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●物語(歌)にまつわる月の表現
小倉百人一首
(歌仙) new
歌行燈
(泉 鏡花)
●つき物語
童話「お月さんとかじか」 (moon2)
「小倉百人一首」 歌仙
百人一首の中に見られる月に関する歌の数々。
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夏の夜は
まだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ <清原深養父(きよはらのふかやぶ)> |
月見れば
千々に物こそ 悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど <大江千里(おおえの ちさと> |
<通釈>
月を眺めていると、いろいろさまざまに物悲しいことだ。自分ひとりだけの秋ではないのだけれど。
天の原
ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に出でし月かも <安部仲麿(あべのなかまろ)> |
<通釈>
大空をはるかにふり仰いで眺めると、月がでている。あの月は昔、故郷の三笠の山に出た月と同じものか、ああ、恋しいことだ。
朝ぼらけ
有明の月と見るまでに よしのの里に降れる白雪 <坂上是則(さかのうえのこれのり> |
<通釈>
夜明け方、有明の月が照らしているのかと思うくらいに吉野の里一面に降っている白雪よ。
「おまけ 」 moon2
年の瀬や
ほんのりぬくい 月の顔 |
年の瀬の30日、寒波がやってきてとびきり寒い夕暮れ時、家を出て駅まで急いでいると、背中にふと月の気配を感じて振り返ると昇ったばかりの満月が……。月のまわりににじんだように光が差し、そこだけほのかにあったかいような感じがして思わず自己流俳句を詠みました。
「歌行燈(うたあんどん)」
泉 鏡花作
冬になると読みたくなる、あまりにも美しい短編小説。月の冴えわたる、凍てつく桑名の夜に繰り広げられる物語。意味の分からない箇所も多かったりして、私にとっては読むのに大変骨が折れる作品なのですが、分からぬなりにもその言葉の韻の美しさたるや、黙読が惜しいほどのすばらしいものです。
(岩波文庫ト書きより)
冬の桑名の月の夜、うどん屋の店先で酒をあおる若者は、なぜか夜空に響く按摩の笛に怯えている。やがておかみを前に三年前の因縁話を語りはじめた同じそこ頃、旅宿湊屋では、稽妓三重がニ老人に薄倖な身の上を明かしていた。二つの物語の交錯が優艶な陶酔境を現出する鏡花一代の傑作。
では、月にまつわる表現を2、3挙げてみます。
あれ聞け……寂寞(ひっそり)とした一条廓(ひとすじくるわ)の、棟瓦にも響き転げる、轍の音も留まるばかりに、灘の波を川に寄せて、千里の果ても同じ水に、筑前の沖の月影を、白銀の糸で手繰ったように、星に晃(きら)めく唄の声。
門付けの青年が、博多節を流して歩く。声の良さ、謡の素晴らしさが月明かりの宿場町を背景に浮かび上がるような表現です。
と二台がちょっと摺(す)れ摺れになって、すぐ旧(もと)の通り前後(あとさき)に、流るるような月夜の車。
旅の二人の老人の乗った二台の人力車が、人気のない月夜の宿場町をひた走る様表現している。
お月様がちょいと出て松の影、
アラ、ドッコイショ、
と、沖の浪の月の中へ、颯(さ)っと、撥(ばち)を投げたように、霜を切って、唄い棄てた。
伊勢の宿場町を門付けて歩く青年の見事な唄を表現しています。涼しい目もとの粋なオア兄さんを思わず連想してしまう。
月は片明りの向こう側。狭い町の、ものの気勢(けはい)にも暗い軒下を、からころ、からころ、駒下駄の音が、土間に染み込むように響いてくる。
軒が廂(ひさし)を寄せ合うような狭い廓に、月あかりが差し込むところと、軒下の暗い影のところがあるのでしょう。その暗い軒下から、座敷に呼ばれて通う芸妓の下駄の音が、凍てつく夜にほんのりとした情緒を漂わしています。
小夜更けぬ。町凍てぬ。何処としもなく虚空(あおぞら)に笛の聞えた時、恩地喜多八は唯一人、湊屋の軒の蔭に、姿蒼く、影を濃く立って謡うと、月が棟高く廂(ひさし)を照らして、渠(かれ)の面(おもて)に、扇のような光を投げた。舞の扇と裏表に、其処でぴたりと合うのである。
何処からともなく聞える鼓の音色。駆け出してその音のする屋の前へ来た。中で舞う三重の舞扇と、外に立つ男の額に差す月明かりが、ぴたりと合う。それは、縁がありながら、別々の人生を生きて来た登場人物を、月の光を介してひとつに重ね合わせているかのようで、唸るしかないほどの美しい表現です。