱を小さ目の寸胴に入れて火にかけた。

 今日は、ちょっと多いので、小さい寸胴に多めに入れてとケンに伝える。

 玉葱は、その日のうちに仕上げる小寸胴と、次の日一日かけて仕上げる大寸胴に分けられる。量が増えてくると小寸胴の方の量をふやして、調整を取るのである。

 いつもなら、夕方までには終わるケンの仕事が、5時になっても、終わらないのである。

 ケン「マスター、おわんないよー、これ。」

 既にケンの帰る時間であるが、玉葱は終わらせてもらわないと困るのである。

 しかも、すりおろした玉葱が、大寸胴からあふれてしまいそうになっているのである。仕方が無いので、あふれそうな分を小寸胴に移し入れる。小寸胴もびっしりである。

 ケンは、いつもより一時間遅れて、仕事を終えた。

 しかし、量をふやした小寸胴の玉葱は店の終わりの時間までに仕上がるはずも無く。30分遅れてわしは、店を出た。

 次の日、朝から玉葱の入った大寸胴を、全開で火を入れる。それにしても、こんなにたくさんの玉葱は、体験したことが無かった。わしとケンは、玉葱を見つめて言った。

 「2キロ増えただけだよね?」「よほど大きな玉葱だったのかな・・・」

 一日中火にかけておいた玉葱は、夕方になっても未だ水分をかなり含んだ状態で、カレーに使える状態ではなかった。途方に暮れたわしは、仕様が無く、仕上がっていない玉葱を流し水で冷やして帰ることにした。

 次の日の朝、わしは再び玉葱を火にかけ、仕込を再開した。そして、残った玉葱の箱の中身を見て、愕然とした。大量に残っているはずの玉葱が、そこの方にちょこんとあるだけなのである。

 じゅんが、玉葱の皮をむくのに時間がかかったのも、ケンが玉葱をすりおろすのに時間がかかったのも、玉葱の仕込みが一日で終わらなかったのも、全て理解できたのである。

 じゅんは、37キロの玉葱を剥いていたのである。

 ケンは、37キロの玉葱を摩り下ろしていたのである。

 わしは、37キロの玉葱を火にかけていたのである。

 これが、店で言う「じゅんの37キロ事件」である。

 では、何故、じゅんは37キロの玉葱を剥いてしまったのか?当時、玉葱は新玉葱が出始めの頃で、野菜屋さんが持ってくる玉葱は、20キロのネットであったり、10キロの箱入りだったり、20キロの箱入りだったりと、色々な玉葱が店には持ち込まれていたのである。しかも、新玉葱が出始めで、たまに、去年の玉葱が搬入されたり、玉の大きさもLから3Lとまちまちだったのである。

 前の週までは、10キロの箱入りで、その日持ち込まれた玉葱は20キロ入りだったのである。じゅんは、30キロから3キロ引いて、27キロのつもりだったのであるが、20キロの箱から3キロ引いたため、37キロの玉葱を剥く羽目になってしまったのである。

 このことが判明した後で、「じゅん」がかなり馬鹿にされたのは、想像に難しくないところである。しかし、剥いている瞬間に1番辛かったのは、じゅんかもしれない。

 そのじゅんが、なんと退職してしまいました。

 最近、じゅんの動きに切れが無いなーと感じていたのであるが、実は「おめでた」だったのである。

 思えば、店に入ったときには、まだ「K じゅん」だったのが、一年後には「I じゅん」になり、ついには「おめでた」で退職してしまったのである。

 じゅんと言えば、「ロール白菜事件」が有名であるが、わしとしてはやはり「じゅんの37キロ事件」が1番である。

 しかし、じゅんの後釜として入ったマー君がこの間、剥いたのは30キロの玉葱である。

 じゅんが、マー君に「あたしなんか、その昔37キロ剥いたのよー。」とえばれなくなる日が来るのも、そう遠くは無いのかもしれない。

 さよなら、じゅん。また、ダンナとカレー食いに来てくれ。

 でも、夕方来て、マー君や夕方のバイトの連中を、いびるのはお願いだから止めてくれ。

 じゅんのうちは、店から300メートルぐらいしか離れていないのである。

 それじゃ、また。

2003.8.14