をことば8:卒業のおはなし(3/31)
・・・もう時効だよね?
なんて物騒なセリフはおいといて。
本当は、20日のをことばにしようと思っていたんですが。
時期をはずしたんじゃなく、このネタを思いついたことを忘れていました。
でも大丈夫。
思い出したから♪
では本題。
私は短大を×年前に卒業しました。
その後去年、別の大学を卒業しましたが、その時の想い出よりも、短大の卒業式の話ばかりを思い出します。
それはなぜか。
思い出話を致しませう。
私の通っていた短大は、大学の一学部的な存在としての短期大学部、という形だったので、ほとんど大学の授業や校舎、施設や活動内容も一緒でした。
なんで大学の方に編入しなかったかって?
あっさり落ちたんです。(泣)
というわけで、就職先も決まっていない中での卒業式でしたが、自分の中でも短大の卒業式は大切な日、という思いは強かったんです。
せっかく仲良くなった友達とは、離れてしまうし。
サークルのメンバーともさよならになるし。
気合いを入れて、母の着物を借り、着物屋さんでレンタルした袴で行くことにしました。
珍しいです。私が服装を気にするなんて。
大学の卒業式ですらえんじ色のチャイナ風ワンピースだったのに。
父親も自宅前で娘の写真なんて撮っちゃったりして。
注:私は二人目の子供だったので、一人で撮った写真の枚数は尋常じゃないくらい少ない。
母親も朝イチで「袴なんて着付けたこと無い」なんて言いながら着付けをしたりして。
朝8時半。
式は11時開始なのでそろそろ行こうか。
なんて言っていた頃。
事件は起きた。
春休みだった兄の部屋で点いていたTVで見たものは。
毎朝恒例の朝のワイドショーで、なにやら地下鉄の駅で事件が起こったらしいという情報を流している。
写真を撮るまでは、何事もなかったかのようなTVの画面が、急に慌ただしい上に物々しい雰囲気を醸し出す。
人が、沢山、沢山、救急車に運ばれているのに、まだ沢山、苦しそうな人が、そこに映し出されていた。
どうしたんだろう。
何が起こったんだろう。
そろそろ行かないといけないのに。
「8時過ぎに発生した事件のため現在地下鉄が運転を見合わせています」
・・・はいぃ?
どういうことよ、これ。
-平成7年3月20日。
地下鉄線内において、無色の「毒ガス」が車両内で散布された。
通勤途中の多数の市民が被害を受け、犠牲になった。
地下鉄サリン事件、である。
私の通っていた短大の駅は、自宅のあった松戸市からだと地下鉄千代田線で代々木上原まで行き、小田急線に乗り換えて数駅。
つまり「千代田線」が運休だと、JRを使って何とかして小田急線に乗り換える必要があるということになるわけで。
・・・どーしよー。
卒業式なのに・・・
どう新宿まで行こう。
学校の駅まで行こう。
「送ってやる」
悩んでいた私に、見かねた声で助け船が入った。
脇で珍しく早く起きた兄であった。
私の短大の近くにある友人のところに行く用事があるからということで、自分の予定を早めて車で送ってくれることになった。
というわけで兄貴の準備終了後、いざ出発。
途中まではよかった。
松戸から都内に入るところまでは、混雑する国道を使わずに別ルートで行ったから。
ところが、都内入りしてちょっと進んだ、ある場所から一歩も動かなくなってしまった。
同じように仕事に支障をきたしたひとが、たくさん車で移動し始めたのだ。
確かに想定できたトラブルかもしれない。
だけど、こっちだって何とか都内に入らないといけないんだ。
・・・いいよ、ありがとう。
にーちゃん、助かったよ。
とりあえず、JRも千代田線に絡む部分が危なかったけど、都内に入ったから、なんとかなるから行くよ。
そう言って兄に北千住の駅の商店街終点部分でおろしてもらい、根性で商店街の中を袴姿でダッシュ。
えぇ、北千住は昔住んでいた、まさにホームグラウンド。
なんとかなるさ!
袴の裾をひっつかみ、必死に猛ダッシュ!
