をことば14:たいふう(10/12)

前回からさらにまた、間隔があいてしまった。

でも今回は緊急です。
のわりには遅めのネタになっちゃうんですが。

タイトル通り、「台風」の話です。

先日、戦後最大級と言われた「台風21号」が、やってきて、結構な被害を出してくれたまま消滅しました。

TVで見ていても、自分のところが目に見える被害がなかったせいか、「そんなに大きいの?」と思ってしまっていたのですが。

大きな間違いでした。
反省しています。

短大時代の友達に、実家の仕事を手伝う形で農業の仕事をしている子がいます。
この前メールが来たので、台風一過の状況を聞いたところ、驚いてしまいました。

ナスが一晩ですべて枯れてしまい、納屋もビニールハウスもねじれて崩壊してしまったとのこと。

メールからの様子では修繕に大わらわのはずなのに、「笑」の文字が出るくらい明るさすら感じられるため、読み終えたあとはしばし呆然としてしまいました。

元々が明るい彼女。
きっと「笑顔」で天災の爪痕からも立ち直っていこうとしているのでしょう。

だけど、都心にいる自分は、そんな状況すらも想像も理解もできないくらい、コンクリートとアスファルトに包まれてがちがちに護られてしまっている。
フィルターを通してでしか、物事を判断できない自分がいる。
いや、いた。

−あぁ、まだまだだな。
自分は全然まだまだだな。

あたりまえだろう。
だけど、同じ年くらいの友達が置かれている状況すら、考えもしなかったなんて。

彼女の「強さ」に直面したことで、自分のあらゆる反省すべき点が見えてくる。

あぁ。
弱いな、私。

いつかきっと胸を張って「済んでしまったこと」を笑顔で越えていけるようになりたい。

他人の痛みを「理解」しろっていうことは、無理だと思う。
だけど「理解」しようとする努力や、必要だと思われる手助け、それも押しつけないような手のさしのべ方をすることに関しては、少しずつでもできるんじゃないか。

常々思ってきたことは、「ボランティア」って、自分が「裕福」だと思っている人ほど、「妙に(ここがポイント)」やりたがる傾向がある。
自己満足でやる「ボランティア」は、受け止める側にとっては「しあわせ」ではないんじゃないか。

だって、嫌じゃない?
自分に対してやることが恩着せがましかったり、自分本位で高飛車な態度で親切心を振りかざしたり、そんな態度で会話などのコミュニケーションをして欲しい?

日常生活で、そういう人たちって、陰口のネタになりません?

だから、今回の台風では、「お見舞い」しか言えなかった。
それ以上も、それ以下も、「今の」私には何もできやしない。

何を言っても「なぐさめ」や「気休め」にしかならないなら、そんな言葉、言いたくなかった。

だから、今度彼女に会った時には、教えてもらった「強さ」のぶんだけ、私が「なにか」を返すことができるように、考えることにした。

ごめん。
友達としては失格かもしれないけど、今度また、会おうね。
また、遊ぼうね。

それまでは、私も「なにか」できるように努力するから。

最後ですが。

−今回の台風で被害に遭われた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。