尾崎豊と、ワッツラヴ?
前編
芥川 健
いきなり恥ずかしい話しをしよう。1986年、俺は十七歳だった。そして十七歳からの数年間、俺のBGMは尾崎豊だった。とゆうか、俺のテーマソングだった。
もっと恥ずかしい話しをしよう。1986年の秋以前、つまり高校時代のほとんどのあいだ、カシオペアが俺のBGMだった。おおこわ。今思うと身の毛がよだつ。
そして今、俺のテーマソングはワッツラヴ?だ。ははは、恥ずかしくないぞぉ。しかもデタミネイションズという史上最強のBGMつきだ。このふたつの似ても似つかぬバンドの共通点は、スカ。そう、俺の今一番のお気に入りは、ふたつともスカの二文字がつくのだ(SKAなら三文字か)。じゃあ俺はスカが好きなのか? そうではない。もちろん嫌いでもない。ジャンルでいくなら、俺はラテンが好きだ。
音楽の話をしようと思う。ことわっておくがこれは俺の音楽の話しだ。あくまで個人的な音楽の話しだ。普遍的な音楽の話しをここでできるほど俺は音楽について詳しくない。とゆうか、なにも知らないに近い。でも時々、ごく少ない一部の音楽達を、俺は心の底から愛していることに気づく。そのことに気づくと、胸がじわあっと暖かくなる。生きててよかった、と思う。そんな話しをしようと思う。
俺は人に音楽は好きかと問われたらこう答えることにしている。
「俺は音楽なんて大嫌いだ」
相手が「えっ、ウソッ」なんて顔をしたらこう説明することにしている。だって俺は世の中のほとんどの音楽が嫌いなんだよ。ある種の音楽について言えばほとんど憎んでるんだよ。憎悪、してんだよ。そんな雑音みたいなものが全体の九割を占める音楽ってやつを簡単に好きだ、なんて言えないでしょ、と。そう言うとたいがいの人はため息をついてこいつ困ったやつだなあ、という顔をする。そう、俺は困った野郎なのだ。俺は自分の性癖とやらゆうやつのおかげで若い頃さんざん困った目に遭ってきた。
俺はマドンナとマイケル・ジャクソンとデュランデュランとカルチャークラブとブルース・スプリングスティーンとフィル・コリンズとワム!が大嫌いな高校生だった。そのおかげで随分とひねくれた人間になってしまった。日本のポップスはもっともっと嫌いだった。歌詞がしょぼくて雰囲気がガキ臭くてどうしようもなく歌が下手で音が安っぽいものが多かった。でも、なんと言っても俺は高校生だった。俺は新しい音楽を欲していた。中学生の時に聴いていた、井上陽水やサザンやTOTOやジャーニーやケイト・ブッシュはいったん捨てた。まったく新しい、聴いたことのない、世界が生まれ変わるような音楽を欲していた。
そこへ、当時ばりばりの現役大学生のいとこがやってきて、「これを聴きなよ」と置いていったのがカシオペアだったのだ。高校一年の、夏のはじめだった。ちなみに彼は思春期の俺に絶大な影響力を持った人物だった。彼のやることなすことすべては、まだ幼い俺の眼にすげえカッチョよく見えた。しかし今思ってみれば、彼はごくフツーの八十年代の大学生だった。彼はバイクに乗っていた。ホンダVT250F。当時異常なバイクブームだった。ホンダVT250Fはベストセラーバイクだった。彼はスターウォーズが大好きだった。彼はスターウォーズ世代だった。彼はポパイとホットドックプレスの熱心な読者だった。俺は彼から借りたホットドックプレスで、正しいオナニーのしかたと色々な体位を知った。彼はアバが流行ったらアバを聴き、フュージョンが流行ったらカシオペアとザ・スクウェアと高中正義を聴き、白井貴子がヒットしたら白井貴子を聴き、中村あゆみがブレイクしたら中村あゆみを聴き、そんなことを果てしなく繰り返しているフツーの大学生だったのだ。オジサンになってもまだまだがんばってバイクに乗り続けている彼のBGMは、今ならモーニング娘。かもしれない。
どちらにしても、俺のいとこには感謝している。俺はちゃんとカシオペアを熱心に聴き、後にバイク乗りになった。
