東屯田人と山鼻人
芥川 健
俺、屯田人。もっと厳格に言えば、なりたてほやほやの、東屯田人。でもね、東屯田とは西屯田にいた頃からけっこう深く関わってたのだ。俺にちいさな子供がいなければ、西にいながら東とここまで関わらなかったろう。
ひかり公園、というのがある。東屯田通りと石山通りの中間にある、ちいさな公園だ。うちのかあちゃん(俺のかみさん。三十一歳)は今年、西屯田エリアにある七条公園を素通りして、天馬(てんま。男。二歳半)とともにひかり公園に通った。なぜかというと、縄張りだった七条公園に、今年おなじ年頃の子供が来なくなってしまったのだ。しかも、夜中若者達が暴れているらしく、木製の囲いが無残にも破壊しつくされ、おまけに挙動不審者まで出没する始末で、公園全体が荒廃した相を持つにいたった。親としてはやはり、友達ができやすい場所で遊ばせたい。そしてそこは、安全な子供達のための場であることが望ましい。そこで東方遠征とあいなったのだ。ひかり公園というシマに進出することを決めたのは、われらがかあちゃんだった。ひかり公園においてかあちゃんと天馬は、みるみる足場を固め、新興勢力とは思えない働きを見せた。結果、ひかり公園は我々のシマと呼んでさしつかえないほどになった。なにより、公園に集う子連れ東屯田人の皆様が、西屯田人である我々を温かくむかえてくださったおかげである。天馬の友達は飛躍的に増えた。ついでに、かあちゃんの真っ昼間からの飲み友達も、増えた。(この人達はもう、ほんとに平日の昼間から飲むわ飲むわ子供達は興奮しまくって騒ぎまくるわで、俺が家に帰るころには母親達はできあがっていててろんてろんに楽しくなっちゃってるし部屋の中はしっちゃかめっちゃかになってるわで、なんかもう、凄いのだ。悪いことじゃないけど、あきれる。なにより俺を仲間にいれないことが、腹立つ。日曜日にやれッ!)
さて、そんなこんなで我々の生活文化圏は圧倒的に東屯田に移ったのだった、西屯田にいながらにして。なにせ東屯田界隈を俺が歩いていると、地元の小学生に「あ、天馬パパだ! ねえ、どこ行くの」と声をかけられるのだ。「ああ、おじさんはねえ、酒を買いにいくとこさ」。なんてことが日常になると東に移りたくなってくる。そこで引越しをする決心を固め部屋を探した。第一希望は丸正付近だ。南十条までがベストである。不動産屋は東屯田らしく小鹿食堂となりの太陽宅建にお願いした。しかし、丸正付近はやはり高いのだ。自然、南に下って(坂だから気分的には上って)ゆくことになる。最終的に南十二条まで南下したところで、予算、部屋の間取り、環境、ともにベストと言えるアパートが見つかった。店まで歩くのは大変だが、馴れればなんてことないとそこに決めたのだった。
そのアパートだが、じっつにすっこぶる住み心地がよい。部屋が一階にあるので天馬が走ろうが飛ぼうが気を使わなくてよくなったし、南向き、窓でかし、で昼間あっかるいし、ひろいっちゅうのもよいし、なにより五棟ある系列アパートのベランダには漬物にする大根がだあああああっと干してあって伝統的な屯田臭を漂わせていてもう望むところ敵なしなのだ(望むところだ、と、むかうところ敵なし、をあわせたのであって、ボクはまちがってない)。ああ、いいところだ。俺はもう、少なくとも五年は引っ越してやるもんかッ!と堅く決意したのであった。ところが・・・・・。
新しい暮らしにも馴れ、天気の良い日曜日にそのへんを意味もなくぶらついてやろうかいと散歩にでた俺は、あることに気づいて愕然となった。それは、マンション、である。東屯田沿いに、新しいマンションが建っている。それも、ひとつやふたつではない。けっこうな数が建っている。俺が愕然としたのは、マンションが建っているそのことではない。そのマンションの、名前、である。
ラ・メール・ヤマハナ。ブルーシャトー・ヤマハナ。ノーザンコート・ヤマハナ。メゾン・ド・ヤマハナ。クリスタル・ハイツ・ヤマハナ。(以上すべて仮名)
ヤマハナ、やまはな、山鼻。すべて山鼻なのである。俺は愕然と憤慨した。おい、ここは東屯田だろうが、なあにかっこつけてんだよお。
ここで誤解なきよう注釈をはさみたい。俺の乏しい地域感覚のなかでは、山鼻地区イコール上流階級(ほんとめちゃくちゃですんません)というのが刷りこまれている。なぜか、というのは長くなるのではしょる。次に、山鼻地区というのがどっからどこまでか、という地理的知識に欠けていた(ずばり、俺が住んでるのは山鼻地区なのだ、と気づくのにそう時間はかからなかった。なにせ、そのあと山鼻小学校にいきあたったのだから。その向かいは山鼻公園である)。そして、山鼻地区と東屯田通りの歴史的知識に乏しかった(じつは今も乏しい)。簡単に言ってしまえば、俺はここいらのことをよく知らん、ということだ。したがって、なんたらかんたらヤマハナ、というマンション名を目にした時の俺の心理状態を言語化すると次のようになる。
「なんだなんだ、なにがヤマハナだこの野郎。おたかくとまりやがってこの野郎。ここは東屯田だぞこの野郎(ここで地理的致命的間違い)。ちょっと金があると思いやがってこの野郎。赤いボルボに乗りやがってこの野郎。ここいらまでおまえら山鼻人のシマにしようってかこの野郎(誤解と偏見に満ちた言葉、山鼻人ついに登場)。そうはいかねえぞこの野郎。ここいらは本来東屯田っていってなあ、庶民とヤクザの街なんだこの野郎(もうむちゃくちゃである)。山鼻人め、来るなら来やがれ、俺も東屯田人のはしくれだこの野郎。屯田魂を(なんだそりゃ)目にもの見せてくれるわ」
さて、今なら冷静に考えられる。まず、俺が住んでいるところは山鼻地区である。そして、これがでかいのだが、東屯田通りはあくまで通りの名前であって地域名ではないらしいということ。俺のなかに山鼻地区にたいして階級差別的偏見があったということ(いわく、高そうなマンションに住んでいる、赤いボルボに乗っている、奥さんが美人でサングラスをかけている)。この結果、正統的山鼻人、つまり庶民的でつい秋には大根干しちゃうような人達を東屯田人と位置付けてしまい、高層マンションにどっかから移り住んできた人達のことを山鼻人と名付けてしまったのだ(ほんとはエセ山鼻人。まあ貧乏だが俺もエセ東屯田人)。なにを言いたいのかよくわからなくなってきた。すまん。まあ俺はこれから階級の違う人達と戦うぞ、と。その人達は新しいマンションに住んでるぞ、と。金あるぞ少なくとも俺よりは、と。ちくしょう見てろよ、と。この野郎赤いボルボめ、と。絶対に、ぜぇーったいに俺のほうが楽しい人生を送ってやるんだもんね、と。
ちくしょうぐっちゃぐっちゃだが、以上貧乏人の遠吠えだったのだった。そして今年は終わるのだ。ゆく年、くる年、よいお年を。
2002年12月28日