しかし今思えば、商店街の中を袴姿で走る短大生って、異様な姿だっただろうなぁ・・・
あの事件の日だったから許された光景だろうな。
息も絶え絶え、どころかまさにグロッキーな姿で、とりあえずJR常磐線のホームへ。
案の定かなりダイヤが乱れていた。
その隙を見て呼吸をなんとかして落ち着けようとしているとき。
「袴、ちょっと直してあげるわね」
そう言って、すぐそばにいたおばさまが、私の袴を直して下さった。
どうやら母のやった袴部分の着付けは帯が外に出ていたのだが、本来は帯を袴で隠すらしい。
まぁ、忙しい中着付けしてくれた母に感謝をしつつも、後でつっこむことを心の中で決めて。
おばさまと(直して貰っている間)雑談をしていました。
うぅ、人の好意が心にしみるぜ。
ありがとう!とお礼をしまくり、気分を入れ替えて新宿まで急ぎ、小田急線にも猛ダッシュで乗り込む。
駅に着いた後も、必死で商店街から学校までの、徒歩20分の距離を休みつつも走っていく。
・・・あたし長距離走大っ嫌いなのに・・・
そんなことを考えつつ、走り続けた。
で、結局卒業式には案の定大遅刻をしてしまい、ついたときにはちょうど卒業証書の授与を一人一人にしているところだった。
証書を渡していた先生には「間に合ってよかった」と言われ、友人にも「来ないかと思った」と言われ。
その後も肩を激しく上下に動かしつつ、先生のお話を聞いていました。
大変だったよーほんと。
疲れた・・・
しかしその後もまだイベントは控えていたのである。
そう。
謝恩会である。
新宿のホテルでやると言うことで、私は卒業式の後、一度帰宅して着替えてから行くつもりだったのだ。
しかしこの状況だと、時間に間に合うかどうか。
サークルの会室で、みんなに顔見せしてから、すぐさま自宅へ戻った。
その時の記憶が曖昧なのは、きっと家に着くことに夢中だったからだと思う。
自分的予定時刻に出発するためには、30分で着替える必要がある。
とにかく着物は脱ぎ捨て(立てかけるくらいまでの理性はあった)、スーツに着替え。
みんなの服装を見てから、ホテルで着替えるつもりで用意したワンピースをバッグに押し込む。
化粧を直して、いざ出陣。
想定通りの時間で出発できたが、JRが多少遅れていたせいもあり、友人との待ち合わせには多少遅れてしまった。
しかし謝恩会の開始時刻には間に合い、すべてが順調に進んでいった。
そして謝恩会終了後。
着替えたドレス(大層なものじゃないけど)から、スーツに着替え、サークルの卒業コンパに合流。
時間的には3次会あたりから参加した。
なんてハードなスケジュール。
しかしコンパではむかつく先輩が大暴れしていたので、最後の最後まで企画(会におけるイベント企画を行う部門。私はそこに所属していた)や仲のよかった先輩方と一緒に行動してしまった。
「おまえ、卒業生なんだから・・・」と気を遣ってもらうも、「別にいいですよ。あの先輩がいるだけで参加してても嫌な気分になるし。企画の手伝いさせてもらうほうがよっぽどいいです」というようなことを言った、気がする。
なんせ酒が入ると、ねぇ。(汗)
でも、かわいがってもらった先輩には最後まで一緒に話ができたことが、その日一日の出来事を締めくくる、想い出になったと思う。
今でも、5次会の会場前で先輩方と話しながら見た、朝日の輝きは忘れられない。
想い出は、いつまでも想い出。
ふとしたとき、思い出したいときに、引き出しから出せる想い出は、沢山あるけれど。
こんなに強烈に刻まれた想い出は、付箋付きで引き出せるレベルです。
今でも元気でがんばっているであろう、友人や先輩、後輩達を思いながら。
私もがんばろうかな、なんて思ったり。
そろそろなにか始めようかな、なんて思う気持ちの原動力となる、そんな想い出です。
人間、生きているといろんなことがあるという、体を張ったお話でした。
というわけで、自己紹介や初対面に近い人と仲良くなりたいとき、ネタとして卒業式の顛末を話していることは内緒と言うことで。(^^;
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注:私は当日被害をほんの一部だけ被った一市民であり、某教団とは一切関係がありません。
そして事件当日、被害に遭われ、大変な思いをされた方々にとっては、あの日の出来事は、心の中で深い傷として辛く残っていらっしゃると思います。
その傷をえぐってしまうつもりはありませんが、この文章でそのような感想を抱かれた場合にはご連絡下さい。
その際には文章削除させていただきます。
注2:あの事件は3月だったけど、もし短大在学中の平日なら、おそらく私も巻き込まれていたでしょう。
いつも乗っていた時間帯の電車で、あの事件は発生したんです。
霞ヶ関で、8時の時報を聞く、電車に乗って毎日通学していましたから。
サークルの友達もまた、あの電車に乗って大学に行くところだったのを、あの日は卒業式だからと言うことで時間をずらして、助かった一人でした。
そのことを考えると、「運がよかった」としか、言えないかもしれないけど、だからこそ風化しつつある「あの事件」について、テロの恐怖について、私は語っていく側の立場になる必要があるのではないか、と思っています。
「ひと」が「ひと」の命を安易に考える、卑怯な事件がこれ以上起こらないことを、願って。