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つれづれ日記 


2006.4~9



2006.9.19  つれづれなる5年

2006.9.26でこのputti’s roomも満5周年を迎えます。
盛大に花火を打ち上げたい所ですが、
この1年、ブログ(putti’s club)のみの更新で
つれづれも「はて、何回更新したかな〜?」って程度。
そこにきて、我家のPCが買い替えの時期に来ました。
もう、6年近くこのパソコンで、先ごろ、win Meはバージョンアップに対応しないとお達しが来ました。
ネットサーフィンをしていてもいきなりシステムダウンするしで。。。
もはや風前の灯火という我家のパソコンです。
パソコンを換えるにあたって、
このHPをどうするか?悩みどころですが・・・
膨大なデータを移行するには手間がかかり、
また、時代錯誤のビルダーをまたもどこからか入手してダウンロードする情熱もなく
しばらく、たぶん、(絶対・・・)ここは放置されると思います。

5年間、本当にありがとうございました。

2001年1月にパソコンを購入して、私はメールとネットサーフィンの面白さを知りました。
いろんなBBSをお邪魔して、楽しい会話をしました。
その春、あるボランティアでHP作成を学びました。
そうなると自分の居場所が欲しくなる・・・
最初は無料BBSを立ち上げ、仲間うちに声をかけ、井戸端会議「ほっヾ」を始めました。
身内だけでやり取りするうち、私のPC熱も高まり、
雑誌の付録でHPを作りました。
そして、公開。
写真の画素数を落とすこともできず、また、ダイヤル回線も手伝って、
私のHPの写真は何十分も放置しないと見れないものでした(笑)
少しずつ技術もあがり、また、光到来などでやっとまともな?HPが完成。
4年間、ビルダーの力を借りて、セッセとつくっていたHPですが、
世の中はブログブーム・・・流行に弱い私はそこに飛びつき、ブログ(putti’s club)を開設。
そうなると、作業が面倒なHPは疎かになります・・・
そうやって去年1年が過ぎました(笑)

HPを始めた頃の私は自分の趣味であるガーデニングや読書、料理、雑貨類のHPを渡り歩き、
手作りの小物などを収集し、HP主さんとお友達になる日々を重ねていました。
センスの良いHPに憧れ日々精進していました(爆)
同時に大好きだった(過去形?)役者さんのHPで親交を深め、
たくさんの同士と知り合いました。
後にリアルな関係と発展して、今では欠かせない頼りになる友人達です。
そして、昨年の春、降って沸いたように私は恋に落ちました。
生涯、こんな想いをまた味あうわけはない。と思っていただけに
自分でもとまどいの日々でしたが、
口を開けば彼のことばかり話したがる自分に愛想がつきて、
HPで彼の話を封印する為、別の彼の頁を作りました。
そしてそれが今では人気ブログ(LBHを語ろう)と発展しています。

私はネットが大好きでたぶんこれからの一生も
ネットがない生活は考えられないと思います。
それは、私が私でいられる場所だからです。
自分と向き合える時間だからです。
生活の中で母や妻の役割をこなし、自分を省みないことも多かった日常にPCが訪れ、
そこにまったく新しい世界が広がった。
私は私の部屋をそこにおき、そこから発信し応えた。
そんな部屋、putti’s roomを訪ねてくれた皆様、
本当にありがとう。
私が5年もputtiでいられたのはひとえにココを訪れてくれた方がいたからです。

形は変わっていくかもしれないけれど、puttiは永遠にputtiのままで
ネットの中で生きていきます。





2006.5.16  キャプテン

バッテリー(あさのあつこ著書)を読みました。
中学生の天才ピッチャーとそのキャッチャーを主役にしての野球部員の話。
6巻まであるので最初はバッテリーを組む二人の話が中心なのに、
最後は卒業する先輩や他校の選手の話ももう1つの主軸となります。
読みながら自分の中学時代がオーバーラップされて来ました。

