をことば20:出せなかった手紙(11/6)

お久しぶりです。

先のメールの件ですが、私は賛同できません。
なぜなら、私は日本人的なボランティアを非常に嫌っているからです。

TVを見ていて、「あぁ、みんな裸で過ごしていて、かわいそうだから」と言って、服を贈る。
報道で「この地域では現在食糧が不足しています」と言って、食料を贈る。

相手の国の文化は、日本人とは全く違う。
それを理解しての行為ですか?と。

服って、必ず着ていなきゃいけないもの?
食料って、世界共通で同じものを食べていなければいけないもの?

人の心って、自分と全く同じ考えでいなければいけないもの?

食料も「ないと言えばくれる」という考えで、海外のマスメディアを確信犯的にあおる国もある。
お金も同様。
それより「自分たちの状況」と「相手の状況」が同じにならないと、相手は「不幸」?
そう、考えていませんか?と思うのね。

はっきり言って、やみくもな行為は、親切じゃなくて、押し売りだと。
解っている人が、本当に少ない。

たとえばの話。
ちょっとお金が少ないだけで、でも精神的にはしあわせなおうちに自分がいるとして、見ず知らずの人から「これ使って」って、いきなりお金やら衣類、食料などをもらったら、どんな気分?

「しあわせ」って、「モノ」で補えるんだって思っちゃったら?
「しあわせ」って、「お金」があることなんだって思ったとしたら?

それまで精神的にしあわせだった「きもち」は、どこに行ってしまうんだろう?

「モノ」があふれているから、「モノ」があることがあたりまえだから、わからない「きもち」。
ボランティアをしようって考える前に、そのことについて振り返る必要があるんじゃないかな。

自分は絶対にボランティアできるほど、心の広い人間じゃないって思っている。
その理由はこういう考え方をするから、ではなくて、「本当に大切なモノは、自分で考えたモノ以外にない」からだと思っているから。

だから排他的な考え方に結びつくとは思うけど、でも相手の環境を考えもせず、やみくもに行動するのは「好意の押しつけ」以外の何者でもない。

ほんとうならこのメールの存在意義さえ、否定すべき。
自分の考えを押しつけていると思われても仕方ないし。

相手のことを一方的に思いやる前に、自分自身の環境をきちんと固めること。
うすっぺらいまま、なんかやっても、うすっぺらい評価しか来ないよ。

友達なくしそうな意見で終始したけど、私が協力できない理由がわかってもらえればいいです。

それでは。

−−−−−−−−−−ここまで(原文のまま)。

メールを送らなかったのは、事実。

発表したのは多分時効かな、ってのと、現在のアレな状況にマッチした内容かと思って。

根本的に自分に言い聞かせるため、書いた文章なのかもしれないな、って思った。

そして。
自分は無力だって事を、言いたいだけなのかも知れないし、単なる自己満足なのかも知れないな、とも。

所詮、Webでしか表現していない感情、ってことで一瞥されるようなモノなんだろうけど。
無限ループしても、否定されても、仕方ないかな、と思っている。

結局日本人のイメージする「ボランティア像」がだいっ嫌いだってことは、変わらないから。