プルプルの冷蔵庫秘話

文 村上義明

 うちの店に来た人達に、良く言われることが有る。「冷蔵庫たくさん有るねー。」何故、冷蔵庫がたくさんあるのか?それは、冷やさなければならないものがたくさんあるからである。カレーや具材、その他諸々。

 うちの店も最初からたくさんの冷蔵庫が有ったわけではない。最初は、厨房の中の冷蔵庫と、フリーザーが一台あっただけである。しかも厨房の中の冷蔵庫などは、買った後に厨房に入らない冷蔵庫の代わりに買ったイワク付きの代物である。うちの冷蔵庫にはそれぞれ番号がついている。厨房の中の冷蔵庫から順に、0号機、厨房の外の順に1号機、2号機・・・と増えて行くのである。冷蔵庫は、たくさん有るのだが、買った冷蔵庫は、0号機と1号機くらいである。他は、拾ったり貰ったりしたものである。

 それでは、0号機の話しから始めよう。0号機を買いに行ったのは、当時未だ存在したBIG OFFである。厨房の中に入るスリムタイプの冷蔵庫で最大限に内容積の広い冷蔵庫を入れるため、厨房の冷蔵庫スペースのサイズを測り、各電気店でスケール(巻尺)を片手に、やっとBIG OFFで見つけたのである。

 次の日、BIG OFFの配達員がやって来て、箱を開けて冷蔵庫を入れようとしたのである。入り口は冷蔵庫を傾けたりして、なんとか入れる事が出来た。しかし、その後が大変だった。うちの店に来たことがある人は解ると思うが、うちの厨房は「ついたて」で仕切られているのである。このついたてがつわものであった。ついたての上を通そうとしたが、高さが足りなくてダメ。反対側のついたてを超えて、横にしていれようとしたが、今度は、幅が足りなくてダメ。色々工夫してみたが、やっぱりダメ。BIG OFFの配達員は「ついたて壊しますか?」などと、のたまう始末で(壊した後は誰が直すんじゃい)、結局その冷蔵庫は一度返品ということになったのである。

 再度BIG OFFに行ったわしは、その冷蔵庫よりも一回り小さい冷蔵庫を買ったのである。一回り小さいといっても、幅と奥行きが5センチぐらい小さくなっただけである。この冷蔵庫は入るだろうか?不安がよぎる。

 次の日、BIG OFFの配達員がやって来て、今度は、難なく冷蔵庫を入れる事が出来たのである。

 この冷蔵庫こそが、村上カレー店プルプルの、0号機として8年間稼動し続けているメインの冷蔵庫である。

 0号機は、サンヨー製のノンフロンマシンである。当時は、最新型であった。色は、ブルーがかった灰色である。

じゅんと0号機(0号機を撮ろうとしたら飛び出してきたじゅん)

 しかし、開店して間も無くして、0号機の中は、ほぼパンクしていた。カレーの具材や、スープを入れるにはあまりに小さすぎたのである。0号機は、昼は普通の冷蔵庫として稼動し、夜は棚やら何やらをはずされ、完全に具材やスープを入れる倉庫と化していた。(今でも、夜はスープの倉庫になっている。)

 しかし、厨房の中に冷蔵庫を増設するスペースなど無い。しかも、新しい冷蔵庫を買う金などもっと無い。わしは、中古屋さんを何軒か回り、中古の冷蔵庫で少し大きめのものを探した。すると、見つかったではないか、型としては、かなり年代ものであるが使用に耐えうると判断し、買った。昔から中古屋さんを回るのは好きだったので、冷蔵庫を探しながら、他のものまで見てしまってついつい時間がかかってしまった。中古屋さんは親切にも、冷蔵庫を運んでやるから¥2000円よこせと言う。ワシの車に入る大きさではなかったので、仕方なく頼むことにした。冷蔵庫¥7000円、運賃¥2000円、合計¥9000円の冷蔵庫である。

 1号機は、年代物のGENERAL製のダークレッドのマシンである。

 こいつも、8年間稼動し続けている。稼動し続けているどころか、ちょっと気を抜くと、イモを凍らせてしまうくらい強烈に頑張っているのである。昔の冷蔵庫は、非常にタフである。当然霜取りスイッチもついている。昔の冷蔵庫には必ずあったのであるが、最近の冷蔵庫は、霜がつかないように設計されていて、霜がつかないのであるから当然霜取りスイッチなど無いのである。1号機は、厨房の外に取りつけられた。