私はバスケット部でした。
運動神経が抜群に良い友達と二人で入学と同時にすぐさまバスケット部に入りました。
小学校でちょっとだけバスケットをやって試合の経験もありました。
凄く生意気でそしてそこそこ上手だった私たちはすぐにユニフォームをもらい、
試合にも出るようになりました。
2年生になったときはもう私たち中心のチームになっていました。
中2の夏、キャプテン決めがありました。
たしか男女混ぜての部員全員の投票だったと思います。
私がキャプテン、運動神経抜群の彼女が副キャプテンに選ばれました。
未だに私はちょっと疑問があります。
果たして公平な投票の結果だったんでしょうか?
女子の票はともかく男子票はコーチ(兼監督)が予め根回しして
私に投票するようにしむけたんじゃないだろうか?
キャプテンの背番号は「4」
彼女の背番号はたしか「8」
コーチは自分が学生時代につけて思い入れのある背番号「8」を彼女に着せたのです。
コーチは彼女をのびのびプレイさせたかったのではないでしょうか?
キャプテンの重圧とか与えず、エース選手としてだけプレイさせたい。
そう思っていたんではないでしょうか?
彼女は抜群に上手い選手でした。
彼女は中学を卒業しても高校、大学とバスケットをつづけ、
全国でも通用する選手になりました。
今も選手育成に励んでるはずです。
そんな彼女とバスケットをやった日々をこの「バッテリー」を読んで思い出していました。
そして、キャプテンをやった自分も思い出しました。
私は身長も低いしポイントゲッターでもないのでTOPにたっていました。
私のリードで皆を動かし、そして彼女へのパスでゴールを決める。
そういう形のバスケットでした。
一度だけ練習試合で私がめちゃくちゃ調子が良い日があって、
ゴールもことごとく決まるという試合でした。
その試合の彼女はめちゃくちゃでいつもの彼女ではなかった。
彼女の中での私はどういう立場だったんだろう?
今でも考えます。
もしかすると(実力や才能では比較にならないほど、彼女が上ですが)
ライバル視してたのかな?

バッテリーの主役「功」は天才です。
自分は誰にも負けない。と信じています。
天才型のプレイヤーというのは自分が負けることが信じられない。
だから、自分が思いも寄らないことがあるとめちゃくちゃになる。

私は天才とはかけ離れた所へいるので、そういうことにはならない。

中学卒業した時にコーチに手紙を貰いました。
(卒業部員全員に毎年手紙を書いてるようでしたが)
その手紙に「最高のキャプテンだった」と書かれていたと思います。





2006.4.5~9  GUAMつれづれ

 
putti家、この度、6年ぶりに海外へバカンスへ出かけました。
バ、バ、バ、バカンス♪ってスマップが唄ったのは去年・・・
私は飛行機が苦手だし、英語が喋れないので
何が何でも海外旅行!!!というタイプじゃありません。
だから、これまで行った先も(独身時代を含め)
グアム、サイパン、香港、韓国と全部近場。
海外旅行を検討するのは渡航時間4時間以内に限るとショボイのです(笑)
今回はグアム。
私は結婚式がグアムだったので(新婚旅行兼)これが2回目。
渡航時間、予算と兼ね合わせて検討するとどうしてもサイパンかグアム当りしかいけない。
私は時節柄(どんな???笑)韓国でもぜんぜんオッケーだったのですが
家族が付き合ってくれるはずも無く(興味すらないし 笑)
6年前がサイパンだったので今回はグアムにしました。
ロタとかテニアンとかも考えたんだけどね...

どうして、バカンスするに至ったかって?
(えっ?誰も聞いてない???)
要因は、娘。特にputti子2.
長い休みが明けるとお友達からハワイだのサイパンだのお土産を貰ってきます。
当然、娘も貰う側からあげる側になりたいわけで
「2ちゃんも行きた〜い」となるわけです。
それに6年前のサイパン旅行の写真を見るたび、
「また、行きたい」と想いは募ります。
それと一昨年バイトを始めるとき、
お金が貯まったら旅行に行こうね。等と話したような?
それを真に受けていた2は
事毎に「お母さんはグアムに行く為に、バイトしてるのよ」と風潮していました。
かなり貧乏臭い娘です...
それに「今度グアムに行ったらお土産買って来るね。」と
遠い将来のことをまるで明日行くかのように友達に約束するしまつ。
早く行かねば、2が狼娘と呼ばれるーーーと母は心配したのです・・・
それで、この春休みに行ってきました。

1日目
3時半起床4時半出発(けっきょく5時頃になったけど)で成田へ車で向います。
2時間で成田到着。
割とスイスイ手続きが終わり、搭乗。
グアムまでは渡航時間3時間半、時差は1時間。
機内食はチンケなパスタランチ。
でも、カクテルとスパークリングワインなぞ飲んで私はご機嫌♪
機内誌をペラペラめくって時間つぶし、
なんとチャン・ドンゴン氏のインタビューが・・・
あ〜、同じ韓国アクターならイ・ビョンホンにしてくれって言うの。
でも、ビョンホンが載ってたら機内誌をたくさんお土産にもって帰る羽目になったから
まぁ、良し。としよう。(わけわからん・・・)
グアムには現地時間14時35分に到着。
グアムってアメリカじゃない。(当たり前のこと言うなって)
テロ以来入国が厳しいらしく、指紋と写真を全員撮られるよ〜知ってた?
(わずかな時間で終るけどね)
私が指紋を撮られている時、その検査官ずーと側の女の人と喋ってた。
もし、私がマフィアのボスの愛人だったらどうするんだよって!!! ?

