をことば9:トラウマ(4/10)
ネガティブな自分。
ポジティブな旦那がうらやましいと思う。
決して、自分では手に入れることのできないもの。
私の中で、トラウマがあるとしたら、それは明らかに「母親の存在」である。
そして、それこそがネガティブ思考の原点であることは間違いない。
私は「父親っ子」だった。
兄弟の中で唯一の娘だからと言うこともあるんだろうけど。
父親の存在は、私の中でも未だに非常に大きい。
だから母親としては面白くなかったのだろう。
よく女の子は母親と仲がいいって言うけど。
私の場合にははっきり言って違う。
「恐怖の対象」
強調しすぎているかもしれないが、こんな言葉が当てはまる。
なんでよその家はおかあさんがやさしいの?
なんでうちはいつもあたしだけがおこられているの?
なんでうちはおかあさんになぐられたりけられたりするの?
あたしが悪いから?
あたしがいること自体が悪いことだから?
あたしはなにもしちゃいけないの?
−しゃべれば、殴られ。
−笑えば、殴られ。
とにかく何かする度に、必ず殴られたり蹴られたり。
気に入らないって、あたしがいることがむかつくからって、そう言ってもらったほうが気が楽。
「理不尽に手を出した覚えがない」
そう言ったけど、何かにつけ殴られた記憶しか残っていない。
沢山旅行やいろんなとこに出かけたりしたけど。
楽しかった想い出より、恐怖におびえている記憶しか残っていないのは、どうしてだろう?
他の兄弟もよく手を出されていたけど。
あたしに対する殴り方と、兄弟に対する殴り方に違いがあったように感じていた。
あたしは、いらない子なんだ。
そう言って、自分の存在を消してしまいたくなった時期があった。
実際に高校の時に遺書まで書いて自殺を試みたことがあった。
つきあわされていた相手に殺されかけて辛かった時期も、家族が支えてくれることを望んでも、相談できるような相手として母親のことを見たことはなかった。
自分の存在が、家族のなかで「家族」として認められていないんじゃないか。
少なくとも、母親には。
自分をぶつける場所として、つたない文章を書いたり、イラストを落書きだけど書いたりしたけど。
自分の表現した成果を、家族の前で遠慮無く笑いのネタにした。
ばかばかしいなんて、誰が決めた?
自分を表現することを馬鹿にする資格が、母親だからと言う理由で、あるとでも言うのか?
多分、一生かかっても母親を許すことはできないと思う。
私の結婚前に私の感情をぶつけたときにも、決して「謝る」ことはしなかった、自分の非は決して無いと信じ切っている母親に対して。
あたしのなかの「トラウマ」は、あえて消し去ることはしないと決めた。
それが母親に対する「リベンジ」なのかもしれない。
だからあたしは母親に対して、決して「母親らしい」ことはさせるつもりはない。
自分の子供が生まれても、決して母親を頼る気はない。
自分の実家に戻って、出産を迎えるつもりはない。
母親に対しての、愛情など、とうの昔に無くしてしまったと思っているから。
自分に対する愛のないところで、出産したいと思えない。
父親には悪いとは思うけど。
あたしは母親に、「リベンジ」する。
「親不孝」と言われようと。
あたしは、一生母親に対しての「トラウマ」に苦しめられるだろう。
培ってきたはずの愛情は、たった一つの「行動」で、手のひらから消えてしまうこともある。
そこから新しい行動を起こす勇気をふるうことは、その「勇気」を起こす原動力を破壊されていた場合、どうすればいいのだろう?
母親が注いだと思っている「愛情」と言う名の「強制」は、自分の子供を「囚人」と思っているが故の感情移入なんだろうか?
あたしは、母親の「愛情」の届かないところにいたい。
それが「トラウマ」故の逃避行動だとしても。
あたしは、母親の「人形」じゃない。
その考えが「トラウマ」故の強がりだとしても。
ささやかな「リベンジ」。
今も、実行している。
「結婚」という、人生最大の転機によって。
母親の気に入らない相手と「結婚」したこと。
あたしの選んだ人が母親には気に入らないこと。
それは決して「トラウマ」からの逃避ではなく、本当に「好き」な人と一緒にいたかったから。
それ故の決断。
それ故の「リベンジ」。
多分、一生続く「リベンジ」。