 村上カレー店プルプルの最初の2年は、この2台の体制で何とか乗りきったのである。そして、3年目に入るか入らないかの頃である、道端に小さめではあるが2ドアの冷蔵庫が落ちていたのである。実は、ワシは昔から2ドアの冷蔵庫が欲しかったのであるが、当時は未だ貧乏で大学時代に友人から貰った冷蔵庫を使っていたのである。それと入れ替えて、わしの冷蔵庫を店に持っていって・・・などと考えては見たものの、やはり店に大きい冷蔵庫が有った方がなにかと有利である。それに、ワシの冷蔵庫の中身はほぼ空に近い。というのも、店でこれだけカレーを作っていると、さすがに部屋に戻ってから、料理する余裕などないのである。サラリーマン時代には、日曜日に1週間分の食材を買いこんで、1ドアの冷蔵庫を満杯にして、1週間かけて冷蔵庫の中を空にするという生活をしていた。だから、その頃から2ドアの冷蔵庫が、ほしいなーと思っていたのである。

 現在、ワシの部屋の冷蔵庫は1ドアのままである。(そう、大学時代に貰った冷蔵庫である。)ちなみに、未だ貧乏である。

 拾った2ドアの冷蔵庫を店に運び入れて、動作を確認する。動くではないか。問題無し。

 2号機は、三菱製の赤いマシンである。どうやら「Chum」の愛称で販売されていたらしい。

向かって左が1号機、右が2号機

 2号機が入った年には、エイプリルフールの冗談メニューにナット・挽肉ベジタブルを登場させた。大反響であった。ちなみに、ケンが働き始めたのも、この年である。2号機は、ケンと一緒に運び入れた。しかし、この年のエイプリルフールの「ナット・挽肉ベジタブル」の登場により、2号機は納豆格納庫と化して行ったのである。プルプルの冷蔵庫事情に、余裕が出来たのもつかの間であった。

 しかし、2号機はもっと深刻な悩みをプルプルに植え付ける結果となったのである。

 それは、「ゴキブリ」である。どうやら2号機は、本州地方で使われていた冷蔵庫らしく、その体内にゴキブリの卵を、持っていたらしいのである。春先の有る日、2号機の前に、見慣れない生物が動いているのが、見えたのである。よーく見てみると、それは「ゴキブリの幼虫(成虫になるまえの羽が未だ生え揃っていない状態)」であったのである。「1匹見つけたら100匹はいる」と思えの「ゴキブリ」である。しかも、北海道には存在しないはずの「黒羽ゴキブリ」である。なぜ、ゴキブリの幼虫だとわかったかというと、昔、会社員時代に東京(実際には神奈川県のよみうりランドのふもと)の寮に住んでいたときに、ゴキブリには出会っていたので、その幼虫だとわかったのだ。

 それから、プルプルではゴキブリとの戦いが始まったのである。

 まず、わしが最初にやったのは、「バルサン」である。地下の空気の締め切った店内で、バルサンを炊けば、ゴキちゃんも一コロであろうと、考えたのである。しかし、考えが甘かった。

 「バルサン」の準備をして、店を密封し外に出た途端、ジリリリリリリリーンと警報機が鳴ったのである。

 火災報知気である。バルサンの煙を、火災報知気が検出して、通報してしまったのである。わしは、その場で立ちすくんだ。しかし、火災報知機を止めなければならない。まず、店の中に戻り、排煙口を開けて、換気扇を全開にして、ドアを開けっぱなした。煙は、徐々に消えて行ったが、警報機は鳴り止まない。10分位してからだろうか、警備会社の「S」の人が来て、「どうしました。」と聞いたので、わしは、「バルサンです。」と答えた。「S」の人は、「こういうのは、消防や警備会社に届出が必要なんですよ、気をつけてくださいね。」と言い残して去って行った。しかし、「バルサン」ひとつ届け出するために、店の仕事を中断することは出来ないので、別の手を考えることにした。