今カシオペアを聴いたらどうか? 俺はカシオペアのCDを持っていない。持っていないが、今カシオペアを聴いたらどう感じるかはわかる。ライヴでわかる。キャロット、という食材店がある。俺は週に一度、そこに店の買出しに行く。で、たまにかかっているのだ、その店で。有線で。カシオペアが。カシオペアがかかると俺はオクラやら大豆やらホタテやらカイエン・ペッパーやらカルダモンやらサラダオイルやらトマトピューレやらを大量にカゴに放りこんでいる最中にがっくりとひざを床につけることになる。そう、がっくりくるのだ、カシオペアを聴くと。なんじゃこりゃ、と思う。でも、聞き覚えはメチャクチャにある。はっきり言って、気持ち悪いのだ、その状況が。かつて俺がこよなく愛した曲たち。メロディラインのひとつひとつを、今でもはっきりと思い出すことができる。でも、なんじゃこりゃサウンドなのだ。薄っぺらくて軽薄であってもなくてもいいような音楽。ロイヤルホストやスーパーマーケットやスキー場でかかっていそうな音楽。はあーっ、俺、こんなの好きだったの? がっくり、となるしかない。そして自分の変化の激しさにおののくことになる。俺って強くなったなあ。
まあ、無理矢理カシオペアのどこがよかったのかということを言葉に直したら、それはおそらく曲、つまりメロディーが当時の俺にはよかったのではないか、ということでカシオペアの話しはこのへんでやめよう。
今の俺はメロディーをさほど重視しない。俺が欲しいのは、ビート、だ。
さて、尾崎豊の話しをしよう。これもまた恥ずかしい話しだ。俺って最近恥ずかしい話しをするのが好きだなあ。オナニーが見つかった話しとか。
十七歳当時、俺はロックが嫌いだった。特に、日本のロックは大嫌いだった。日本のポップスには当然、日本語の歌が入る。で、ひねくれた高校生だった俺は、その歌詞を聴いているとむかついてくるのだ。楽しそうな歌を聴くとうっせえ俺はちっとも楽しかねえんだよ、とむかつくし、ラブソングを聴くとちくしょう俺は女にもてたことがねえんだよ、とむかつくし、俺達ぐれてるけどほんとはぐれたくてぐれてるわけじゃないし大人はわかっちゃくれないけど俺達ってほんとはすげえいいやつらなんだぜえ、みたいな不良系のロックを聴くと、なに甘えてんだこのクソガキがあっ、とむかつく。あ、だからカシオペア聴いてたのか。
俺は暗い、それはそれは暗い高校生だった。俺には恋人などいなかった。高校は男子校だった。俺は田舎モンで、ひどい劣等コンプレックスに悩まされていた。ナンパなどする勇気などかけらもなかった。俺には友達すらいなかった。みんななんであんなに嬉しそうにしゃべってるんだろう、と不思議に思っていた。俺には話すことなどなにもなかった。俺は対人恐怖症と自閉症と誇大妄想症を少しずつミックスさせたような高校生だった。そして将来、対人恐怖症と自閉症と誇大妄想症をバランスよく配合した大人になった。暗い。あまりにも暗すぎる。こんな暗いマイノリティー、かっこよく言えばアウトサイダーに、日本のロックなど聴けるわけがない。俺は邦楽洋楽を問わず、ヒットチャートを憎悪した。あんな音楽を作る人々と、あんな音楽を聴いて喜んでいる人々を心の底から憎悪した。そう、俺は音楽が、大嫌いだったのだ。
さあ恥ずかしい話し。
高校三年の初秋のある晴れた日、俺に一本のカセットテープを貸してくれたやつがいた。そいつは高校時代におけるたったひとりの友人で、ムチャクチャいいやつだった。俺は部屋でそれをひとりで聴いた。最初、なんじゃこりゃ、と思った。奇妙な違和感を感じた。音は、日本のロックだった。でも、なんか違うような気がした。若者が、叫んでいた。自由になりたくないかい。自由になりたくないかい。自由になりたくないかい。若者は、ちょっと調子っぱずれにそう何度も叫んでいた。一曲目を聴き終えるころに、それは起こった。俺のなかで、なにかが音をたてて壊れて、吹き飛んだ。そして、世界が、俺のなかに入りこんできた。とてもリアルだった。とてもクリアだった。はじめてものを見た、赤ん坊になった気がした。最初に感じた違和感はなくなった。かわりに、驚き、が残った。俺がはじめて、音楽と同化した瞬間だった。それは俺の、革命だった。笑いたい奴は笑え。俺も笑ってやる。
その時聴いた曲は、尾崎豊の、「スクランブリン・ロックンロール」だった。
なんじゃこりゃ、と俺はつぶやき、はじけるように笑った。ながいこと笑った。あんまり笑いつづけたので、涙がにじんできた。俺が笑い終わったころ、尾崎は「卒業」を歌いはじめていた。
2003年1月10日