そこから、バスでホテルへ直行。

ホテルの部屋からプールとビーチを眺めたら、
娘達はすぐさま、水着へ着替えてプールへ。
私の水着姿は明日まで取っておくことにして、
ビーチサイドでただボーっとしていました。

2日目
ひたすらプールとビーチで遊ぶputti家。
今日は私も水着へ着替えて、海に入ったし、ウォータースライダーもやったし。
プールからあがる時、自分のあまりの姿に
「おかあさん、トドみたいだ」って娘に言ったら、
娘が「いや、太ったペンギンみたいだよ」って???


ペンギンって「太った」って形容詞つけなくても充分ふっくらしてますけどーーー
ウエストが締まったペンギンなんて見たことないぜ。


3日目
オプショナルツアーで「ココパームガーデンビーチ」へ
グアムの中心地から車で40分位のプライベートビーチ。

さすがに綺麗〜、私みたいな素人にも絵葉書みたいな写真が撮れます。
波打ち際でも魚がたくさん泳いでて、
そこはニモもドリーもいるし、ウニもいる(美味しそう〜?)
シュノーケルつけてちょっと覗くだけで目の前を魚がスイスイ。
足にツンツンなんて感触。。。ヒエッ!
ランチにアメリカンなハンバーガーやポテトを食べて2時までたっぷり南国のビーチを満喫。
娘や夫はカヤックもやってずーと太陽の下。。。
ホテルに3時頃帰って来ました…

ここから、ある意味、地獄の始まり〜
私を除く3人...夕方から真っ赤に日焼けした肌に七転八倒。
機械仕掛けの人形みたいな動きです。
それでもホテルの最上階のラウンジで食事をして
どっちが日本だ。とか・・・くだらない話をしながらウマウマと食べて飲んで3日目の夜を終えました。
さて、明日の最終日は海やプール以外で遊びましょう。なんて話していたのに。。。

4日目
私以外の3人組、もはや起き上がれないほどの日焼け。
これは日焼けではなく火傷です。と私は言ってやりました(笑)
だから、日焼け止めをもっと塗れ。って言ったのに、
少しは日陰で休め。って言ったのに・・・
4日目はただホテルのベットでウトウトしながらアメリカンアニメをみ続ける日となりました(私以外)。
私はしめしめと1人タクシーでDFSギャラリアへ(大型免税店ね)。
念願のグッチのお財布を買ってニンマリ。
ABCマートで雑貨類を捜して遊んで・・・
ホテルへ戻ったら、ラウンジでネットサーフィン。
ある意味、一番楽しかった私の4日目。ルンルン。
パソコンで検索する時はputtiでROOMもCLUBも出てきますよん♪
一日中、ホテルの部屋にいた残り3人組を誘って(笑)
夜はサンセットビーチバーベキュー。
ファイヤーダンスのパーフォマンスショウが楽しくて、
何にもしない4日目もけっこう充実してました。

5日目
午後の便で成田へ帰国です。
午前中、丸々暇なので、お土産探しにチェックアウトの後、ギャラリアへ。
13:50分ホテル出発まで、プラプラしてました。
13:30分頃、ホテルに戻ってきて、ロビーで待つこと1時間、
さすがに心配になってツアーデスクを訪ねてみることに、
最重要と書かれたプリントをおもむろに見ると出発13:10分!!!
ツアーデスクのカウンタに駆け込み、「puttiです」
「putti家様、お探ししてたんですよ」と引きつった顔のカウンター婦人。
「ちょっと待ってください」と電話をとり、
「えっ?タクシー?バスがくる?タクシー?」とご婦人慌てて話してる。
「ちょうどバスが来てます。すぐ、乗って下さい」と
家族4人ダッシュでバスに乗り込みます。
そのバスは違う色のタグをつけた人の集団・・・
空港で搭乗券を持たないのは私たちだけ。
「何にも心配しなくて良いよ」みたいな笑顔の現地ハンサム添乗員が
優しく搭乗券を渡してくれて事なきを得ました。
1時間も遅れて空港へ到着したので待ち時間も無くスムーズにチェックインして搭乗して帰路に着きました。
ハハハハッ・・・
こんなオチでごめんなさい。
今回の旅、私の仕切りで動いてました。
出発時間を13時50分と間違え、言い切っていたのも私です。
深く反省しております。
ホテルロビーの騒動から飛行機の中まで大して何にも言わなかった夫が
空港から家へ向う車の中で
「puttiちゃん、飛行機、間に合ってよかったね。
また、一生話が1つ増えたね」とポツリと言いましたとさ。


「もう、自分のことが信じられない」







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