 わしは、ゴキブリホイホイとホウ酸団子やらを、2号機の回りに、置きまくったのだ。案の定、最初の頃は、2日に1匹くらいのペースで、ゴキブリホイホイに、面白いようにゴキブリが取れたのである。しかし、安心してはいけない。相手は、あのゴキブリである。繁殖でもされよう物なら、大変な事体になってしまう、幸いにも彼らは、気温が25度以上にならないと繁殖しない習性が有る。夏が来る前に、全滅させてしまえば、こっちのものである。幸いにも、6月の終わり頃には、全然ゴキブリホイホイにゴキブリはかからなくなっていた。その年の夏から冬になるまで、空っぽのゴキブリホイホイが延々と2号機の裏には備え付けられていたのである。我々の勝利だった。

 そして、次の年の春、朝 出勤しようとワシが、西屯田通りを歩いていると、なんと「冷蔵庫」が落ちているではないか。わしは、一瞬躊躇した。2号機の「ゴキブリ事件」が脳裏をかすったのである。しかし、次の瞬間、わしは、部屋に戻り車のキーを持ち出し、車を走らせ冷蔵庫を積み、急いで駐車場に戻ったのである。そして、店へ走って出勤したのである。朝の貴重な時間に、冷蔵庫を見る余裕など無いので、とりあえず現物だけをGETして、通常の作業を開始したのである。

 店の休みの日に、おもむろに3号機を運び入れ動作を確認する。立派に動くではないか。

 3号機は、NEC製の灰色のマシンである。製造されたのが96年と、非常に新しい。

3号機(プルプルの入り口に置いてある冷蔵庫)

 3号機の登場により、2号機は納豆格納庫の役目を終え、通常の冷蔵庫として機能し始めたのである。当時、新入りの3号機は納豆と挽肉の格納庫として、働き始めた。そして、現在もその過酷な業務をこなしているのである。当時、挽き割り納豆は、西屯田通りの百円ショップから購入していたのである。当時は、2〜3日毎に20〜30個購入するという方法を取っていたのであるが、現在はマルカワ食品から毎日、直接購入している。当時は、3号機の中を納豆で一杯にするため、3号機は常に納豆臭いと言う状況に陥っていたのである。しかし、現在は、毎日配達してもらえるようになったので、3号機の中が納豆臭くて仕様が無いと言うことは無くなった。それでも、納豆臭いのだけどね。

 4号機は、お客さんから見えない場所に有る。村上カレー店の物置、通常「裏」と呼ばれている場所に有る。

 4号機とわしとの出会いは、2日間に渡っている。雪の降る2月の夜ワシが、飲んで帰る途中、コンビニで発泡酒を買いこんでフラフラして歩いていると、3号機がそこにあったのである。ワシは、迷った。結構飲んでるけど、この冷蔵庫持って帰ろうかなー?どうしようかなー?迷った挙句、帰って寝ることにした。しかし、次の日、3号機はまた同じ場所で待っていた。ワシは、またしても迷った。冷蔵庫が、欲しくないわけではない。しかし、どうせなら、そろそろ本物の冷蔵庫を、買いたいところである。何時までも、拾った冷蔵庫に頼っていてはいけない。そう思い、3号機に後ろ髪を引かれながら、部屋に戻った。実は、3号機には大型ごみ処理手数料シールが張ってあったのである。要するに、それをもって帰れば泥棒である。3号機が落ちていたのは、わしの部屋から、20メートルぐらいのごみ捨て場である。帰ってシャワーを浴びながら、わしは考えた。新しい冷蔵庫を買うとしよう。そうすると、まー7〜8万円の出費は考えなければいけない。当時の村上カレー店は、キンゾーがまだ入る前で、スタッフ募集の張り紙を出していたのだ。しかも時期は、カレー屋には辛い「冬」を迎えていた。スタッフがひとり増えたとしよう。そうすると、それだけ経費が増えるわけである。人件費を払った上で、冷蔵庫を買ったら・・・・・・・。わしの給料が無くなってしまうではないか?実際、人を増やすたびに、冬の間にワシの給料が無くなる事体は、良く有ったのである。

 わしは、考え直した。4号機を拾いに走った。4号機を担いで、部屋の中に運び込んだのである。中を見てみると、かなり汚かった。しかし、もっと凄いものがあった。4号機は今時珍しい1ドア型の冷蔵庫である。昔の型らしく霜取りスイッチがついているのであるが、霜取りスイッチでは、どうにもならないほどの霜がびっしりとついていたのである。わしは、愕然としたが、全然ビビらなかった。そうである。もしかしたら、この冷蔵庫のおかげで、生活が楽になるのかもしれないのだから・・・。計画を練った。まず、暖かい所で、霜を全部、解凍してしまう。当然部屋の中である。霜が取れた時点で、内側と外側をきれいにする。電源を入れて動作を確認する。霜を取るのに3日間かかったが、4号機は立派に動作したのである。霜取り機構も立派に働いていた。この冷蔵庫の元の持ち主は一体どうゆう使い方で、霜だらけにしたのだろう?疑問が残った。4号機は現在、主に、米とスープストックの保管庫として、働いている。大型ごみ用のステッカーを貼ったまま・・・。

