女伊達 吉原の大通りで繰り広げられる女侠客と若い衆たちの力と色の立ち回りを踊りで表現したもの。
今回初めて時蔵さんを見ました。いやよかったです。
登場からしてゾクゾクしました。
派手な色町の景色を背景にして、せりから舞台へあがってくる三人の粋な侠客たち。中央に時蔵さん扮する女侠客、その両側に男の侠客が格好つけている。「よっ!」と声をかけたくなるようなその風情。形も決まって本当にカッコいい。
博多帯締め、背中に尺八をさした男勝りな姿で、両横の男どもをいとも簡単にあしらっていく。
途中、ちょっと色っぽい仕草で男の気を引いてみせたと思ったら、プイと袖にしてみたり、立て引きを演じてみたり。
すると、舞台には男侠客の手下どもなのか、大勢の男衆がなだれ込んできた。時蔵さん扮する女伊達はこれを難なくかわしていく。蹴散らされた男たちが「参りました」とばかり、手に持った傘を開くと、そこには「よろずや」の文字。(時蔵さんの屋号です。)いや、なんとも粋な演出です。
女伊達を踊る時蔵さんは、女っぽい女形でななく、男が演じていることを強く意識させられる女形でして、言葉は悪いけど、ニューハーフっぽい味がありました。それが帰って女侠客の風情に合っていてカッコいいのです。とくに"こういう系統"が大好きな連れは大満足している様子。何度も「ええわ〜」を連発しておりました(笑)。
男たちがさし掛ける「よろずや」の傘の内で、黒っぽい着物から、淡いクリーム色の波柄の着物への引き抜きもあり、見ている方を飽きさせない。最初から最後まで粋で仇っぽく、ゾクゾクするようなカッコいい舞踊でした。
義経千本桜
この日演じられたのは「木の実」「小金吾討死」「すし屋」の三場。
ゆすり、たかりで人様のお金を騙し取る、"いがみの権太"を仁左衛門さんが愛嬌たっぷりに好演されてました。昨年(2002年)こんぴら歌舞伎でこの役を初演し、上方風の独自の演出で好評を博したとか。仁左衛門さんの工夫は、すっきりとスマートな江戸風の演出とは一線を画して、言葉も上方ことばを用い、より庶民的で泥臭い少悪党に仕立てたということです。
話の筋は、悪党の"いがみの権太"が最後には真人間に戻って死んでいくというもの。
三場のうち、私は「木の実」が一番「好み」でした。(笑)
「木の実」
普段はあまり演じられることはない場面らしい。でも私はこの場面がとても気に入った。この場面を復活させた仁左衛門さんはすばらしいと思いました。
時は鎌倉時代。
平家の武将、
三位中将維盛の妻、若葉の内侍(扇雀)その幼い嫡子、そしてそれを守って同行する若侍小金吾(愛之助)が落ち延びていく道すがら、ひとつの茶店に立ち寄る。
茶店を切り盛りしているのはいがみの権太の女房小せん(秀太郎)
。道中難儀しているこの妻子にすっかり同情する気立てのいい人なのだが、そこへ現れた亭主の権太(仁左衛門)は妻子に難癖をつけて20両の大金を脅しとってしまう。
悪いヤツなんだけど、どこか愛嬌のある仁左衛門さんの演技が最高。
女房の小せんはこれをさんざんに嘆くが、当の権太にその思いは一向に届く気配がない。
元々大店の跡取息子だった権太だったが、郭通いの挙句、そこの遊女だった小せんに入れ揚げた挙句、勘当された身の上だった。今では人様の懐を狙い、ゆすりたかりを生業にしている始末。それもまったく悪びれることがない。それどころか、
「今度は、わいの母かぁのへそくり、いてこましたろか。」
と、言い出し小せんを悲しませる。
しかし、息子にはデレデレのお父ちゃんで、そのあたりのやりとりがとても微笑ましい。芯からの悪党でないことがここらあたりで垣間見ることができるのです。
「ほ〜ら、よく見てみぃ〜、こないするんや……」と、一人息子にサイコロを投げさし、博打遊びをしようとするところを、女房の小せんが慌てて止めさせるシーンなどほのぼのした味がある。
女房役の片岡
秀太郎は、仁左衛門さんの兄で、女形の役者さんなのだが、私は声があまり好きではななかったのですが、今回の役柄にはぴったりと合っていて、非常によかった。この人は絢爛豪華な遊女とか、高い身分の人よりは、庶民の役とか世の中の酸いも甘いも知り尽くしたような役柄が似合うと思った。
一番印象に残っているシーンはこの幕の最後で、花道から子供を背負った権太と小せんが家に帰るところ、小せんに先に立って歩いてくれとせがむ、そして、
「ちょこっとおれを振り返ってみてくれよ。」
「まあ、何言うてるんや、おまえさん。」
「いいから!