 4号機は、日立製の年代物の白いマシンである。

4号機(製造年月は不肖)

 5号機、これは「もらい物」である。5号機も、裏においてある。5号機は、実はケンのかみさんの持ち物であったのだ。ケンが結婚する前、円山のマンションへ遊びに行って、ビールをしこたま買いこんで冷蔵庫を一杯にしたときのあの冷蔵庫である。当時、ケンとケンのかみさんは、円山のワンルームマンションに住んでいたのである。たまに、日曜日の暇な時には、一緒に飲んだりしていたのであるが、その時は金が無いので一緒に部屋で飲もうぜって事になって、ビールと料理を持ち込んでそこで飲んだのであった。その時ワシがもって行ったのは、タンドーリ焼き鳥であった。作りかたは、非常に簡単である。普通に売っている冷凍の鳥串を買ってくる。タンドールチキンペーストを買ってきて、ヨーグルトと混ぜる。鳥串を解凍して、タンドールチキンペーストに漬込む。あとは、魚と同じように焼いて出来あがりである。タンドールチキンが好きな人には、この上の無い酒の肴になる。

 5号機は、ケンとかみさんが、結婚してからも数年間彼らの元で働いていたのであるが、子供が出来てから、さすがに大きな冷蔵庫が必要になってきて、ケン一家が、西屯田に引っ越してきたときに、プルプルにやって来たのである。ケン一家が、西屯田の「シャトー若葉」に引っ越してきたときに、ケンと二人でワシの車に載せて運んだのであるが、見事に入ってしまった。最初は、入るかどうか不安であったが、見事に入ってしまったのである。5号機は、2ドアの中型の冷蔵庫である。今まで拾ってきた小型の冷蔵庫とは話が違う。少なくとも、赤ん坊のいる3人家族で、何とか使用に耐え得る冷蔵庫である。

 わしは自信を持った。「このクラスの冷蔵庫までなら拾える!。」

 何とか車に積みこめれば、後はケンやキンゾーが何とかしてくれる。

 5号機は、現在プルプルの裏で、具材とスープストックの保管、冷凍カレーの格納庫として働いている。

 5号機は、サンヨーの90年製の白いマシンである。

5号機

 以上で、プルプルの全冷蔵庫の紹介が終わりである。

 しかし、現在ほぼ全ての冷蔵庫に隙間が無いのである。今でも、たまに売りきれという事体が発生してしまうのであるが、現在の冷蔵庫事情では、これ以上の生産は非常に危険である。「たくさん作ってあまらせれば良いじゃん。」と言う声もあるが、余ったカレーはどうするのか?その分のコストはどうするのか?など問題が大きいのである。コストを考えると言うのは、商売をやっていれば当然の悩みである。今は冬の終わりで、野菜が高くてコストを直撃しているときである。それにしても、今年の野菜の高さは、尋常ではない。

 店としては、閉店と同時に売りきれるという状態が、望ましいと思うのであるが、そんなに旨くお客さんが入ってくれるわけも無く。無駄を出さないようにそれぞれの店で、色々工夫しているのである。売りきれてしまうのであれば、もっと作ってもっと売りたいのであるが、その管理が難しいのである。

 あー冷蔵庫がもう1台欲しくなってきた。

 しかし、プルプルにはもう冷蔵庫を置くスペースが無いのである。店の中はもちろんのことではあるが、裏も非常に難しい状況である。冷蔵庫が落ちていても、拾えないのである。これから暖かくなってくるのに、非常に困ったことである。単純に冷蔵庫を増やすと言うことが、出来なくなってしまったのである。暖かくなるまでには、解決策を見出さなければならない。頭の痛い問題である。

 プルプルに「明るい未来」は有るのか?その鍵を握るのは実は冷蔵庫であった。

 危うしプルプル。(ってな感じですか?)

 それじゃ、また。

2003.3.23