恥ずかしがることやいやないかぁ〜。」
かつては遊女であった小せんは今もその色気が残っている。なおも前を向いたまま歩き出そうとする小せんに、権太はいたずらっ子のように着物の裾をめくり上げた。
「もう、何をするのや」
と思わず、振り返ってしまう小せん。それを指さして権太が、
「ほうら、こっち向いた〜。」
と大喜びする。
夕暮れのほのぼのとした空気が舞台に漂い、一家三人が仲良く花見を帰っていった。
「小金吾討死」
打って変わって、ここの場面は、若葉の内侍(扇雀)その幼い嫡子を守っていた若侍小金吾(愛之助)が壮絶な最後を遂げる場面。権太に路銀を奪われた後、三人はバラバラになってしまう。やがて、追っての鎌倉方の役人に取り囲まれて小金吾(愛之助)は大立ち回りの末に、深手を負い苦しんでいたところ、若葉の内侍(扇雀)親子に再会する。この傷では生き延びるのは無理と悟った小金吾は、自分もすぐ後から行くからと嘘をつき、親子を先へ落ちさせて、その無事を祈りながら一人死んでいく。
そこを通りかかったのが、権太(仁左衛門)の父親、鮨屋弥左衛門(弥十郎)。何を思ったか小金吾の首を落として自分の羽織に包んで持ち帰っていく。
「すし屋」
権太(仁左衛門)の父親、鮨屋弥左衛門(弥十郎)は、実は若葉の内侍(扇雀)親子の夫であり、今は鎌倉方から追われる身である三位中将維盛(時蔵)をこっそり匿っていた。かつて維盛の父に大恩を受けておりその恩に報いるために彼をかくまっていた。そして、維盛は弥助と名を変えて、店の使用人に姿をやつしている。
先ほどの、小金吾の首をすしの桶にそっと隠して、何食わぬ顔で商売を続ける弥左衛門はいわくあり気だ。実は、町の庄屋や商人たちとともに役人に呼ばれた弥左衛門(弥十郎)が、維盛をかくまっているのではないかと厳しい詮議を受けた。そこで
そして、そうとは知らず娘のお里(孝太郎)は弥助(実は三位中将維盛/時蔵)にぞっこんだった。
この場面の前半の見所は、孝太郎演じるお里の恋心を描いた場面。片岡
孝太郎さんは仁左衛門さんの長男で、女形の役者さん。母親似で仁左衛門さんの容貌を引き継いでないのが少々残念に思っていたのですが、何と言ってもこの人は声がいい。
「さあ、さ、一緒に寝ましょう。」とうれしそうに布団を敷いて弥助に迫るお里の、一途でしかも色恋に大胆な娘心を演じた孝太郎さんの演技は、大変可愛らしくて、素晴らしかったです。
そのお里がぞっこんな弥助(実は三位中将維盛)は先ほどの仇な女伊達を踊っていた時蔵さんが、今度は立役で演じている。姿は男だけど声の出し方が女形のえらくかん高い声だったのが少々面白かった。大変品のいい顔立ちで、高い身分の人を演じるとその品格が際立って見える。
そこへ、長男の権太(仁左衛門)が帰ってくる。狙いは母親のへそくり。
権太(仁左衛門)は言葉巧みにうそをついて、へそくりをせしめることに成功する。母親のひざに甘えて擦り寄る仁左衛門さんの演技は、いかにも大阪の道楽息子といった感じ。やわらかさと愛嬌がある。
権太(仁左衛門)はまんまとせしめた母のへそくり20両を、すし桶に隠しておいて置く。このとき、父親の弥左衛門(弥十郎)が隠した
首入りのすし桶と入れ違いになってしまう。
さて、久々に自分の家に帰った権太(仁左衛門)は偶然、父親が三位中将維盛(時蔵)をかくまっていることを知り、さらに大きな金になる話が舞い込んできたことに喜ぶ。権太(仁左衛門)は母からもらった20両が入っていると思い込んで、生首の入ったすし桶を持って、急いで家を飛び出していく。
権太の訴出で鮨屋弥左衛門(弥十郎)の店へ役人である梶原景時(我當)がやってくる。きらびやかな衣装。そして多くの役人を従えての登場で舞台はクライマックスを迎えていく。
景時(我當)は威圧的に、首を差し出せと迫る。そこへ権太(仁左衛門)が若葉の内侍とその子を縛り上げてやってくる。所持していた首を維盛の首だと言って差し出すと、景時(我當)はそれを確かに維盛の首だと確認して、妻子を引っ立てて帰っていく。
実は、その首は維盛(時蔵)の首ではなく、父が持って帰った小金吾の首であった。そして妻子と思ったのは権太の女房と子供だった。20両が入っていると思い込んでもって帰ったすし桶の中に入っていた首を見て、父が命をかけて維盛を守ろうとしていることを知り、これまでの親不孝を詫びて真人間になるために打った芝居だった。
そうとうは知らず、てっきり権太が金欲しさに維盛(時蔵)を討ち、妻子を売り渡したと早合点した父弥左衛門(弥十郎)は怒りに打ち震えて息子の権太を刺してしまう。
苦しい息の下からすべてを話す権太に、弥左衛門は早まったことしきりに苦やしがる。弥十郎さんは平成中村座以来大好きな役者さんになったが、今回の厚みのある演技もまたすばらしいと思った。
権太は父、母、妹、そして維盛親子に見守られて息絶える。維盛は頼朝が自分を見逃そうとしている真意を悟り、髻を落として出家する意思を告げる。
そして、仁左衛門さんの権太は、どうしようもない悪い息子でありながら、甘えん坊で、可愛いやつ、いじらしいやつで、最後は役人を出し抜いたつもりが、実は嘘が見抜かれていて、逆に役人に使われただけだったりして、どうにも哀れなやつなんだけど、そこのところが、すごくうまくハマっていて、哀れさを一際誘うのでありました。役者が大きくなると役も大きくなることがあるのだけど、仁左衛門さんの権太はあくまでも等身大の権太でした。そこがすばらしいと思いました。
さわやかなお芝居でした。
(おわり)
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